中高年女性層から絶大な支持を得る杉良太郎さん
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杉良太郎さんの経歴
1944年、兵庫県神戸市に四人姉弟の末っ子として生まれた杉良太郎さん。父親は建築業を営んでいましたが、趣味で大衆演劇の芝居小屋『民衆座』を作ってしまうほど芸事が好きだったみたい。そんな父親の影響からか、杉良太郎さんも幼い頃から歌うことが好きで、各地ののど自慢大会には何度も出場していたそうです。
杉良太郎さんの父親はお人好しで何人もの保証人になっていたため、財産を失ない、貧乏な暮らしを強いられていました。中学生になった杉良太郎さんは、早く親に楽な生活をさせたいと船乗りを目指すようになり、卒業後は海員養成学校に入学します。
しかし、もともと視力が悪かった杉良太郎さんは中退せざるを得ない状況になり、船員になるのを断念しました。
その後、杉良太郎さんは歌手になってヒットすればお金が稼げると上京。カレー屋の丁稚奉公で食いつなぎながらも無給で働くといった下積み時代を過ごします。
1966年には、日活の所属となり、主に現代劇の助演をこなします。翌年1967年にはNHK放送の時代劇『文五捕物絵図』の主役に抜擢され、それ以降は時代劇をメインに活躍されました。
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シリアスなものからコミカルな役柄まで幅広く演じ、明治座・新歌舞伎座といった舞台にも出演するようになります。
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歌手を目指そうとしたきっかけは、長い時間に渡って拘束される俳優業と違って、歌えば仕事が終わって儲かると考えたためなのだそうです。結果として芸能界デビューしてからヒット曲に恵まれるまで10年も要し、後になって、それは甘い考えだったと振り返っておられます。
こうして杉良太郎さんは俳優・歌手とマルチに活躍される存在として、多くの女性ファンから愛される存在となりました。
1990年代になると油彩画を描くようになり、現代美術展では数々の賞を獲得しています。百貨店などを中心に、杉良太郎さんの作品を扱った絵画展も開催しており、芸術家としても活動も注目されるようになりました。
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2005年には新歌舞伎座の公演を最後に、自ら座長を務めるのを勇退。若手に役目を譲り、杉良太郎さんは脇役として出演して、後進にアドバイスしていきたいと話しています。
2011年にはエイベックス・マネジメントと契約し、芸能生活全般の業務サポートを任せることに。そして、2013年には杉良太郎さんが所有する東京・西麻布のビルに『杉良太郎塾』を設立しています。
2011年にはエイベックス・マネジメントと契約し、芸能生活全般の業務サポートを任せることに。そして、2013年には杉良太郎さんが所有する東京・西麻布のビルに『杉良太郎塾』を設立しています。
杉良太郎さんにまつわるエピソード
ベトナム特別大使としての活動
15歳からボランティア活動をしていたという杉良太郎さん。定期的に刑務所を訪問しては刑務官・受刑者に対して講演活動をされ、”特別矯正監”を任命・委嘱されています。
そんな杉良太郎さんの慈善活動で最も有名なのが、20年以上もの間、日本とベトナムとの親善に関わっていることでしょう。
そんな杉良太郎さんの慈善活動で最も有名なのが、20年以上もの間、日本とベトナムとの親善に関わっていることでしょう。
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無償援助を積極的に行ない、ハノイ市に日本語学校を設立、現地にはベトナム人の里子が100人以上もいるといいます。2013年にはASEAN特別大使にも任命され、翌年2014年にはアジア各国との文化交流への貢献ぶりが認められて内閣総理大臣から感謝状を授与されています。
息子・山田純大さんについて
1972年、女優の山田信子さんと結婚した杉良太郎さん。残念ながら1998年に離婚されてしまいましたが、お二人の間には一男二女、3人の子供が生まれています。二人の娘については出回っている情報がないので、一般人として生活されているものと考えられます。
愛称 :杉様
生年月日:1944年8月14日
血液型 :O型
出生地 :兵庫県神戸市
職業 :俳優・歌手
活動期間:1965年~