【S.S.T.BAND】ゲームメーカーのバンドが熱かった!【ZUNTATA】
2016年9月8日 更新

【S.S.T.BAND】ゲームメーカーのバンドが熱かった!【ZUNTATA】

ゲーム音楽がめっちゃ熱かったあの頃。素晴らしいサウンドに酔いしれていたあの頃。ハードの性能が飛躍的に進歩した今と違って、当時の音楽的表現には様々な制約がありましたが、それが各社の個性にもなっていました。ゲーム会社のバンドの結成は必然だったと言えるでしょう。

2,420 view
1980年代~1990年代はゲーム業界の進化と発展が著しかったですが、それは同時にゲーム音楽の進化と発展の歴史でもありました。1980年代後半からは様々なゲームメーカーからバンドが結成され、華々しい活躍を見せてくれました。

ではどの会社からどんなバンドが結成されていたのでしょうか。

S.S.T.BAND

SEGA

SEGA

「S.S.T.」とは「Sega Sound Team」の略であり、アルバム『SUPER SONIC TEAM』からは「Super Sonic Team」の略でもある。

1987年7月に稼働開始したセガのアーケードゲーム『アフターバーナー』に関連し、同年12月にサンシャインシティでイベント「アフターバーナー・パニック」を開催。そのイベントにて、セガのサウンド開発者によるバンドがライブを行い、これが同バンドの前身となる。
1988年発売のアルバム『GALAXY FORCE -G.S.M.SEGA 1-』にてデビュー。ただしこの時は松前と並木の2人のみで、その2人も名は前面に出していなかった。翌1989年、セガがイベント「メガドライブ スパークリング1989」を開催、そのステージでバンドとしてデビューを果たす。飯島・小森・田辺は松前が声をかけ、それにセガ社員の宮内(Hiro)と並木が加わる編成となった。

引用:wikipedia

S.S.T Band - Space Harrier (Game Music Festival '91) - YouTube

Sega Sound Team Live From SST Band ~Live History~ DVD.

SST Band - After Burner - YouTube

At The Game Music Festival 90

Blind Spot Live - S.S.T. Band - 2012 Club Phase - YouTube

 並木晃一さん率いるBlind Spotのワンマンライブが、9月29日に東京都・高田馬場にあるCLUB PHASEで開催された。

 Blind Spotは、セガのS.S.T.BANDを前身とするゲームミュージックアレンジバンド。S.S.T.BANDは、1993年に開催された“ゲームミュージックライブ 電撃’93”のステージを最後に解散していたが、2011年の夏に“ほぼS.S.T.BAND”であるBlind Spotとして活動を開始した。

 今回のライブは、神戸、名古屋、東京という3会場ツアーのラストを飾るもの。会場のCLUB PHASEは来場したファンにより、満員御礼状態となっていた。

 ライブの開幕を飾ったのは、S.S.T.BANDの6thアルバム『BLIND SPOT』から、『Wave Motion』と『I can Survive』の2曲。開幕のあいさつを挟んで、並木さんによる「“う”に点々で?」のコールから始まったのは、もちろん『Vermillion』。そこから『R360』、『ゴールデンアックス』の『Wilderness』と、熱いナンバーの連続によって会場が大いに盛り上がった。

引用:http://dengekionline.com/elem/000/000/542/542252/

ZUNTATA

TAITO

TAITO

ZUNTATA(ズンタタ)とは、タイトーのサウンド開発部門の総称である。三拍子を口ずさむ「ずん、たっ、たっ」を捩った名称である。

タイトーのサウンド開発部門が1983年に発足し、『ダライアス―TAITO GAME MUSIC VOL.2』(アルファレコード・GMOレーベル、1987年)で初めてこの名称が使われた。
1988年、サイトロンレーベル(サイトロン・アンド・アートとポニーキャニオンの共同による)に移籍。6月に同レーベル最初の作品でもある『ニンジャウォーリアーズ -G.S.M.TAITO 1-』を、引き続きZUNTATA名義でリリースする。

後にHAGGYやばびーらによるZUNTATA-J.A.M.(Junky As Machine)なるユニットも組まれ、電車でGO!シリーズのイメージソング等を歌った。
1996年10月、タイトーの社内レーベル「ZUNTATA RECORDS」を設立。
他社作品への楽曲提供も稀に行っており、1997年の『ガメラ2000』(デジタルフロンティア)を皮切りに、『ダークラビリンス』(エイチーム)などへの楽曲・効果音の提供が行われている。
2005年、タイトーがスクウェア・エニックス・ホールディングスの子会社となった後、全盛期スタッフの退社が相次ぎ規模は縮小しているが、従来のサウンド開発業務は遜色無く行われている。ゲームサウンド開発の他に、着信メロディ制作やモバイルサイト、イベントの企画など音に関連した多彩な業務を行っている。

引用:wikipedia

Zuntata - Captain Neo (Darius I) - YouTube

Game Music Festival

Zuntata - Daddy Mulk (Ninja Warriors) - YouTube

Game Music Festival 1990

Zuntata - Urban Trail (Night Striker) - YouTube

Game Music Festival 1990

Zuntata - Olga Breeze (Darius II) - YouTube

Game Music Festival 1990

コナミ矩形波倶楽部

KONAMI

KONAMI

コナミ矩形波倶楽部(コナミくけいはくらぶ)は、1990年代に日本のコンピュータゲームメーカー・コナミ(→コナミデジタルエンタテインメント)で活躍していたサウンドチームの総称およびバンド、バンドにはコナミのゲーム音楽を担当していたメンバーが在籍していた。

矩形波倶楽部が存在していた時期のコナミ音楽は非常に評価が高く、前述のゲームメーカーの作品音楽と並んで当時起こったゲームサウンドブームの一角を担っていた。特にファミコンやMSXなど向けにソフトが開発されていた1980年代には音源開発にもコナミは力を入れており、MSXの『グラディウス2』などに見られるようなSCC、ファミコンの『悪魔城伝説』、『魍魎戦記MADARA』、『エスパードリーム2』に搭載しているVRC VI(パルス波2ch+鋸波1ch)、同じくファミコンの『ラグランジュポイント』に搭載されているVRC VII(FM音源をファミコンでも使用できるようにした)など、独自の音源をROMカセット及びROMカートリッジに搭載していたほどだった。

その後ゲームミュージック作曲者の知名度やゲームミュージック自体の地位の向上もあって、1996年以降のサウンドトラックやアルバムから「矩形波倶楽部」の名前は消え始め、作曲者(あるいは編曲者)の名前がクレジットされるようになった。加えて1990年代後半以降、バンド結成当時のスタッフもほとんどコナミを退社しており、矩形波倶楽部最後の主要メンバーであった古川もとあきの退社をもって消滅した。

引用:wikipedia

矩形波倶楽部 - YouTube

LIVE演奏

矩形波倶楽部2 - YouTube

コナミレーベルファンの集い

ゲーマデリック

データイースト

データイースト

GAMADELIC(ゲーマデリック)は、旧データイーストのサウンドチーム名、またその関係者によるバンド。

名称は「ゲーム」と「デリシャス」を混ぜ合わせた造語で「ゲームをデリシャスにしよう」というところから来ている。他の候補には「オー・マイ・デコ」などもあった。
1990年2月に発売された『ヘラクレスの栄光II』サウンドトラックにて、MAROのギターとATOMIC花田のベース、N'GJA三浦の打ち込みドラムが初合奏。同年5月発売の『空牙』サウンドトラックには、三人の生演奏によるアレンジが収録され、これが実質的なデビューとされている。

翌年7月「ゲームミュージックフェスティバル'91」で、ゲーマデリックを名乗りライブに初登場。同年8月には、ゲーマデリック名義初のCD『サンダーゾーン』を発売する。
他社のバンドがそれぞれ独自の音楽性を追求する中、ゲーマデリックは異端のコミックバンド路線を歩む。中心人物・MAROは「地球征服にやってきたドロロン星人」という設定で、普段はドロロン星に住んでいると称していた。

サウンドの傾向としては、『空牙』や『水滸演武』のディストーションギターなどに代表される熱い曲調のものが多い。データイースト製のゲームは奇抜な作風で知られるが、ゲーマデリックもまたその特徴的な熱さで目立った存在だった。
演奏技術は高く、ジャズからラップまで何でも器用にこなす演者として人気を博した[5]。また、原宿RUIDOでの単独ライブを4回も行っている。
1997年頃より、メンバーが相次いでデータイーストを退社し、バンド活動も徐々に縮小。1999年11月にはデータイーストが和議申請を行い、実質的にゲーム事業から撤退したことで、一旦活動は停止したと見られる。

1997年には同時期のメンバーに女性コーラス2名を加えた別バンド「スーパーデリック」を結成し、ミニアルバム『AH!LA!LA!』をインディーズにて発売している。この音源は、2006年発売のゲーマデリックのベストアルバムにも収録された。
2003年に母体となるデータイーストが倒産し、以後活動停止状態にあったが、2013年2月に活動再開を発表、同年8月2〜3日に『ゲームミュージック トリビュートライブ』にて復活ライブが行われた。

引用:wikipedia

Gamadelic:カルノフが街にやってきた(1995) - YouTube

95年原宿ルイードライブより「カルノフが街にやってきた」。Mr★K謹製CG(AMIGAで作成)が見どころです。「防護服」!

Gamadelic:空牙-Vapor Trail-(1996) - YouTube

96年ルイードライブのアンコール。ハンディカメラで収録された貴重な映像です。
37 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【高音ボーカリスト・邦楽男性編】カラオケで高音ボーカルに挑戦して玉砕!そんな経験ありませんか?高音域を攻めるアーティストたち。

【高音ボーカリスト・邦楽男性編】カラオケで高音ボーカルに挑戦して玉砕!そんな経験ありませんか?高音域を攻めるアーティストたち。

80年代から90年代、日本の音楽シーンでは高音域を歌うアーティストが次々に登場しました。そして楽曲を聴いて、カラオケで挑戦しては玉砕した私たち。あれもこれも原曲キーで歌えたらどんなに気持ちいいか、なんて思いましたね。そんなアーティストたちの表現する高音域を示しているサイトが「音域.com」。こちらのサイトを拝見し、あの頃によく聴いてよく歌ったアーティストたちの平均高音域をみていきましょう。
青春の握り拳 | 126,578 view
【高音ボーカリスト・邦楽女性編】どこまでも続くハイトーンボイス!カラオケで歌える女性に惚れた!そんな経験ありませんか?高音域を攻めるアーティストたち。

【高音ボーカリスト・邦楽女性編】どこまでも続くハイトーンボイス!カラオケで歌える女性に惚れた!そんな経験ありませんか?高音域を攻めるアーティストたち。

80年代から90年代、日本の音楽シーンでは高音域を歌うアーティストが次々に登場しました。可聴領域の限界に近いんじゃないか?なんて感覚にすらさせられたハイトーンボイスの数々、カラオケで歌える女性には驚嘆したものです。そんなアーティストたちの表現する高音域を示しているサイトが「音域.com」。こちらのサイトを拝見し、あの頃によく聴いてよく歌ったアーティストたちの平均高音域をみていきましょう。
青春の握り拳 | 106,507 view
1989年に解散した!!日本のバンド・グループ・ユニットまとめ!!

1989年に解散した!!日本のバンド・グループ・ユニットまとめ!!

1989年に解散した日本の芸能グループ、バンド、音楽ユニットを年代順にまとめてみました。何回も解散と再結成を行っているバンドは最終的に解散した年を記しています。
ギャング | 7,328 view
1987~1988年に解散した!!日本のバンド・グループ・ユニットまとめ!!

1987~1988年に解散した!!日本のバンド・グループ・ユニットまとめ!!

1987~1988年に解散した日本の芸能グループ、バンド、音楽ユニットを年代順にまとめてみました。何回も解散と再結成を行っているバンドは最終的に解散した年を記しています。
ギャング | 10,081 view
1986年に解散した!!日本のバンド・グループ・ユニットまとめ!!

1986年に解散した!!日本のバンド・グループ・ユニットまとめ!!

1986年に解散した日本の芸能グループ、バンド、音楽ユニットを年代順にまとめてみました。何回も解散と再結成を行っているバンドは最終的に解散した年を記しています。
ギャング | 3,422 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト