フリートウッド・マックのはじまり
フリートウッド・マック(Fleetwood Mac)のそもそものはじまりは、1967年という半世紀ほど昔の時代に遡ります。
当時、ドラマーのミック・フリートウッドとブルース・ブレイカーズの一員だったギタリストのピーター・グリーンを中心として、他にもう1人のギターとして、ジェレミー・スペンサー、ベースにボブ・ブランニングを加えて4人編成のブルースロックバンドとしてスタートしたのがはじまりでした。
この後、すぐにベースはブランニングに代わって、ジョン・マクヴィが加入しました。
この頃のバンド名は『ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック(Peter Green's Fleetwood Mac)』であり、その名の最初に表す通り、ギブソン・レスポールを持ったピーター・グリーンのブルースロックギターサウンドを売りにしたバンドでした。
1968年2月には、デビューアルバム『ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック』をリリース。
いきなりスマッシュヒットを飛ばし、注目を集めることに成功しました。
当時、ドラマーのミック・フリートウッドとブルース・ブレイカーズの一員だったギタリストのピーター・グリーンを中心として、他にもう1人のギターとして、ジェレミー・スペンサー、ベースにボブ・ブランニングを加えて4人編成のブルースロックバンドとしてスタートしたのがはじまりでした。
この後、すぐにベースはブランニングに代わって、ジョン・マクヴィが加入しました。
この頃のバンド名は『ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック(Peter Green's Fleetwood Mac)』であり、その名の最初に表す通り、ギブソン・レスポールを持ったピーター・グリーンのブルースロックギターサウンドを売りにしたバンドでした。
1968年2月には、デビューアルバム『ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック』をリリース。
いきなりスマッシュヒットを飛ばし、注目を集めることに成功しました。
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ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック
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1968年2月にリリースされた『ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック(原題:Fleetwood Mac)』は、その後長いキャリアを積むことになるフリートウッド・マックのはじまりのデビューアルバムです。
その後のフリートウッドマックサウンドからは想像もつかない、ブルースロック的な味付けとなっていて、ピーター・グリーンのギター(レスポール)サウンドが特徴的であり売りとなっています。
このデビューアルバムは本国イギリスはもちろん全米でも広く聴かれ、その存在を売り込むことには成功しました。
【収録曲】
My Heart Beat Like a Hammer
Merry-Go-Round
Long Grey Mare
Hellhound on My Trail
Shake Your Moneymaker
Looking for Somebody
No Place to Go
My Baby's Good to Me
I Loved Another Woman
Cold Black Night
The World Keep On Turning
Got to Move
その後のフリートウッドマックサウンドからは想像もつかない、ブルースロック的な味付けとなっていて、ピーター・グリーンのギター(レスポール)サウンドが特徴的であり売りとなっています。
このデビューアルバムは本国イギリスはもちろん全米でも広く聴かれ、その存在を売り込むことには成功しました。
【収録曲】
My Heart Beat Like a Hammer
Merry-Go-Round
Long Grey Mare
Hellhound on My Trail
Shake Your Moneymaker
Looking for Somebody
No Place to Go
My Baby's Good to Me
I Loved Another Woman
Cold Black Night
The World Keep On Turning
Got to Move
PETER GREEN'S FLEETWOOD MAC - 1968 - "Heart Beats Like A Hammer"
デビューアルバムから代表曲。
後の、フリートウッド・マックからは想像もつかないブルースロックの味付けとなっていますね。
後の、フリートウッド・マックからは想像もつかないブルースロックの味付けとなっていますね。
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初期における最充実期
デビューアルバムの『ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック(原題:Fleetwood Mac)』が、概ね大好評で世間に受け入れられ、ヒットを飛ばしたのに気を良くした彼らは、その年に、後にサンタナがカヴァーして世界的な大ヒットを飛ばすことになる『ブラック・マジック・ウーマン』をシングルとしてリリースしたりもしています。
Fleetwood Mac Peter Green - Black Magic Woman (Live Boston Tea Party) 1970
後にサンタナによってカヴァーされ、世界中で大ヒットを飛ばすことなる『Black Magic Woman』。
こちらがオリジナルバージョンです。
ピーター・グリーンのブルースギターサウンドが出色です。
こちらがオリジナルバージョンです。
ピーター・グリーンのブルースギターサウンドが出色です。
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更にこの後、バンドは当時18歳であったダニー・カーワンを3人目のギタリストとして加え、トリプルギター編成のバンドとしました。
この後に、アメリカのスーパーバンドであるイーグルスが、この夢のトリオギター編成を実現しますが、フリートウッド・マックはそれより先に実現しています。
これはピーター・グリーンがイメージしていた変幻自在でイマジネーション溢れるギターサウンドを常に現出させるための理想的な布陣でした。
このことに勢いを得たバンドは、渡米してブルースの本場シカゴでレコーディングしたり、ウイリー・ディクソンなどと共演したりして、初期の活動期間としては最も充実した時期を送ります。
この後に、アメリカのスーパーバンドであるイーグルスが、この夢のトリオギター編成を実現しますが、フリートウッド・マックはそれより先に実現しています。
これはピーター・グリーンがイメージしていた変幻自在でイマジネーション溢れるギターサウンドを常に現出させるための理想的な布陣でした。
このことに勢いを得たバンドは、渡米してブルースの本場シカゴでレコーディングしたり、ウイリー・ディクソンなどと共演したりして、初期の活動期間としては最も充実した時期を送ります。
初期主要メンバーの脱退~変革期
このように、比較的順風満帆なキャリアスタートを切ることができ、更にトリプルギターという最強の布陣にして、初期としては最充実期に入っていた矢先、バンドの核であり、最重要メンバーでもあったピーター・グリーンが、LSDなどの薬物を過剰摂取したことから精神疾患を発症してしまいます。
結局、薬物依存症状態で精神不安定となったピーターは突然、バンドを脱退してしまいました。
1970年の出来事でした。
その後は、もう1人のバンドのギターサウンドの核であったジェレミー・スペンサーが、ピーター・グリーンの代わりに音楽面でのリードオフマンの役割を果たしていましたが、そのジェレミーもまた、薬物依存状態となってしまい、しまいには新興宗教に嵌って精神的に変調をきたして、やはり突如バンドを脱退してしまう事態になるのです。
こういった連続したアクシデントによって、フリートウッド・マックは非常に危機的な状況に追い込まれますが、ジェレミーの後釜として、ベースのジョン・マクヴィの妻であるクリスティン・マクヴィを加入させ、更に、新しくアメリカ人のギタリストであるボブ・ウェルチが加入し、リニューアルしたフリートウッド・マックとして再生を図ります。
しかし、そうした再出発の矢先、今度は、もう一人のギタリストであったダニー・カーワンが、アルコール依存症からくる神経衰弱に陥り、生活は荒れ果て、音楽活動に支障をきたしたためにバンドはやむなくカーワンを解雇します。
次から次へとトラブルが収まらない時期でした。
しかし、このような苦節を乗り越えたことが、結果的にフリートウッド・マックにとって思わぬ成長と音楽的な飛翔をもたらします。
カーマン解雇後に、バンドの音楽面をリードしたのは、新加入のアメリカ人ギタリスト、ボブ・ウェルチでした。
彼は、それまでのピーター・グリーンの敷いていたブルースロックの路線をバンドから一掃。
そして、ボブの傾倒していたジャズロック路線へと舵を切り始めます。
これと並行して、同じく新加入した、ジョンの妻クリスティン・マクヴィの非常にポップ色の濃い楽曲も採用され、ここに『新フリートウッド・マック』というようなカラーができあがってきます。
結局、薬物依存症状態で精神不安定となったピーターは突然、バンドを脱退してしまいました。
1970年の出来事でした。
その後は、もう1人のバンドのギターサウンドの核であったジェレミー・スペンサーが、ピーター・グリーンの代わりに音楽面でのリードオフマンの役割を果たしていましたが、そのジェレミーもまた、薬物依存状態となってしまい、しまいには新興宗教に嵌って精神的に変調をきたして、やはり突如バンドを脱退してしまう事態になるのです。
こういった連続したアクシデントによって、フリートウッド・マックは非常に危機的な状況に追い込まれますが、ジェレミーの後釜として、ベースのジョン・マクヴィの妻であるクリスティン・マクヴィを加入させ、更に、新しくアメリカ人のギタリストであるボブ・ウェルチが加入し、リニューアルしたフリートウッド・マックとして再生を図ります。
しかし、そうした再出発の矢先、今度は、もう一人のギタリストであったダニー・カーワンが、アルコール依存症からくる神経衰弱に陥り、生活は荒れ果て、音楽活動に支障をきたしたためにバンドはやむなくカーワンを解雇します。
次から次へとトラブルが収まらない時期でした。
しかし、このような苦節を乗り越えたことが、結果的にフリートウッド・マックにとって思わぬ成長と音楽的な飛翔をもたらします。
カーマン解雇後に、バンドの音楽面をリードしたのは、新加入のアメリカ人ギタリスト、ボブ・ウェルチでした。
彼は、それまでのピーター・グリーンの敷いていたブルースロックの路線をバンドから一掃。
そして、ボブの傾倒していたジャズロック路線へと舵を切り始めます。
これと並行して、同じく新加入した、ジョンの妻クリスティン・マクヴィの非常にポップ色の濃い楽曲も採用され、ここに『新フリートウッド・マック』というようなカラーができあがってきます。
Fleetwood Mac - Sentimental Lady
後にボブ・ウェルチのソロ楽曲としてもリリースして大ヒットしたこの時期のフリートウッド・マックの代表曲の一つ。
60年代の初期のマックの泥臭さは微塵も感じない軽さです。
60年代の初期のマックの泥臭さは微塵も感じない軽さです。
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Fleetwood Mac - Hypnotized
ボブ・ウェルチ加入時代における代表曲の一つ。
それまでのピーター・グリーン時代のフリートウッド・マックのサウンドとはまったく別もの軽快でジャジーな味付けとなっています。
それまでのピーター・グリーン時代のフリートウッド・マックのサウンドとはまったく別もの軽快でジャジーな味付けとなっています。
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結局、この新体制下(1971~1974年)で、フリートウッド・マックは、『Future Games』、『Penguin』、『Mystery To Me』、『Heroes Are Hard to Find』というそれぞれに優れた楽曲揃いの4つのアルバムをリリースしました。
そして、1974年の全米ツアー終了後に、これからは活動の中心をイギリスからアメリカに移す、と宣言し、活動の拠点もカリフォルニアに移しました。
ところが、その直後に、主力メンバーであったボブ・ウェルチが突然バンドから脱退を発表し、フリートウッド・マックはまたしても、バンド消滅の危機を迎えます。
そして、1974年の全米ツアー終了後に、これからは活動の中心をイギリスからアメリカに移す、と宣言し、活動の拠点もカリフォルニアに移しました。
ところが、その直後に、主力メンバーであったボブ・ウェルチが突然バンドから脱退を発表し、フリートウッド・マックはまたしても、バンド消滅の危機を迎えます。
フリートウッド・マック全盛時代へ
アメリカ・カリフォルニアに活動の拠点も移し、「さあ、これから!」という矢先に、バンドの核で主力メンバーのボブ・ウェルチに突然脱退されてしまったフリートウッド・マック。
初期の主力で核であったピーター・グリーンを失った時よりも更に大きな試練と危機にバンドは直面しました。
この時期、残ったメンバーのミック・フリートウッドとジョン・マクヴィは、ボブ・ウェルチに代わるフロントマンを必死に探していました。
そんな折、耳にしたのが『バッキンガム・ニックス』という名前のアメリカ人の男女デュオの名前と、偶然耳にした彼らのデモ作品でした。
その耳にした作品でのリンジー・バッキンガムのギターとヴォーカルにピンときて気になったミックとジョンは、1974年の12月の暮れも押し迫った時期に、リンジーに連絡を取りつけて、「是非、ウチのフロントマンとして加入してくれないか」と誘いました。
リンジーの答えは、デュオの片割れでもあり、彼女でもあるスティーヴィー・ニックスとセットで加入させてくれるなら、フリートウッド・マック入りを考えてよい、というものでした。
結局、バンドのメンバーはこのカップルを二人ともバンドに新加入するということで話はまとまり、ここに「新生フリートウッド・マック」が産声を上げたわけです。
期せずして、ここから、フリートウッド・マックの大躍進が始まります。
初期の主力で核であったピーター・グリーンを失った時よりも更に大きな試練と危機にバンドは直面しました。
この時期、残ったメンバーのミック・フリートウッドとジョン・マクヴィは、ボブ・ウェルチに代わるフロントマンを必死に探していました。
そんな折、耳にしたのが『バッキンガム・ニックス』という名前のアメリカ人の男女デュオの名前と、偶然耳にした彼らのデモ作品でした。
その耳にした作品でのリンジー・バッキンガムのギターとヴォーカルにピンときて気になったミックとジョンは、1974年の12月の暮れも押し迫った時期に、リンジーに連絡を取りつけて、「是非、ウチのフロントマンとして加入してくれないか」と誘いました。
リンジーの答えは、デュオの片割れでもあり、彼女でもあるスティーヴィー・ニックスとセットで加入させてくれるなら、フリートウッド・マック入りを考えてよい、というものでした。
結局、バンドのメンバーはこのカップルを二人ともバンドに新加入するということで話はまとまり、ここに「新生フリートウッド・マック」が産声を上げたわけです。
期せずして、ここから、フリートウッド・マックの大躍進が始まります。
ファンタスティック・マック(原題=Fleetwood Mac)
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