鶴瓶は笑福亭一門が集まる宴会で必ず裸踊りを披露した。
局部に蛍光塗料を塗って暗闇の中を走り回ったり、全裸に脱ぎかけのワイシャツ1枚で袖の部分だけ引っかかっている状態で踊ったり、陰部に貼ったガムテープではがしたりまた貼ったりするなどの裸芸を持っている。
あるとき芸人同士の飲み会でそそのかされ、全裸で店外に出た途端、鍵を閉められ、約1時間半、全裸のまま屋外へ放り出されたこともある。
桂南光と2人で交番の壁に向かって小便をしているところを警官に見つかり取調べを受け、2人とも本名ではなく芸名を名乗ったためさらに怒られた。
「僕は世にいう露出狂などでは断じてない。
僕の場合、決して快感のためにやっているわけではないからだ。
ただ快感を得るためにではないにしろ、例の部分を露出することにさして抵抗を感じていないことだけは事実かもしれない」
局部に蛍光塗料を塗って暗闇の中を走り回ったり、全裸に脱ぎかけのワイシャツ1枚で袖の部分だけ引っかかっている状態で踊ったり、陰部に貼ったガムテープではがしたりまた貼ったりするなどの裸芸を持っている。
あるとき芸人同士の飲み会でそそのかされ、全裸で店外に出た途端、鍵を閉められ、約1時間半、全裸のまま屋外へ放り出されたこともある。
桂南光と2人で交番の壁に向かって小便をしているところを警官に見つかり取調べを受け、2人とも本名ではなく芸名を名乗ったためさらに怒られた。
「僕は世にいう露出狂などでは断じてない。
僕の場合、決して快感のためにやっているわけではないからだ。
ただ快感を得るためにではないにしろ、例の部分を露出することにさして抵抗を感じていないことだけは事実かもしれない」
via www.amazon.co.jp
何としてでも活動の場が欲しかった鶴瓶は、超能力(透視とスプーン曲げ)ができることを松鶴に打ち明けた。
鶴瓶の超能力(実はイカサマ)をみた松鶴は驚愕し
「ウチに超能力を使う弟子がおる」
と自らTVに鶴瓶を売り込んだ。
スプーン曲げは力任せにやっていただけだが信じきって必死になって売り込む松鶴に便乗して鶴瓶は業界に顔を売り、これがTV、ラジオと進出する足場となった。
上岡龍太郎は、鶴瓶の超能力を信じず、かつそんなインチキを平気でする人間性を疑ったが、鶴瓶に真相を打ち明けらるとその心意気に大いに賛同した。
鶴瓶の超能力(実はイカサマ)をみた松鶴は驚愕し
「ウチに超能力を使う弟子がおる」
と自らTVに鶴瓶を売り込んだ。
スプーン曲げは力任せにやっていただけだが信じきって必死になって売り込む松鶴に便乗して鶴瓶は業界に顔を売り、これがTV、ラジオと進出する足場となった。
上岡龍太郎は、鶴瓶の超能力を信じず、かつそんなインチキを平気でする人間性を疑ったが、鶴瓶に真相を打ち明けらるとその心意気に大いに賛同した。
明石家さんま
via www.amazon.co.jp
まだ名前ももらっておらず本名の「杉本(高文)」と呼ばれていた明石家さんまは、ある落語会で下半身裸で舞台の袖から顔だけを出して、客席の綺麗な女性をみながら自慰行為をしている鶴瓶を目撃した。
その落語会で明石家さんまは1番手、鶴瓶は2番手を務めた。
落語会が終わった帰り道で偶然、2人は一緒になった。
「自分、杉本いうの?」
「どこ出身?」
18歳の杉本少年は優しくしゃべりかけられ、鶴瓶と2人で心斎橋を歩いて帰り、途中で大判焼きを1個オゴってもらった。
明石家さんまは、この世界に入って初めて先輩にオゴッてもらったことに大感動した。
しかしその後、事あるごとに
「あのときオゴってやったな」
としつこくいわれ続け
「たかが30円の大判焼き1個のせいで一生いわれ続けるんや」
と感動と感謝はやがて後悔に変わっていった。
その落語会で明石家さんまは1番手、鶴瓶は2番手を務めた。
落語会が終わった帰り道で偶然、2人は一緒になった。
「自分、杉本いうの?」
「どこ出身?」
18歳の杉本少年は優しくしゃべりかけられ、鶴瓶と2人で心斎橋を歩いて帰り、途中で大判焼きを1個オゴってもらった。
明石家さんまは、この世界に入って初めて先輩にオゴッてもらったことに大感動した。
しかしその後、事あるごとに
「あのときオゴってやったな」
としつこくいわれ続け
「たかが30円の大判焼き1個のせいで一生いわれ続けるんや」
と感動と感謝はやがて後悔に変わっていった。
鶴瓶家
via www.amazon.co.jp
鶴瓶がプロの落語家を目指して悪戦苦闘をしていたとき、原田伸郎はまだ大学生で旅館でアルバイトをしていた。
アルバイトの後、学校に行かずにパチンコを打っていると、有線で「赤とんぼの唄」がかかった。
「うれしいわ」
と思っていると15分後にまたかかった。
「なにコレ!!」
驚いていたが、しばらくするとまたかかった。
「こりゃ売れるん違うか」
その後、大学にファンが来るようになり、あのねのねは1973年度日本有線大賞大衆賞を受賞した。
原田伸郎はネタに詰まる
「なんかええネタないか」
と鶴瓶に電話し落語の小咄などを教えてもらい、それを歌にした。
こうしてつくられた局の中に「つくばねの唄」などヒット曲もあった。
「こんなんエエのか!!」
鶴瓶はレコード、コンサート、テレビ、ラジオとドンドン活躍の場を広げていくあのねのねをみて大きな喜びと共に軽い怒りと嫉妬も覚えた。
アルバイトの後、学校に行かずにパチンコを打っていると、有線で「赤とんぼの唄」がかかった。
「うれしいわ」
と思っていると15分後にまたかかった。
「なにコレ!!」
驚いていたが、しばらくするとまたかかった。
「こりゃ売れるん違うか」
その後、大学にファンが来るようになり、あのねのねは1973年度日本有線大賞大衆賞を受賞した。
原田伸郎はネタに詰まる
「なんかええネタないか」
と鶴瓶に電話し落語の小咄などを教えてもらい、それを歌にした。
こうしてつくられた局の中に「つくばねの唄」などヒット曲もあった。
「こんなんエエのか!!」
鶴瓶はレコード、コンサート、テレビ、ラジオとドンドン活躍の場を広げていくあのねのねをみて大きな喜びと共に軽い怒りと嫉妬も覚えた。
via www.amazon.co.jp
ラジオの公開収録がホテルのプールサイドで行われ、鶴瓶はプールの中のたくさんの人を前にしゃべっていた。
しばらくすると遠距離恋愛中の玲子をプールの中にみつけた。
大学卒業後、玲子愛媛県松山市の実家に戻り会社勤めをしていたが、親は鶴瓶との交際を認めなかった。
(何してんねん。
間に合わんんか)
鶴瓶は、玲子が数日前から有休をとって大阪に来ていることはわかっていたが、この日のこの時間には空港に向かっていなければならないはずだった。
鶴瓶の視線に気づいた玲子は手を振り返した。
そして帰りの飛行機のチケットを細かくちぎって紙吹雪のように捨てた。
「わたしもう帰られへん」
こうして2人は同棲を始めた。
1974年10月12日、鶴瓶は玲子夫人と結婚した。
「(付き合って)10年後、1980年12月23日に結婚する」
とプロポーズしたが、玲子が妊娠したため6年早い結婚だった。
結婚式は大阪府交野市の郡津神社で行われ、仲人は松鶴 がつとめた。
親が承諾していなかったので玲子側の参加者はいなかった。
松鶴はスピーチで
「ウチの弟子は13人いてまっけどこいつが1番アホだ。
おしまい!」
とだけいい会場を後にした。
大卒初任給平均は78700円の時代に、あのねのねの祝儀は300000円。
結婚式、披露宴の代金を支払ってもまだ余るほどの金額だった。
しばらくすると遠距離恋愛中の玲子をプールの中にみつけた。
大学卒業後、玲子愛媛県松山市の実家に戻り会社勤めをしていたが、親は鶴瓶との交際を認めなかった。
(何してんねん。
間に合わんんか)
鶴瓶は、玲子が数日前から有休をとって大阪に来ていることはわかっていたが、この日のこの時間には空港に向かっていなければならないはずだった。
鶴瓶の視線に気づいた玲子は手を振り返した。
そして帰りの飛行機のチケットを細かくちぎって紙吹雪のように捨てた。
「わたしもう帰られへん」
こうして2人は同棲を始めた。
1974年10月12日、鶴瓶は玲子夫人と結婚した。
「(付き合って)10年後、1980年12月23日に結婚する」
とプロポーズしたが、玲子が妊娠したため6年早い結婚だった。
結婚式は大阪府交野市の郡津神社で行われ、仲人は松鶴 がつとめた。
親が承諾していなかったので玲子側の参加者はいなかった。
松鶴はスピーチで
「ウチの弟子は13人いてまっけどこいつが1番アホだ。
おしまい!」
とだけいい会場を後にした。
大卒初任給平均は78700円の時代に、あのねのねの祝儀は300000円。
結婚式、披露宴の代金を支払ってもまだ余るほどの金額だった。
via www.amazon.co.jp
鶴瓶と玲子は長女と長男を授かった。
長男の駿河太郎は、ロックバンド「sleepy dog」のボーカル、そして俳優。
反抗期の太郎が玲子にキツく当たるのをみた鶴瓶は口の周りが血だらけになるまで殴った。
「ある朝、引きずり回してボコボコに殴ったら『ウー』いうてね。
『何、ウー言うとんねん』と蹴っとばしてから『血ぃふいて、はよ学校いけ』って送り出しました」
長女は駿河章子。
有限会社 バグケット( http://www.bugket.com/06bugket.com.html )の代表取締役。
鶴瓶は1度だけ長女にも手を出した
「勉強なんかせんでもいいんですけどダラダラした生活されるのが嫌なんですよ。
そのときは娘が電話しながらテレビみて寝とったんです。
『電話かテレビ、どっちかにせぇ』っていうたら知らん顔して。
もう1度怒鳴ったら娘が初めて僕をにらんだんです。
受話器を取り上げてパーン殴ったら『ギャー』っていいましたよ」
そして鶴瓶は娘を突き放した。
「これ以上は怒らん。
あとは自分で生きていけ」
すると長女は正座して
「また、たたいてください。
ちゃんとしますからたたいてください」
といった。
「泣きそうでしたよ。
でも怒ってたたいた人間が泣いたらアカンし必死にこらえました。
翌朝、娘から『おはよう』って声を掛けてくれたんでホッとしました」
鶴瓶一家は、毎年、休暇をハワイの別荘で過ごす。
あるとき休暇ではないときに別荘をいってみると、別荘を管理している人間と、その家族が勝手に住みついていた。
くつろいでいたその家族は鶴瓶の突然の訪問にパニックになった。
長男の駿河太郎は、ロックバンド「sleepy dog」のボーカル、そして俳優。
反抗期の太郎が玲子にキツく当たるのをみた鶴瓶は口の周りが血だらけになるまで殴った。
「ある朝、引きずり回してボコボコに殴ったら『ウー』いうてね。
『何、ウー言うとんねん』と蹴っとばしてから『血ぃふいて、はよ学校いけ』って送り出しました」
長女は駿河章子。
有限会社 バグケット( http://www.bugket.com/06bugket.com.html )の代表取締役。
鶴瓶は1度だけ長女にも手を出した
「勉強なんかせんでもいいんですけどダラダラした生活されるのが嫌なんですよ。
そのときは娘が電話しながらテレビみて寝とったんです。
『電話かテレビ、どっちかにせぇ』っていうたら知らん顔して。
もう1度怒鳴ったら娘が初めて僕をにらんだんです。
受話器を取り上げてパーン殴ったら『ギャー』っていいましたよ」
そして鶴瓶は娘を突き放した。
「これ以上は怒らん。
あとは自分で生きていけ」
すると長女は正座して
「また、たたいてください。
ちゃんとしますからたたいてください」
といった。
「泣きそうでしたよ。
でも怒ってたたいた人間が泣いたらアカンし必死にこらえました。
翌朝、娘から『おはよう』って声を掛けてくれたんでホッとしました」
鶴瓶一家は、毎年、休暇をハワイの別荘で過ごす。
あるとき休暇ではないときに別荘をいってみると、別荘を管理している人間と、その家族が勝手に住みついていた。
くつろいでいたその家族は鶴瓶の突然の訪問にパニックになった。
ミッドナイト東海 ラジオで相談者の父親とケンカ
via www.amazon.co.jp
鶴瓶は東海ラジオの深夜番組「ミッドナイト東海」のパーソナリティに抜擢された。
鶴瓶の「ミッドナイト東海」は名古屋からの放送だったが、同じ時間帯、裏では「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」が東京から配信されていた。
鶴瓶の兄弟子:笑福亭鶴光がパーソナリティをつとめるオールナイトニッポンは深夜ならではの下ネタを含めたハイテンショントークで圧倒的な人気を誇っていた。
現在においても笑福亭鶴光はオールナイトニッポンの「レジェンド」と呼ばれている。
どちらかというと同じ匂いのする2人だが、意外に鶴瓶は
「こんばんは。
笑福亭鶴瓶でございます」
と普通のトーンで3時間の生放送をスタートさせた。
「あの男(笑福亭鶴光)はほんまにねえ、すごいですよね。
いまだにそうですから。
AKBに『エエかエエかエエのんか』とかいわせたんでしょ。
最低な男ですよね。
菅井きんさんに『乳頭の色は・・』いうた男ですから。
ビックリしましたよ。
あんなことされるとどんなことをしても負けてしまうやろということでね。
違うようなことをやったんです。
普通にしゃべるような状態でやったんです」
鶴瓶は、番組の企画づくりから行い、事前に番組でかかるレコードはぜんぶ聞き、ゲストのことも調べた。
織田信長以来、名古屋には大阪に対する拒否感があるのか、最初はハガキがまったく来ず、鶴瓶は自分あてにハガキを書いて出した。
名古屋で人気のロックシンガーがゲストに来たことがあった。
アーティストはメディアに出ないほうがかっこいいという風潮のせいか、そのロックシンガーは、まるで「出てやっている」とでもいいたげな態度をとった。
会話もかみ合わず、ついに鶴瓶がキレた。
「出ていけ!コラ」
「なんやと、コラ!」
ロックシンガーも応戦。
罵声が生放送の電波に乗って空に伝わっていった。
鶴瓶の「ミッドナイト東海」は名古屋からの放送だったが、同じ時間帯、裏では「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」が東京から配信されていた。
鶴瓶の兄弟子:笑福亭鶴光がパーソナリティをつとめるオールナイトニッポンは深夜ならではの下ネタを含めたハイテンショントークで圧倒的な人気を誇っていた。
現在においても笑福亭鶴光はオールナイトニッポンの「レジェンド」と呼ばれている。
どちらかというと同じ匂いのする2人だが、意外に鶴瓶は
「こんばんは。
笑福亭鶴瓶でございます」
と普通のトーンで3時間の生放送をスタートさせた。
「あの男(笑福亭鶴光)はほんまにねえ、すごいですよね。
いまだにそうですから。
AKBに『エエかエエかエエのんか』とかいわせたんでしょ。
最低な男ですよね。
菅井きんさんに『乳頭の色は・・』いうた男ですから。
ビックリしましたよ。
あんなことされるとどんなことをしても負けてしまうやろということでね。
違うようなことをやったんです。
普通にしゃべるような状態でやったんです」
鶴瓶は、番組の企画づくりから行い、事前に番組でかかるレコードはぜんぶ聞き、ゲストのことも調べた。
織田信長以来、名古屋には大阪に対する拒否感があるのか、最初はハガキがまったく来ず、鶴瓶は自分あてにハガキを書いて出した。
名古屋で人気のロックシンガーがゲストに来たことがあった。
アーティストはメディアに出ないほうがかっこいいという風潮のせいか、そのロックシンガーは、まるで「出てやっている」とでもいいたげな態度をとった。
会話もかみ合わず、ついに鶴瓶がキレた。
「出ていけ!コラ」
「なんやと、コラ!」
ロックシンガーも応戦。
罵声が生放送の電波に乗って空に伝わっていった。
via www.amazon.co.jp
番組の終わりに「四畳半のコーナー」という企画があった。
それはリスナーと鶴瓶が直接、電話でしゃべるコーナーだった。
通常はブースの外でスタッフがいったん話を聞いて問題ないか確認してからタレントにつなぐが、鶴瓶は本当にダイレクトに電話をとった。
夏休みの1週目、中学生2年生の男子から電話がかかってきた。
「本当は地元の中学に行きたかったのに、9月の中頃から高知県の全寮制の学校に転校することになってしまった」
「なんで?」
聞けば医者である父親が、医者にするために嫌がる息子を全寮制の学校に入れようとしているという。
息子は医者にもなりたくなかった。
「そんなことあんのん?
それやったら・・・」
と鶴瓶がいいかけると
「アッ、ゴメン。
切る」
と中2男子はいった。
「なんで切るねん。
お前からかけてきたんやんか」
「親父が部屋に入ってきたから・・・」
「だったらお父さんと代われ」
こわい反面、心の中では何か強い力が噴出していた。
「誰だ、お前は?」
35歳くらいの電話口の父親は最初からケンカ腰だった。
「ごめんなさい。
これラジオなんですよ」
22歳の鶴瓶は状況を説明した。
「息子さんが学校のことで悩んでいて、こうやって電話をかけてくれて、ぼくが中に入るのもアレやからもう電話を切ります。
さっきお話を聞いたんですけど今からしゃべったってください」
「お前に指図されることない」
「それはそうですけど・・・・」
鶴瓶は中2男子の悩んでいる状況を伝えようとした。
それを父親は遮った。
「お前はなんだ?
こんな時間に電話かけてきて、お前、誰だ?
「笑福亭鶴瓶と申します。
息子さんが、こっちに電話をかけてきてくれたんです」
「笑福亭鶴瓶?
知らん。
あっ、お前、あのモジャモジャ頭のやつか?」
「あ、そうです」
「お前、どこの大学や?」
「いや、京都産業大学の中退」
「そんなやつにそんなことをいわれてもなぁ」
ついに鶴瓶はキレた。
「なにぬかしとんねん、アホンダラ。
あのな、コレ電波流れとんのや!
俺もな、低姿勢でちゃんとこうやって話しとんねん。
そんなに人気はないけどリスナーも聞いとるんや!
あなたの息子さんが悩んどることを聞いてあげて、あんたが出たときも『おたくの家のことやからぼくはよお解決せんけど今、電話を切った後に解決してあげたらどうですか』というとるだけやないか。
何も悪いことないやないか!」
父親は反論したが
「お前な、自分とこの子どもの精神的な病気もよう治さんとなに他人の体を診とんねん。
コラァ!
アホンダラ!
こっちは生放送やっとんねん!
いつでも来い、コラァ!」
そして最後は
「千種区の・・病院には行くなぁー!」
と叫んだ。
この後、番組を降ろされかけたが、
「鶴瓶を辞めさせるな」
と署名活動が行われたり起こったり、中高生を中心にたくさんの養護の声が寄せられたため、番組に復活した。
鶴瓶は名古屋の中高生のよきアニキだった。
当時、「ミッドナイト東海」のリスナーで13歳だった少女に鶴瓶は自身初めてサインを書いた。
40年以上経って50歳代となったその女性とまだ交流を続けている。
鶴瓶はサインでも写真でも求められたら基本的に断らない。
それどころか自ら積極的に声をかけ、家に上がり、トイレや風呂を借りてしまう。
それはリスナーと鶴瓶が直接、電話でしゃべるコーナーだった。
通常はブースの外でスタッフがいったん話を聞いて問題ないか確認してからタレントにつなぐが、鶴瓶は本当にダイレクトに電話をとった。
夏休みの1週目、中学生2年生の男子から電話がかかってきた。
「本当は地元の中学に行きたかったのに、9月の中頃から高知県の全寮制の学校に転校することになってしまった」
「なんで?」
聞けば医者である父親が、医者にするために嫌がる息子を全寮制の学校に入れようとしているという。
息子は医者にもなりたくなかった。
「そんなことあんのん?
それやったら・・・」
と鶴瓶がいいかけると
「アッ、ゴメン。
切る」
と中2男子はいった。
「なんで切るねん。
お前からかけてきたんやんか」
「親父が部屋に入ってきたから・・・」
「だったらお父さんと代われ」
こわい反面、心の中では何か強い力が噴出していた。
「誰だ、お前は?」
35歳くらいの電話口の父親は最初からケンカ腰だった。
「ごめんなさい。
これラジオなんですよ」
22歳の鶴瓶は状況を説明した。
「息子さんが学校のことで悩んでいて、こうやって電話をかけてくれて、ぼくが中に入るのもアレやからもう電話を切ります。
さっきお話を聞いたんですけど今からしゃべったってください」
「お前に指図されることない」
「それはそうですけど・・・・」
鶴瓶は中2男子の悩んでいる状況を伝えようとした。
それを父親は遮った。
「お前はなんだ?
こんな時間に電話かけてきて、お前、誰だ?
「笑福亭鶴瓶と申します。
息子さんが、こっちに電話をかけてきてくれたんです」
「笑福亭鶴瓶?
知らん。
あっ、お前、あのモジャモジャ頭のやつか?」
「あ、そうです」
「お前、どこの大学や?」
「いや、京都産業大学の中退」
「そんなやつにそんなことをいわれてもなぁ」
ついに鶴瓶はキレた。
「なにぬかしとんねん、アホンダラ。
あのな、コレ電波流れとんのや!
俺もな、低姿勢でちゃんとこうやって話しとんねん。
そんなに人気はないけどリスナーも聞いとるんや!
あなたの息子さんが悩んどることを聞いてあげて、あんたが出たときも『おたくの家のことやからぼくはよお解決せんけど今、電話を切った後に解決してあげたらどうですか』というとるだけやないか。
何も悪いことないやないか!」
父親は反論したが
「お前な、自分とこの子どもの精神的な病気もよう治さんとなに他人の体を診とんねん。
コラァ!
アホンダラ!
こっちは生放送やっとんねん!
いつでも来い、コラァ!」
そして最後は
「千種区の・・病院には行くなぁー!」
と叫んだ。
この後、番組を降ろされかけたが、
「鶴瓶を辞めさせるな」
と署名活動が行われたり起こったり、中高生を中心にたくさんの養護の声が寄せられたため、番組に復活した。
鶴瓶は名古屋の中高生のよきアニキだった。
当時、「ミッドナイト東海」のリスナーで13歳だった少女に鶴瓶は自身初めてサインを書いた。
40年以上経って50歳代となったその女性とまだ交流を続けている。
鶴瓶はサインでも写真でも求められたら基本的に断らない。
それどころか自ら積極的に声をかけ、家に上がり、トイレや風呂を借りてしまう。
via www.amazon.co.jp
『ミッドナイト東海』に出演していたとき、鶴瓶は東海ラジオ放送の食堂でアルバイトをしていた当時まだ無名の漫画家:鳥山明と顔見知りになった。
鳥山明は、「Dr.スランプ」単行本第1巻に鶴瓶が登場させた。
それを読んだリスナーが、鶴瓶のラジオ番組にその切り抜きを添えて投稿。
鶴瓶は
「鳥山明さん、聞いとる?」
と発言。
リアルタイムで聞いていた鳥山明は驚いてペンを落としそうになった。
そして
「是非お電話ください」
と連絡先を書いたハガキを送った。
その後、2人の対談が実現した。
鳥山明は、「Dr.スランプ」単行本第1巻に鶴瓶が登場させた。
それを読んだリスナーが、鶴瓶のラジオ番組にその切り抜きを添えて投稿。
鶴瓶は
「鳥山明さん、聞いとる?」
と発言。
リアルタイムで聞いていた鳥山明は驚いてペンを落としそうになった。
そして
「是非お電話ください」
と連絡先を書いたハガキを送った。
その後、2人の対談が実現した。