1980年代~1990年代はゲーム業界の進化と発展が著しかったですが、それは同時にゲーム音楽の進化と発展の歴史でもありました。1980年代後半からは様々なゲームメーカーからバンドが結成され、華々しい活躍を見せてくれました。
ではどの会社からどんなバンドが結成されていたのでしょうか。
ではどの会社からどんなバンドが結成されていたのでしょうか。
S.S.T.BAND-セガ
via segaretro.org
SST Band - Space Harrier
via www.youtube.com
Blind Spot Live - S.S.T. Band - 2012 Club Phase - YouTube
via www.youtube.com
ZUNTATA-タイトー
TAITO
ZUNTATA(ズンタタ)とは、タイトーのサウンド開発部門の総称である。三拍子を口ずさむ「ずん、たっ、たっ」を捩った名称である。
タイトーのサウンド開発部門が1983年に発足し、『ダライアス―TAITO GAME MUSIC VOL.2』(アルファレコード・GMOレーベル、1987年)で初めてこの名称が使われた。
1988年、サイトロンレーベル(サイトロン・アンド・アートとポニーキャニオンの共同による)に移籍。6月に同レーベル最初の作品でもある『ニンジャウォーリアーズ -G.S.M.TAITO 1-』を、引き続きZUNTATA名義でリリースする。
後にHAGGYやばびーらによるZUNTATA-J.A.M.(Junky As Machine)なるユニットも組まれ、電車でGO!シリーズのイメージソング等を歌った。
1996年10月、タイトーの社内レーベル「ZUNTATA RECORDS」を設立。
他社作品への楽曲提供も稀に行っており、1997年の『ガメラ2000』(デジタルフロンティア)を皮切りに、『ダークラビリンス』(エイチーム)などへの楽曲・効果音の提供が行われている。
2005年、タイトーがスクウェア・エニックス・ホールディングスの子会社となった後、全盛期スタッフの退社が相次ぎ規模は縮小しているが、従来のサウンド開発業務は遜色無く行われている。ゲームサウンド開発の他に、着信メロディ制作やモバイルサイト、イベントの企画など音に関連した多彩な業務を行っている。
引用:wikipedia
タイトーのサウンド開発部門が1983年に発足し、『ダライアス―TAITO GAME MUSIC VOL.2』(アルファレコード・GMOレーベル、1987年)で初めてこの名称が使われた。
1988年、サイトロンレーベル(サイトロン・アンド・アートとポニーキャニオンの共同による)に移籍。6月に同レーベル最初の作品でもある『ニンジャウォーリアーズ -G.S.M.TAITO 1-』を、引き続きZUNTATA名義でリリースする。
後にHAGGYやばびーらによるZUNTATA-J.A.M.(Junky As Machine)なるユニットも組まれ、電車でGO!シリーズのイメージソング等を歌った。
1996年10月、タイトーの社内レーベル「ZUNTATA RECORDS」を設立。
他社作品への楽曲提供も稀に行っており、1997年の『ガメラ2000』(デジタルフロンティア)を皮切りに、『ダークラビリンス』(エイチーム)などへの楽曲・効果音の提供が行われている。
2005年、タイトーがスクウェア・エニックス・ホールディングスの子会社となった後、全盛期スタッフの退社が相次ぎ規模は縮小しているが、従来のサウンド開発業務は遜色無く行われている。ゲームサウンド開発の他に、着信メロディ制作やモバイルサイト、イベントの企画など音に関連した多彩な業務を行っている。
引用:wikipedia
via www.4gamer.net
Zuntata - Captain Neo (Darius I) - YouTube
Game Music Festival
via www.youtube.com
Zuntata - Daddy Mulk (Ninja Warriors) - YouTube
Game Music Festival 1990
via www.youtube.com
コナミ矩形波倶楽部-コナミ
KONAMI
コナミ矩形波倶楽部(コナミくけいはくらぶ)は、1990年代に日本のコンピュータゲームメーカー・コナミ(→コナミデジタルエンタテインメント)で活躍していたサウンドチームの総称およびバンド、バンドにはコナミのゲーム音楽を担当していたメンバーが在籍していた。
矩形波倶楽部が存在していた時期のコナミ音楽は非常に評価が高く、前述のゲームメーカーの作品音楽と並んで当時起こったゲームサウンドブームの一角を担っていた。特にファミコンやMSXなど向けにソフトが開発されていた1980年代には音源開発にもコナミは力を入れており、MSXの『グラディウス2』などに見られるようなSCC、ファミコンの『悪魔城伝説』、『魍魎戦記MADARA』、『エスパードリーム2』に搭載しているVRC VI(パルス波2ch+鋸波1ch)、同じくファミコンの『ラグランジュポイント』に搭載されているVRC VII(FM音源をファミコンでも使用できるようにした)など、独自の音源をROMカセット及びROMカートリッジに搭載していたほどだった。
その後ゲームミュージック作曲者の知名度やゲームミュージック自体の地位の向上もあって、1996年以降のサウンドトラックやアルバムから「矩形波倶楽部」の名前は消え始め、作曲者(あるいは編曲者)の名前がクレジットされるようになった。加えて1990年代後半以降、バンド結成当時のスタッフもほとんどコナミを退社しており、矩形波倶楽部最後の主要メンバーであった古川もとあきの退社をもって消滅した。
引用:wikipedia
矩形波倶楽部が存在していた時期のコナミ音楽は非常に評価が高く、前述のゲームメーカーの作品音楽と並んで当時起こったゲームサウンドブームの一角を担っていた。特にファミコンやMSXなど向けにソフトが開発されていた1980年代には音源開発にもコナミは力を入れており、MSXの『グラディウス2』などに見られるようなSCC、ファミコンの『悪魔城伝説』、『魍魎戦記MADARA』、『エスパードリーム2』に搭載しているVRC VI(パルス波2ch+鋸波1ch)、同じくファミコンの『ラグランジュポイント』に搭載されているVRC VII(FM音源をファミコンでも使用できるようにした)など、独自の音源をROMカセット及びROMカートリッジに搭載していたほどだった。
その後ゲームミュージック作曲者の知名度やゲームミュージック自体の地位の向上もあって、1996年以降のサウンドトラックやアルバムから「矩形波倶楽部」の名前は消え始め、作曲者(あるいは編曲者)の名前がクレジットされるようになった。加えて1990年代後半以降、バンド結成当時のスタッフもほとんどコナミを退社しており、矩形波倶楽部最後の主要メンバーであった古川もとあきの退社をもって消滅した。
引用:wikipedia
via music.douban.com
矩形波倶楽部 - YouTube
LIVE演奏
via www.youtube.com
矩形波倶楽部2 - YouTube
コナミレーベルファンの集い
via www.youtube.com
ゲーマデリック-データイースト
データイースト
GAMADELIC(ゲーマデリック)は、旧データイーストのサウンドチーム名、またその関係者によるバンド。
名称は「ゲーム」と「デリシャス」を混ぜ合わせた造語で「ゲームをデリシャスにしよう」というところから来ている。他の候補には「オー・マイ・デコ」などもあった。
1990年2月に発売された『ヘラクレスの栄光II』サウンドトラックにて、MAROのギターとATOMIC花田のベース、N'GJA三浦の打ち込みドラムが初合奏。同年5月発売の『空牙』サウンドトラックには、三人の生演奏によるアレンジが収録され、これが実質的なデビューとされている。
翌年7月「ゲームミュージックフェスティバル'91」で、ゲーマデリックを名乗りライブに初登場。同年8月には、ゲーマデリック名義初のCD『サンダーゾーン』を発売する。
他社のバンドがそれぞれ独自の音楽性を追求する中、ゲーマデリックは異端のコミックバンド路線を歩む。中心人物・MAROは「地球征服にやってきたドロロン星人」という設定で、普段はドロロン星に住んでいると称していた。
サウンドの傾向としては、『空牙』や『水滸演武』のディストーションギターなどに代表される熱い曲調のものが多い。データイースト製のゲームは奇抜な作風で知られるが、ゲーマデリックもまたその特徴的な熱さで目立った存在だった。
演奏技術は高く、ジャズからラップまで何でも器用にこなす演者として人気を博した[5]。また、原宿RUIDOでの単独ライブを4回も行っている。
1997年頃より、メンバーが相次いでデータイーストを退社し、バンド活動も徐々に縮小。1999年11月にはデータイーストが和議申請を行い、実質的にゲーム事業から撤退したことで、一旦活動は停止したと見られる。
1997年には同時期のメンバーに女性コーラス2名を加えた別バンド「スーパーデリック」を結成し、ミニアルバム『AH!LA!LA!』をインディーズにて発売している。この音源は、2006年発売のゲーマデリックのベストアルバムにも収録された。
2003年に母体となるデータイーストが倒産し、以後活動停止状態にあったが、2013年2月に活動再開を発表、同年8月2〜3日に『ゲームミュージック トリビュートライブ』にて復活ライブが行われた。
引用:wikipedia
名称は「ゲーム」と「デリシャス」を混ぜ合わせた造語で「ゲームをデリシャスにしよう」というところから来ている。他の候補には「オー・マイ・デコ」などもあった。
1990年2月に発売された『ヘラクレスの栄光II』サウンドトラックにて、MAROのギターとATOMIC花田のベース、N'GJA三浦の打ち込みドラムが初合奏。同年5月発売の『空牙』サウンドトラックには、三人の生演奏によるアレンジが収録され、これが実質的なデビューとされている。
翌年7月「ゲームミュージックフェスティバル'91」で、ゲーマデリックを名乗りライブに初登場。同年8月には、ゲーマデリック名義初のCD『サンダーゾーン』を発売する。
他社のバンドがそれぞれ独自の音楽性を追求する中、ゲーマデリックは異端のコミックバンド路線を歩む。中心人物・MAROは「地球征服にやってきたドロロン星人」という設定で、普段はドロロン星に住んでいると称していた。
サウンドの傾向としては、『空牙』や『水滸演武』のディストーションギターなどに代表される熱い曲調のものが多い。データイースト製のゲームは奇抜な作風で知られるが、ゲーマデリックもまたその特徴的な熱さで目立った存在だった。
演奏技術は高く、ジャズからラップまで何でも器用にこなす演者として人気を博した[5]。また、原宿RUIDOでの単独ライブを4回も行っている。
1997年頃より、メンバーが相次いでデータイーストを退社し、バンド活動も徐々に縮小。1999年11月にはデータイーストが和議申請を行い、実質的にゲーム事業から撤退したことで、一旦活動は停止したと見られる。
1997年には同時期のメンバーに女性コーラス2名を加えた別バンド「スーパーデリック」を結成し、ミニアルバム『AH!LA!LA!』をインディーズにて発売している。この音源は、2006年発売のゲーマデリックのベストアルバムにも収録された。
2003年に母体となるデータイーストが倒産し、以後活動停止状態にあったが、2013年2月に活動再開を発表、同年8月2〜3日に『ゲームミュージック トリビュートライブ』にて復活ライブが行われた。
引用:wikipedia
via www.amazon.co.jp
Gamadelic:カルノフが街にやってきた(1995) - YouTube
95年原宿ルイードライブより「カルノフが街にやってきた」。Mr★K謹製CG(AMIGAで作成)が見どころです。「防護服」!
via www.youtube.com
Gamadelic:空牙-Vapor Trail-(1996) - YouTube
96年ルイードライブのアンコール。ハンディカメラで収録された貴重な映像です。
via www.youtube.com
ALPH LYLA-カプコン
CAPCOM
ALPH LYLA(アルフ・ライラ)は、かつてのカプコンのサウンドチーム。メンバーは女性を中心として構成される。
初期チーム名称はアルフ・ライラ・ワ・ライラで、女性4人組ユニットでありライブ活動を行っていた時期もあった。後期には男性メンバーが加わったこともあり、例として『ストリートファイターII』の曲はほとんどが一人の女性(下村陽子)によって作曲されているが、サガットの曲など一部のみ男性(阿部功)が担当した。また、Alfh Lyraという名義であったこともある。
名前の由来は『千夜一夜物語』からであるが、中期に現在の名称に短縮した。ただし、ALPH LYLAではアラビア語として間違いではないものの「千の夜」という意味になってしまい、由来との関連はなくなっている。
主に『ストリートファイターII』のゲームミュージックなどで知られるが、同様にFM音源を使用したカプコンCPシステムのほぼ全てのゲームミュージックを担当している。初期CPシステムの同時発音数の少ない音源を最大限に駆使し、エジプト面やパイプオルガンの荘厳なBGMで世界観の構築に貢献した『ロストワールド』、『ストライダー飛竜』、また後に音源が強化され映画音楽的で活劇を盛り上げた『天地を喰らう2』に至るまで、音源の進化にもいち早く対応している。
引用:wikipedia
初期チーム名称はアルフ・ライラ・ワ・ライラで、女性4人組ユニットでありライブ活動を行っていた時期もあった。後期には男性メンバーが加わったこともあり、例として『ストリートファイターII』の曲はほとんどが一人の女性(下村陽子)によって作曲されているが、サガットの曲など一部のみ男性(阿部功)が担当した。また、Alfh Lyraという名義であったこともある。
名前の由来は『千夜一夜物語』からであるが、中期に現在の名称に短縮した。ただし、ALPH LYLAではアラビア語として間違いではないものの「千の夜」という意味になってしまい、由来との関連はなくなっている。
主に『ストリートファイターII』のゲームミュージックなどで知られるが、同様にFM音源を使用したカプコンCPシステムのほぼ全てのゲームミュージックを担当している。初期CPシステムの同時発音数の少ない音源を最大限に駆使し、エジプト面やパイプオルガンの荘厳なBGMで世界観の構築に貢献した『ロストワールド』、『ストライダー飛竜』、また後に音源が強化され映画音楽的で活劇を盛り上げた『天地を喰らう2』に至るまで、音源の進化にもいち早く対応している。
引用:wikipedia
via vgmdb.net
Alph Lyla Live - Street Fighter II Medley (Full, High Quality) @ GMF 1992 - YouTube
Set your Roland D-50 to stun, it's Alph Lyla/Alfh Lyra/Alpha Lyla with the full, 9 minute version of the SF II medley, live at the Game Music Festival 1992. ...
via www.youtube.com
1987年7月に稼働開始したセガのアーケードゲーム『アフターバーナー』に関連し、同年12月にサンシャインシティでイベント「アフターバーナー・パニック」を開催。そのイベントにて、セガのサウンド開発者によるバンドがライブを行い、これが同バンドの前身となる。
1988年発売のアルバム『GALAXY FORCE -G.S.M.SEGA 1-』にてデビュー。ただしこの時は松前と並木の2人のみで、その2人も名は前面に出していなかった。翌1989年、セガがイベント「メガドライブ スパークリング1989」を開催、そのステージでバンドとしてデビューを果たす。飯島・小森・田辺は松前が声をかけ、それにセガ社員の宮内(Hiro)と並木が加わる編成となった。
引用:wikipedia