The Histry of Meiko Kaji〜梶芽衣子の歴史 (Eng Sub)
それまで映画ではハードボイルド系を演じられてきた梶芽衣子さんが、ホームドラマに出演されるという事でファンはビックリ!ご本人も抵抗があったと明かされています。
頑なに出演を断り続けていたそうですが、当時の久世光彦プロデューサーの粘り強さに根負けし出演を決められたようです。
慣れないホームドラマに不安が一杯の中、恋人役が日活時代に共演が多かった「藤竜也」さんだった事で救われたそうです。
『寺内貫太郎一家・35話』
■梶芽衣子 2020 最新情報
きっと「クールビューティ」の元祖は"梶芽衣子"さんに違いないでしょう。
今もお美しさは健在です。
[New Work]
— DRAWING AND MANUAL™️ (@drawingmanual) October 2, 2020
NHK 土曜ドラマ「天使にリクエストを」ポスター
毎週土曜夜9時から放送中のドラマ「#天使にリクエストを」のポスターをDRAWING AND MANUAL 髙橋まりながアートディレクションしました。
ぜひご覧くださいませ。https://t.co/DVX7ofN8DZ pic.twitter.com/YWlisPS7i7
放送期間: 2020年9月19日~
放送時間:土曜 21:00~ 21:49
回数:5回(予定)
余命いくばくもない女性「大松幹枝」役
寺内周平(設定19歳)ー西城秀樹(当時19歳)
小学生で洋楽とは、さすがに同級生に話しが合う友達がいなくて音楽の話しはお兄さんとばかり。小学4年生の時には、そのお兄さんとエレキバンド「ベガーズ(beggars)」を結成。
この頃はすでに「ミュージシャンになりたい!」と夢をもっていた秀樹さんですが、一方で結構な「ワル」だったとか。
「売られた喧嘩で負けたことはいっぺんもない。」そうです。
GS全盛期の中学1年生の時に学校の文化祭でステージに立ち、女子生徒から人気となる。この頃から、ボーカルに魅力を感じ始める。
「ベガーズ」はメンバーの入れ替えにより「「ジプシー」を結成(リードボーカルを担当)。
「ジプシー」でヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト第一回、第二回に出場し、中国大会で優勝。
高校1年生の時にR&B喫茶「パンチ」から声がかかり、店のレギュラーバンドとして歌っていたところスカウトされる。
父親が厳格な人だったため芸能界入りを反対されたが、家出同然で上京し「芸映」に所属する。
1972年3月25日 「恋する季節」で歌手デビュー
1973 情熱のarasi
以降、11年連続「計33曲」がオリコンベストテンに入った。
多忙なスケジュールの中、愚痴一つこぼさず「寺内周平」役を演じられていたそうです。
特に、父「貫太郎」との親子ゲンカのシーンは本当に骨折するまで本気でケンカをしていたとか。
子供の頃から「ワルガキ」で「喧嘩っ早い」というヒデキさんですから、チョッと納得できる気もしますが(笑)
今の時代なら大問題ですね。
『寺内貫太郎一家』 最終回(39回)の親子げんか&和解シーン
小林も「ボクもヒデキも本気だった。リアルな芝居を求める久世光彦さんが収録現場でどんどんNGを出す。ボクもヒデキもお互いに『このヤロー!』となり最後には本気になって喧嘩してしまう」「当時のヒデキはスーパーアイドル。スケジュールは真っ黒で、本来なら長時間拘束されるドラマに出演している余裕などなかったはずだ。それでもヒデキは文句ひとつ言わずに熱心にリハーサルを行う。出演者は収録後、しょっちゅう飲みに行ったが、多忙を極めていたヒデキは自分の出番が終わると次の現場に急行だ。時にはワガママを言うのが普通のアイドルだろうけど、ヒデキのそんな姿は見たことがない。今、あんなことが収録現場で起こったら大事件とみなされ、すぐに番組は打ち切られるだろう。当時だって事情はそんなに変わらなかったと思う。打ち切りにならなかった最大の理由は、ヒデキが騒がなかったことにある」などと話し、番組の継続は俳優の仕事にも理解を示していた西城のお陰であると述べている。
生年月日:1955年4月13日
没年月日:2018年5月16日(63歳没)
出身地:広島県広島市
職業:歌手・俳優
活動期間:1972年~2018年
所属事務所:芸映→アースコーポレーション