身長157cmという小柄な体の中にある、誰よりも巨大な才能を持つ殿下ことプリンス
2016年7月27日 更新

身長157cmという小柄な体の中にある、誰よりも巨大な才能を持つ殿下ことプリンス

眼に見える奇跡というものがあるとすれば、それはプリンスのことでしょう。余りにも巨大で、いつまでも尽きることのない才能の持ち主。その素晴らしさはとても言葉では言い表せません。だからこそ、人はプリンスを天才と呼ぶのでしょう。

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超カッコイイ・ロックンロールLet's go crazyに始まり、最高に美しいバラードPurple rainまで一気にエネルギーとエロティックに満ちた時間が駆け抜けます。1984年度グラミー賞Best Rock Performance By A Duo Or Group With Vocal 受賞作品。

ビートに抱かれて

Prince when doves cry (purple rain movie scene)
この頃のプリンスは、出す曲、出すアルバムがヒットし、しかも、どれもこれも革新的であるという、まさに奇跡のような時期を迎えます。

そこで忘れてはならないのが、バックメンバーのザ・レヴォリューションです。中でもパーカッションを担当したシーラEでしょう。
シーラE

シーラE

1984年に発売した「グラマラス・ライフ」は大ヒットしまいsた。

SHEILA E - THE GLAMOROUS LIFE

メンバーを若干入れ替えながらザ・レヴォリューションとの関係は1986年まで続きます。

プリンスは独自のレーベル「ペイズリー・パーク・レコード」を設立し、1985年にはアルバム「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ(Around the World in a Day )」を発表。大ヒットした前作とは全く作風の違うアルバムでしたが全米1位を獲得しました。
アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ

アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ

原題: Around the World in a Day
発売日: 1985年4月22日
レーベル: Warner Bros. / Paisley Park Records
"Purple Rain"でコマーシャルな面でも大成功を収めた後発売された、この"Around the World in a Day"こそ、当時のPrince自身が一番音楽で表現したかった事ではなかったのか?と思う。それは、惹き付けた大衆を、まるで冷たく突き放すかのような行為であるように見えるけれども、Princeという多様な表現手法を持つアーティストとして、創作を更なる高みまで持っていく為には、決してその場所で甘んじる事など出来なかったように思う。そして、完成したこの"Around the World in a Day"。よく80年代の"Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band"と例えられる事が多いが、確かにコンセプチュアルであり、前衛的。そして完成度の高さという面で、その表現は非常に正しいように思う。だが、"Sgt. Pepper's〜"と圧倒的に違うのは、外に発信するという方向性よりも、Prince自身の為の楽園を作品の中に創り上げたような、非常に内に篭った表現である事が特徴。それ故、Princeというアーティストを理解する人々以外は拒絶するような、そんな雰囲気さえ感じさせる。
続いて発売されたアルバムが1986年の「パレード ( Parade)」です。 アルバムは全米3位止まりでしたが、シングルカットされた 「Kiss 」は全米1位に輝いています。
この年にプリンスは来日公演を行っています。ザ・レヴォリューションは、このツアーの最終日である横浜スタジアムでの講演を最後に残念ながら解散してしまいました。

Prince - Kiss (Under The Cherry Moon) (1986)

Prince - Kiss (Under The Cherry Moon) (1986)
1987年には、アルバム「サイン・オブ・ザ・タイムズ ( Sign "☮" the Times)」 が発売されます。
2枚組という大作でありあがら、「パープル・レイン」に次ぐ売り上げを誇る最高傑作との呼び声も高いアルバムです。

アルバムからは、「ユー・ガット・ザ・ルック(2位)」、「 サイン・オブ・ザ・タイムズ (3位)」、「プレイス・オブ・ユア・マン(10位)」、{ホット・シング(63位)」、「イフ・アイ・ウォズ・ユア・ガールフレンド(67位)」という5曲がシングル・カットされヒットしています。
サイン・オブ・ザ・タイムズ

サイン・オブ・ザ・タイムズ

原題: Sign "☮" the Times
発売日: 1987年3月30日
レーベル: Warner Bros. / Paisley Park Records
内容に関しては、もはやファンにとっては語るまでも無い最高傑作ですね。

ユー・ガット・ザ・ルック

1988 U got the look with Sheena Easton
この後、プリンスは1988年にアルバム「Lovesexy 」を、1989年に「バットマン」のサウンドトラックを発売して充実の80年代を終えます。
セールス的なことで言えば80年代というのは黄金期ということになるのでしょうが、プリンスの天才を見せつけられるのはむしろ90年代、2000年代といえるかもしれません。

最後の最後まで新たな事にチャレンジし続けたプリンス。その作品と姿勢は、やはり天才と呼ぶにふさわしいものに違いありません。
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