総合格闘家としてのデビュー
編集部)
総合格闘家としてのデビューはどういった状況だったんでしょうか。最初の頃からプロを意識されていたのでしょうか。
総合格闘家としてのデビューはどういった状況だったんでしょうか。最初の頃からプロを意識されていたのでしょうか。
中村K太郎選手)
アマチュアの試合に出てからプロを意識し出したかもしれません。JTC(Japan Totalfight Championship)という大会で優勝して、和術慧舟會の自前でやってた大会「DEMOLITION」※3でプロデビューした感じですね。その実績を買われて、修斗に参戦していく流れでした。
19歳でプロになったので、割と早い時期から意識してたかもしれないですね。プロって言ってもハードルが低かったのかも知れませんけど(笑)
アマチュアの試合に出てからプロを意識し出したかもしれません。JTC(Japan Totalfight Championship)という大会で優勝して、和術慧舟會の自前でやってた大会「DEMOLITION」※3でプロデビューした感じですね。その実績を買われて、修斗に参戦していく流れでした。
19歳でプロになったので、割と早い時期から意識してたかもしれないですね。プロって言ってもハードルが低かったのかも知れませんけど(笑)
編集部)
大学を卒業されるタイミングなどで就職とかは意識されなかったんですか?
大学を卒業されるタイミングなどで就職とかは意識されなかったんですか?
中村K太郎選手)
就職ってのは頭の片隅にはありましたが、就職活動はしたことなかったですね。なので職歴は全く無しになります。周りの同級生が就職活動している時期は、修斗の環太平洋タイトルマッチ※4とかの時期だと思います。
大学も実家からちょっと遠かったので、あまり通ってなかったですね。大学の試験日と試合の日が被ったので、大学の先生に単位をお願いしたんですが、「学外の予定でしょ」ってあっさり却下されました。単位は頑張って取りましたね。
そういえば、警察官になろうと思って試験受けたことありました。1次試験は受かったんですが、2次試験で落とされたんですが、受かってたら警察官になってたかもしれません(笑)
就職ってのは頭の片隅にはありましたが、就職活動はしたことなかったですね。なので職歴は全く無しになります。周りの同級生が就職活動している時期は、修斗の環太平洋タイトルマッチ※4とかの時期だと思います。
大学も実家からちょっと遠かったので、あまり通ってなかったですね。大学の試験日と試合の日が被ったので、大学の先生に単位をお願いしたんですが、「学外の予定でしょ」ってあっさり却下されました。単位は頑張って取りましたね。
そういえば、警察官になろうと思って試験受けたことありました。1次試験は受かったんですが、2次試験で落とされたんですが、受かってたら警察官になってたかもしれません(笑)
編集部)
順調なプロ格闘家としての実績を積んでいらっしゃるように見えますが、デビュー以来大変だったこととかありますか?
順調なプロ格闘家としての実績を積んでいらっしゃるように見えますが、デビュー以来大変だったこととかありますか?
中村K太郎選手)
プロデビューまでは特に苦労はありませんでしたね。プロデビューしてからは、周りの社会人の方に比べると収入は少なかったと思うので、若干苦しい時期と言えば苦しい時期だったかもしれません。ただ、当時は実家暮らしだったんで、その日のご飯が食べられないとかは無かったです(笑)
デビュー戦のギャラも3万円くらいだったので、格闘家としての収入は最初は少なかったですね。当時からグラップリングの大会は賞金が出たりしたので、賞金目当てにグラップリング出たりしました。
プロデビューまでは特に苦労はありませんでしたね。プロデビューしてからは、周りの社会人の方に比べると収入は少なかったと思うので、若干苦しい時期と言えば苦しい時期だったかもしれません。ただ、当時は実家暮らしだったんで、その日のご飯が食べられないとかは無かったです(笑)
デビュー戦のギャラも3万円くらいだったので、格闘家としての収入は最初は少なかったですね。当時からグラップリングの大会は賞金が出たりしたので、賞金目当てにグラップリング出たりしました。
※3:「DEMOLITION」2002年に新鋭選手の登竜門としてGCMが打ち出した総合格闘技イベント。宇野薫選手や五味隆典選手などレジェンドも参戦していた
※4:2006年7月21日に行われた修斗環太平洋ミドル級王座決定戦に出場。対戦相手はロナルド・ジューンで1R・スリーパーホールドで1本勝ちしている。
※4:2006年7月21日に行われた修斗環太平洋ミドル級王座決定戦に出場。対戦相手はロナルド・ジューンで1R・スリーパーホールドで1本勝ちしている。
そして、UFCに21歳で参戦。一度は引退を表明…するも現役を継続へ
編集部)
そして、2006年にUFCに参戦されています。その時はどのような形での参戦だったんでしょうか。
そして、2006年にUFCに参戦されています。その時はどのような形での参戦だったんでしょうか。
中村K太郎選手)
最初のUFC参戦当時はまだ21歳とかでしたね。国内で1本勝ちとかが多かったので、UFC側にアピールが認められて出られた感じですかね。マネージャーとか一生懸命に売り込んでくれたおかげでUFCと契約できたと思ってます。契約してからは、試合のオファーを待つ感じでした。
最初の試合は、海軍の基地でやったのを覚えてますね。試合自体は緊張もそこまでしてなかったような気がします。
最初のUFC参戦当時はまだ21歳とかでしたね。国内で1本勝ちとかが多かったので、UFC側にアピールが認められて出られた感じですかね。マネージャーとか一生懸命に売り込んでくれたおかげでUFCと契約できたと思ってます。契約してからは、試合のオファーを待つ感じでした。
最初の試合は、海軍の基地でやったのを覚えてますね。試合自体は緊張もそこまでしてなかったような気がします。
編集部)
UFC参戦後、突然の引退表明となりますが、この時はどのような心境だったんでしょうか。
UFC参戦後、突然の引退表明となりますが、この時はどのような心境だったんでしょうか。
中村K太郎選手)
宇野さん※5が3連敗したら辞めるって言ってたんで、そういう考え方もあるんだと思っていたのが大きいですね。負けた直後とかは、もういいやってなってました。
ただ、練習自体は続けていて、グラップリングの試合には出たりとか、指導しながら細々と格闘技を続けようかとも考えてたんですが、周りからの後押しで続けることを選びました。
宇野さん※5が3連敗したら辞めるって言ってたんで、そういう考え方もあるんだと思っていたのが大きいですね。負けた直後とかは、もういいやってなってました。
ただ、練習自体は続けていて、グラップリングの試合には出たりとか、指導しながら細々と格闘技を続けようかとも考えてたんですが、周りからの後押しで続けることを選びました。
編集部)
修斗~UFC~DERAM~SRC~RIZINと様々な団体に参戦し、戦いを続けていらっしゃいますが、その中でも印象に残っている試合を教えてください。
修斗~UFC~DERAM~SRC~RIZINと様々な団体に参戦し、戦いを続けていらっしゃいますが、その中でも印象に残っている試合を教えてください。
中村K太郎選手)
1本とかKO負けした試合は、結構覚えてますね。キム・ジャンヨン戦※6(2008年11月8日のCAGE FORCE EXで対戦)に負けてる試合ですね。この試合はライト級で出てたので、水抜きがきついとKO負けしやすいってのを感じました。唯一のKO負けなんで忘れられないですね。あとは、村山さんに1本負けした試合※7(2011年9月23日の修斗 SHOOTOR’S LEGACY 04)とか。これも日本人に唯一負けてるんで。
フランク・カマチョ(2014年2月28日のPXCで対戦)※8にも負けてるんですが、これは手前味噌ですが面白い試合になったと思います。結構頑張ったんで(笑)この後、カマチョはUFCに行くんですが、計量オーバー何回もかましてるんですけどね(笑)
やっぱり負けた試合の方が印象に残りますね。
1本とかKO負けした試合は、結構覚えてますね。キム・ジャンヨン戦※6(2008年11月8日のCAGE FORCE EXで対戦)に負けてる試合ですね。この試合はライト級で出てたので、水抜きがきついとKO負けしやすいってのを感じました。唯一のKO負けなんで忘れられないですね。あとは、村山さんに1本負けした試合※7(2011年9月23日の修斗 SHOOTOR’S LEGACY 04)とか。これも日本人に唯一負けてるんで。
フランク・カマチョ(2014年2月28日のPXCで対戦)※8にも負けてるんですが、これは手前味噌ですが面白い試合になったと思います。結構頑張ったんで(笑)この後、カマチョはUFCに行くんですが、計量オーバー何回もかましてるんですけどね(笑)
やっぱり負けた試合の方が印象に残りますね。
編集部)
今までの対戦相手で一番強かったと感じた選手はいますか?
今までの対戦相手で一番強かったと感じた選手はいますか?
中村K太郎選手)
やっぱりロレンズ・ラーキン(2019年12月29日のBellator JAPANで対戦・判定負け)ですかね。ホルヘ・マスビダル(UFCウェルター級7位)にも勝ってる強い選手でした。打撃の鋭さ、早さ、強さが違いました。初めて眼下底骨折させられましたからね。
やっぱりロレンズ・ラーキン(2019年12月29日のBellator JAPANで対戦・判定負け)ですかね。ホルヘ・マスビダル(UFCウェルター級7位)にも勝ってる強い選手でした。打撃の鋭さ、早さ、強さが違いました。初めて眼下底骨折させられましたからね。
編集部)
個人的な中村K太郎選手のベストバウトは、リー・ジンリャン選手との一戦(2015年9月27日にUFC Fight Nightで対戦・3Rリアネイキッドチョークで1本勝ち)だと思っています。この試合はずっと押されてた展開でしたが、どのような心境で戦っていらっしゃったんですか?
個人的な中村K太郎選手のベストバウトは、リー・ジンリャン選手との一戦(2015年9月27日にUFC Fight Nightで対戦・3Rリアネイキッドチョークで1本勝ち)だと思っています。この試合はずっと押されてた展開でしたが、どのような心境で戦っていらっしゃったんですか?
中村K太郎選手)
ボコボコでしたね。やられてる最中、ずっとやばいと思いながら闘ってました。これはこのまま負けると思いながらですよ。
相手も一瞬楽しようと思ったのか、安全に打撃から組みで潰して終わろうとしてきた時に自分の得意な動きがハマった瞬間があったのでうまくハマって勝てました。キャリアの中では一番盛り上がった試合です。やっぱり試合が盛り上がると気持ちいいですね。
ボコボコでしたね。やられてる最中、ずっとやばいと思いながら闘ってました。これはこのまま負けると思いながらですよ。
相手も一瞬楽しようと思ったのか、安全に打撃から組みで潰して終わろうとしてきた時に自分の得意な動きがハマった瞬間があったのでうまくハマって勝てました。キャリアの中では一番盛り上がった試合です。やっぱり試合が盛り上がると気持ちいいですね。