「400戦無敗の男」ヒクソン・グレイシーは本当に強いのか?
2016年11月25日 更新

「400戦無敗の男」ヒクソン・グレイシーは本当に強いのか?

90年代後半に格闘技やプロレスファンだった者ならば、高田がやられ船木が倒されたこの男を知らないはずもありません。「400戦無敗の男」ヒクソン・グレイシー。彼は本当に400戦無敗だったのでしょうか。

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メディアに登場してからは11戦11勝

ヒクソン・グレイシー

ヒクソン・グレイシー

ヒクソン・グレイシー(Rickson Gracie、男性、1959年11月21日 - )は、ブラジルの柔術家、総合格闘家。リオデジャネイロ州出身。ヒクソン・グレイシー柔術所属。グレイシー柔術八段。

グレイシー柔術の創始者エリオ・グレイシーの三男。息子のクロン・グレイシーも柔術家、総合格闘家である。

日本においては、総合格闘技の試合で高田延彦や船木誠勝など著名なプロレスラー、格闘家を相次いで破った。

バーリ・トゥードルール、いわゆる「なんでもあり」の試合、グレイシー柔術の技術を使っていたとはいえ、相手をテイクダウンし、マウントパンチで攻撃、最後は絞め技や関節技に持っていくというスタイルを使っていた。
対戦相手 勝負タイム 決まり手 対戦日
船木誠勝 1R 11:46 チョークスリーパー 2000年5月26日
高田延彦 1R 9:30 腕ひしぎ十字固め 1998年10月11日
高田延彦 1R 4:47 腕ひしぎ十字固め 1997年10月11日
中井祐樹 1R 6:22 チョークスリーパー 1995年4月20日
木村浩一郎 1R 2:07 チョークスリーパー 1995年4月20日
山本宜久 3R 3:49 チョークスリーパー 1995年4月20日
バド・スミス 1R 0:39 TKO(マウントパンチ) 1994年7月29日
ダビッド・レビキ 1R 2:40 KO(マウントパンチ) 1994年7月29日
西良典 1R 2:58 チョークスリーパー 1994年7月29日
レイ・ズール 1R チョークスリーパー 1984年1月1日
レイ・ズール 1R 11:55 チョークスリーパー 1980年4月25日


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ヒクソン無敵の秘密 ヒクソン・グレイシー王者の真実 - YouTube

「偉大なる格闘家」としての賞賛を浴びる。

衝撃的だった船木誠勝の敗退

「コロシアム2000」でヒクソン・グレイシーと対戦し、パンチによりヒクソンの左眼窩底を骨折させるも、チョークスリーパーで失神負け。

試合後に「格闘技は勝負は1回だけなので、失神したら終わりですから。潔く足を洗う決心をしました」と引退を表明。

船木誠勝VSヒクソン・グレイシー - YouTube

「死ぬかと思った」と述懐。

後に全日本プロレスで現役復帰しました

高田延彦は2戦2敗、酷評をうけてしまうことに

UWFインター時代の同門の安生洋二がヒクソン・グレイシーに道場破りを仕掛けるも返り討ちにあった因縁の結果、PRIDE創生期に選手として活動、ヒクソン・グレイシーと2度対戦(PRIDE.1、PRIDE.4)するが敗退。

特に初戦において、エースクラスの日本人レスラーの総合格闘技での敗北はこれが最初でありプロレスファンの深い失望を招くとともに、A級戦犯としてプロレスマスコミからバッシングを受け、さらにアントニオ猪木からは「よりによって一番弱い奴が出て行った」と酷評される。

Rickson Gracie vs Takada - 1997 - YouTube

当時UWFインターで「最強」を謳っていたため、連敗はプロレスファンの失望を誘いました

ホイス・グレイシーの発言がきっかけ

ヒクソン・グレイシーの腹違いの弟

ヒクソン・グレイシーの腹違いの弟

幼い頃からブラジリアン柔術を学び、18歳でエリオ・グレイシーから黒帯を授与された。

黒帯授与後はヒクソンやホリオンが住むアメリカ合衆国に移住し、1993年から開催された総合格闘技大会「UFC」で3度の優勝を果たした。
1993年、UFCの開催が決まった際にヒクソンは一族を代表して出場することを強く希望するものの実兄のホリオンによって却下される。

結局、弟ホイスのセコンドでサポートにまわることに合意する。そのUFCにおいて優勝したホイス・グレイシーが「兄ヒクソンは私の十倍強い」と発言。

「400戦無敗」は誇張表現

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