ピーター・アーツ 20世紀最後の暴君の戦記
2016年11月25日 更新

ピーター・アーツ 20世紀最後の暴君の戦記

初期のK-1で、まさに暴れ回っていたピーター・アーツは、まだ専門学校生。まさに「怪童」でした。以後、毎年、年末に行われていたK-1グランプリで2連覇を含めて3度優勝。40歳を超えてもリングに上がり続け、本当に多くのファイターと戦い、名勝負、名KOシーンを創出し、6度もK-1グランプリのファイナリスト(決勝戦進出)となりました。その飽くなき闘争心で、総合格闘技戦も行っています。2013年には、そのインタービュー記事が巨大な広告となって渋谷駅に掲出されました。

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1990年2月、初のAクラスの試合は、当時、世界チャンピオンだったアンドレ・マナートと、代理選手としての対戦だった。
判定負けしたものの世界チャンピオン相手に準備もせずに戦えたことが自信となった。
そしてその後は3連勝(2KO)した。
.しかしこの頃、ピーター・アーツとエディ・シュムーダーズの関係が悪化していた。
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1990年11月、アンドレ・マナート戦から9ヵ月後、かつて世界チャンピオンにもなったヤン・ヴェッセルスとの試合が行われた。
しかしこのときピーター・アーツはコーチが不在だった。
1人でいるピーター・アーツに数々のチャンピオンを生み出していたチャクリキジムのトム・ハーリック会長が声をかけた。
トム・ハーリックは公式レセプションのために正装していたが、ピーター・アーツのコーチを引き受け、スーツを着たままウォーミングアップを手伝い、汗をかきながらコーチをした。
ピーター・アーツは、試合には敗れたものの、こんなに素晴らしいコーチをしてもらったことはなかった。
「このとき私はトムと一緒に練習しようと決めたのです
それ以来今日に至るまでトムは私の先生です」
via レジェンド オランダ格闘家列伝

チャクリキジム(Dojo Chakuriki)

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アムステルダムのチャクリキジムの練習は厳しかった。
常にたくさんの強い選手が練習に励み、ハードなスパーリングをした。
さらに試合がある選手には特別メニューが組まれた。

黒い野獣、フランク・ロッブマン

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1991年11月18日、ピーター・アーツはフランク・ロッブマンと対戦した。
フランク・ロッブマンは、一撃必殺のフックと重いローキックでKO率は97%で、ニックネームは「黒い野獣」
ピーター・アーツは
「何とか勝ったけれど、もの凄く大変な試合だった」
と語っている。

LUMBERJACK ランバージャック

きっかけはマーク・ラッセル(Mark Russell)戦

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イギリスのマーク・ラッセルと戦ったとき、ピーター・アーツは自分の強さを見せつけてやろうとゴングが鳴った瞬間からガンガン攻めた。
このとき誰かが
「まるでランバージャック(木こり)のようだ!」
といった。
ピーター・アーツはこれが気に入り、以来、父親の職業でもある木こり風の出で立ちでリングに向かい、そして木こりが木を倒すように相手を倒した。

Mark Russell vs Peter Aerts

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