ピーター・アーツ 20世紀最後の暴君の戦記
2016年11月25日 更新

ピーター・アーツ 20世紀最後の暴君の戦記

初期のK-1で、まさに暴れ回っていたピーター・アーツは、まだ専門学校生。まさに「怪童」でした。以後、毎年、年末に行われていたK-1グランプリで2連覇を含めて3度優勝。40歳を超えてもリングに上がり続け、本当に多くのファイターと戦い、名勝負、名KOシーンを創出し、6度もK-1グランプリのファイナリスト(決勝戦進出)となりました。その飽くなき闘争心で、総合格闘技戦も行っています。2013年には、そのインタービュー記事が巨大な広告となって渋谷駅に掲出されました。

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1992年、ピーター・アーツは試合を続けながらハイスクールを卒業し、オランダのシオス(CIOS、Centaal Instituut Opleiding Sportleider)という学校に進んだ。
ここでは大勢の運動選手が、トレーナーや体育教師になるために学んでいる。
ピーター・アーツはCIOSに近いアムステルダムに引っ越した。
そこはチャクリキジムにも近く都合がよかった。
3年過程だったが、練習や試合のために4年かかって修了した。

初来日

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ピーター・アーツはCIOSの在学中に初来日し、総合格闘技「Rings(ファイティング・ネットワーク・リングス)」のリングに立ち、正道会館(空手の団体)のアダム・ワットにヒジ打ちで2RKO勝ちした。

不敗のモーリス・スミスを破る

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また8年間無敗だったモーリス・スミスを判定で破り
リターンマッチでも4R終了間際に放った右ハイキックで失神させた。

K-1グランプリ初参戦 1回戦敗退

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1993年4月30日、
初開催されたK-1グランプリ'93へ参戦。
トーナメント1回戦でアーネスト・ホーストに判定負け。

1994年、1995年、K-1グランプリ2連覇

しかしその後、14連勝し1994年、1995年のK-1グランプリを2連覇した。
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1994年、1995年、K-1グランプリ2連覇

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