【ボーイング747】空の大量輸送時代を切り開いた名機「ジャンボジェット」はどんな飛行機だったのか?
2018年2月5日 更新

【ボーイング747】空の大量輸送時代を切り開いた名機「ジャンボジェット」はどんな飛行機だったのか?

思い出に残る旅客機は?と聞かれたら、私たちの世代では誰もが皆、「ジャンボジェット(B747)」と答えるのではないだろうか? 私も何度もいろいろな場面で「ジャンボジェット」のお世話になった一人だ。しかし惜しいかな4年程前にJALやANAなどの日本の航空業界から旅客用のジャンボが見えなくなってしまったのだ。そんな名機「ジャンボジェット」の足跡を振り返って見よう!!

4,246 view

もう一つ、特記すべきは最新技術を惜しげもなく利用していること

ボーイング747のコックピット(操縦席)

ボーイング747のコックピット(操縦席)

コクピットにも新しい機構や技術が数多く採用され、運航技術面での進歩ももたらされた。例えば民間航空機では747で始めて装備されたのが、INS(慣性航法装置)である。大陸間弾道ミサイルや潜水艦の誘導に使われていた技術を民間航空機に応用されたもので、コンピュータと連動して飛行位置を算出し、入力されたフライトプランに従って目的地まで誘導してくれる画期的システムだ。コクピットでの複雑な計器類や飛行制御作業も簡素化され、正副2人のパイロットと1人のエンジニアの3人だけでこの巨人機を安全運航できるようになった。

日本ではジャンボ747-400が馴染深い!!

日本航空 747-400(2011年に退役)

日本航空 747-400(2011年に退役)

私が初めて乗った時、翼の先端部が折れ曲がっていたので”びっくり”した覚えがある。
「ジャンボ機」と一口に言っても、その機種にはいろいろである。747-100/-200/-300は「クラシックジャンボ」とも呼ばれ、いずれも黎明期に活躍した機種だ。世界でも最多の計100機を超える747を導入したJALは「ジャンボ機王国」などとも揶揄されたりもしたが、その中でもさまざまな機種が存在した。-100の1号機がJALに納入されたのはパンナムが初就航させたのと同じ1970年の4月。その-100のエンジンを改良し、航続性能を高めたモデルが-200Bで、長い航続距離を生かして米国への直行便などに投入された。クラシックジャンボの最終モデルとなったのが、旧型の2階席を後方に約7メートル延長した747-300だ。2階席だけで最大63名の乗客が乗れるようになり、このボディの形はのちの-400にも引き継がれていくことになる。

日本の航空ファンに最も馴染の深いのが、いわゆる「テクノジャンボ」といれる747-400だろう。主翼先端に装備された空気抵抗を軽減させるためのウイングレットがシンボルマークだった。操縦席はブラウン管による多機能表示ディスプレイを多用したグラスコクピットになり、正副2名のパイロットだけでの運航が可能になった。エンジンもより高性能化して航続距離がさらに伸び、エアライン各社は長距離国際線の主力機材として747-400を活用したのだ。

技術の進歩と機体の老朽化には勝てず!!

エミュレーツ航空のエアバスA-380

エミュレーツ航空のエアバスA-380

世界初の総2階建てジェット旅客機である。完成披露の時点ではボーイング747を抜いて、史上最大・世界最大の旅客機である。初飛行は2005年4月27日。初飛行から10年後の2015年末時点で、エアバス社は中東や東南アジア地域を中心に300機を超える受注を獲得しており、この時点でA380プロジェクト全体としての損益分岐点に到達し、計画全体での黒字化に成功したと発表された。2016年10月現在、4発エンジンのワイドボディ旅客機としては同社の民間航空機部門で唯一生産されている機体である。
長期にわたって、キャパシティ、航続距離で他の追随を許さなかったが、1990年代から技術革新による高性能な新型機体が登場したことにより、キャパシティの面ではボーイング777-300やエアバスA340-600にほぼ並ばれて、航続距離ではボーイング777-200LRやエアバスA340-500などに抜かれている。さらに、2005年1月、エアバスA380が出現したことにより、唯一世界一を保っていたキャパシティでも追い抜かれてしまった。また、形状やエンジンの問題により、747-100/200/300、そして-400も、エアバスA330やA380、ボーイング777、787と比べると燃費の面ではかなり劣るという。
航空会社では機体の更新時期が迫っているのに加え、原油価格の高騰で燃費の良い双発機に切り替えたり、さらにボーイング777や767、エアバスA330などの双発機でもETOPSを取得することで長距離洋上飛行が可能になったことや、各国で空港設備が充実したことなどにより、大型機のフライト数を減らして中小型機で多頻度運航する動きが広がっている現状である。

[Boeing 747-8]ルフトハンザドイツ航空 (Lufthansa)Haneda RWY34R!!羽田空港!!

ルフトハンザドイツ航空は羽田/フランクフルト線で、747-8による運航を行っているそうだ。
2011年3月、JALのジャンボ機が多くのファンに惜しまれながら姿を消した。ANAが運航している最後の2機も、2014年3月31日に那覇発12時35分、羽田着15時のNH126便がラストフライトだった。
しかし、747の歴史がこれですべて終わった訳ではない。海外では継続して747-400を長距離国際線の主力機材として活用しているエアラインも多く、デルタ航空などは最新のビジネスクラスシートを成田-ニューヨーク線で運航している。私も機会があれば、もう一度乗って見たいものだ。
31 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • ka-zu 2019/1/27 21:46

     小学3年生の時、父に連れられて東京に遊びに行った時に乗ったのが最初。父はジャンボ機の「目玉」でもある2階席をとってくれ、機内の螺旋階段を上がるとそこは多くの座席が並んだ1階とは全く違う、プライベートジェットのような独特の雰囲気があったのを40年ほどたった今でも(うっすらとではありますが)覚えています。以来、僕が乗ったのはわずか10回ほどですが、「ジャンボ機に乗る」ということは他の飛行機にはない、独特の楽しさがあるのではないでしょうか。似たような形の没個性的な(?)飛行機ばかりの中、機首部分だけの2階席やエンジンが4つついたそのフォルムは飛行機に詳しくない人でもすぐにわかる特徴ですよね。新しい航空ファン、旅行者の獲得のためにも、少しでも長く飛び続けて欲しいです。
     僕は今でも、空の王者はボーイング747だと思っています。そうだよな、みんな。






     

    すべてのコメントを見る (1)

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

イラン・イラク戦争の最中、空港に取り残された日本人をトルコの航空機が救出した感動秘話

イラン・イラク戦争の最中、空港に取り残された日本人をトルコの航空機が救出した感動秘話

皆さんは、1980年から1988年にかけてイランとイラクの間で行われた戦争を覚えていますか?この時危険な状態となったイランから、各国の人たちは早急に国外に脱出をしたのですが、救援機を手配できない日本は、遂に邦人の救援を断念。取り残された邦人215人が、命の危機に襲われたのでした。この時、自国民より優先して日本人のために救援機を派遣してくれたのがトルコだったのです。
五百井飛鳥 | 537 view
【マクドネル・ダグラス DC-10】ワイドボディの3発式ジェット旅客機のこと、覚えてますか?!

【マクドネル・ダグラス DC-10】ワイドボディの3発式ジェット旅客機のこと、覚えてますか?!

アメリカン航空の要請で中距離用の双発ジェット機を開発する過程で、エンジンの信頼性がイマイチなため、エンジンをもう一つ垂直尾翼内(胴体上)に一直線上に追加配置させる離れ業のような設計を施し、生まれたDC-10。そんなDC-10の思い出を振り返って見よう!!
【ボーイング727】短い滑走路の地方空港で活躍したイケメン飛行機

【ボーイング727】短い滑走路の地方空港で活躍したイケメン飛行機

私たち世代の飛行機といえばなんといってもジャンボジェットB747ですが、制動距離が長いため、747が離着陸できない空港もありました。そのような路線に活躍した、特徴のある形をした航空機ボーイング727。新幹線網の整備により追い出されてしまいましたが、その名機を振り返ってみます。
ジバニャンLOVE | 7,140 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト