【和田アキ子】芸能界のご意見番!ケンカ最強?我が道をいくイメージの裏側にある素顔とは?
2021年5月22日 更新

【和田アキ子】芸能界のご意見番!ケンカ最強?我が道をいくイメージの裏側にある素顔とは?

歌手として有名ですが、司会者・女優・タレントなど幅広いご活躍ぶりの和田アキ子さん。芸能界のご意見番といった側面も強いですよね。今回の記事は、そんな彼女の経歴やエピソード・代表作品を振り返っていきたいと思います。

1,613 view

マルチな活躍ぶりをみせた和田アキ子さん

和田アキ子さんのプロフィール

和田アキ子さんのプロフィール

本名  :飯塚現子
愛称  :アコ
生年月日:1950年4月10日
血液型 :O型
身長  :174㎝
出生地 :大阪府大阪市天王寺区
職業  :歌手・タレント
活動期間:1968年

和田アキ子さんの経歴

1950年、大阪府大阪市天王寺区にて、ご両親どちらも朝鮮半島のご出身。柔道道場を営む父親、乾物屋を営む母親の間に長女として生まれた和田アキ子さん。
出生時の名前は、金福子。通名は金海福子を名乗り、在日韓国人の二世として育ちます。
和田アキ子さんは中学生になるまで在日韓国人ということを知らず、そのことを意識してこなかったといいます。幼少期から父親に柔道を習い、徹底して男尊女卑の考え方を植え付けられたそう。鉄拳制裁・暴力もひどかったみたいで、和田アキ子さんはそんな父親に反発するようにグレていきました。
中学校は私立城星学園に通い、高等学校に進学するも父親が勝手に退学届を提出し、僅か三日間で中途退学。小学生の頃から洋楽好きだった和田アキ子さんは、たまたまジャズ喫茶で歌っていたところ、当時はまだ弱小の芸能事務所だったホリプロの社長・堀威夫さんから直々にスカウトされます。
この当時、多くの在日韓国人が”金海”という名字を名乗っており、そのイメージが芸能活動に悪影響を与えるかもしれないと考えた和田アキ子さんの父親。和田性を名乗っていた親戚の養子縁組を進め、それと同時に名前も”現子(あきこ)”と改名されました。さらに帰化する手続きも進められ、正式に日本人となっています。
芸能活動するうえでは、読みやすく、親しみがもてる”和田アキ子”の表記が一般的です。

1968年に歌手デビューし、2枚目のシングル『どしゃぶりの雨の中で』をヒットさせました。1970年には4枚目となるシングル『笑って許して』を発表し、NHK紅白歌合戦にも初出場しました。それ以降も9年連続で出場し、現在までの出場実績は通算39回にも上ります。
1973年には日本テレビ系列放送のバラエティ番組『金曜10時!うわさのチャンネル‼』に出演。姉御肌・高身長といった和田アキ子さんの個性から、”ゴッド姉ちゃん”と呼ばれ、大きくて恐ろしいといった印象が世間に定着するようになります。
しかし、歌手活動とテレビ出演の両立が次第に難しくなり、音楽を優先した和田アキ子さんは日本テレビに降板を申し入れます。これによって番組は打ち切りになり、この一件が原因で出入り禁止を言い渡されるなど、和田アキ子さんと日本テレビの関係は悪くなってしまいました。現在では和解しており、お互いの関係性は良好のようです。
1985年、TBS系列放送のバラエティー番組『アッコにおまかせ!』が始まり、その司会を担当しています。
テレビではバラエティー番組の印象が強いですが、女優としても、テレビドラマ・映画に出演。幅広い分野でマルチな才能を発揮されており、70歳を超えた現在もエネルギッシュにご活躍されています。

和田アキ子さんにまつわるエピソード

男性遍歴・結婚について

1976年、和田アキ子さんは当時マネージャーだった男性・小林甫さんと結婚されています。5年間の同棲生活を経てのゴールインだったようですが、僅か8カ月で離婚といった結末を迎えてしまいました。
その理由は、社内の配置転換で小林甫さんが和田アキ子さんのマネージャ業務から離れてしまい、そのことが原因ですれ違いが大きくなっていったのだとか。ウワサでは、小林甫さんが和田アキ子さんを女性として見れなくなったという話も囁かれました。
本当のところはご本人同士にしか分からないことですが、せっかく結婚したのに少し寂しいですね。
1981年、和田アキ子さんは当時のマネージャーを務めていた男性・飯塚浩司さんと再婚されました。結婚生活は現在も続いており、飯塚浩司さんは公私ともに和田アキ子さんのご活躍を支える存在です。
子供が大好きだという和田アキ子さん。32歳のときに子宮ガンが発覚し、全摘出の手術を受けているため、残念ながら子供がつくれない身体になってしまいました。当時はかなりショックで神様を恨んだようですが、飯塚浩司さんは献身的に彼女を支えたそうです。
テレビでは傲慢にみえる和田アキ子さんですが、飯塚浩司さんの前では意外と女性らしく振舞っているといったウワサも聞こえてきます。

お笑い芸人との親交も凄い

69 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

ホリプロスカウトキャラバンでボーカリスト賞を受賞した『千葉美加』あの人は今?!

ホリプロスカウトキャラバンでボーカリスト賞を受賞した『千葉美加』あの人は今?!

1986年に「ホリプロスカウトキャラバン」で本田美奈子さんの「1986年のマリリン」を歌い、ボーカリスト賞を受賞しホリプロに所属した千葉美加さん。抜群の歌唱力で圧倒的な人気を誇ったが、いつの日か・・・。追ってみましたよ。
ギャング | 6,538 view
“ポスト山口百恵”と呼ばれながらも、突然失踪した?!『林紀恵』!!

“ポスト山口百恵”と呼ばれながらも、突然失踪した?!『林紀恵』!!

1980年代始め、第5回ホリプロタレントスカウトキャラバンでグランプリを受賞し歌手デビューを果たした林紀恵さん。当時は“ポスト山口百恵”と呼ばれながらも、突然失踪してしまいました。何があったのでしょう?
ギャング | 26,397 view
パンチラ写真上等!ホリプロスカウトキャラバン出身『仁藤優子』の今は?!

パンチラ写真上等!ホリプロスカウトキャラバン出身『仁藤優子』の今は?!

ホリプロスカウトキャラバン出身で15歳で歌手デビューし、数多くのCMに出演し山口百恵風のショートカットでカバー曲を歌うなど話題に。現在は何してる?
ギャング | 5,702 view
似ている芸能人・懐かしい昭和のアイドルや歌手

似ている芸能人・懐かしい昭和のアイドルや歌手

似てる芸能人・アイドル・有名人を AI(人工知能)が診断するアプリがある。しかし、似ているポイントが、どこにあるのか考えてしまうことがある。そこで、独自の視点で、似ている芸能人や有名人を選んでみた。昭和から平成まで時代を超えて、懐かしいアイドルや歌手を思い出してみよう。
90年代にホリプロが生んだ元祖バーチャルアイドル「伊達杏子」って覚えてる!?

90年代にホリプロが生んだ元祖バーチャルアイドル「伊達杏子」って覚えてる!?

21世紀に入り、珍しい存在ではなくなった「バーチャルアイドル」。最近ですとバーチャルYouTuber(VTuber)なんてのもいますよね。そんな仮想空間にも存在するアイドルですが、90年代半ばに「伊達杏子」というバーチャルアイドルがいたのを覚えていますでしょうか?

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト