ロックミュージシャン・内田裕也との夫婦関係<夫という重し>
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普通ならそのまま離婚となるはずですが、40年以上も別居のまま夫婦関係を続け、希林さんが亡くなると後を追うように裕也さんも亡くなられました。
女性問題や大麻所持事件など破天荒すぎる夫に振り回されてきた希林さんですが、「純なものがひとかけら見えるから。自分も逃げないで引き受ける」と離婚をせずに裕也さんを支えてこられたようです。
そして又、希林さんにとっての「夫・内田裕也」は自分を制御するための「重し」
希林さんは東京・港区内にある内田家のお墓で眠っておられますが、生前には「死んだ後は同居ね」と笑っておられたとか。
夫婦には夫婦にしかわからない絆があるものです。
無駄な物をそぎ落とした潔い生き方<モノがあるとモノにおいかけられます>
樹木希林、トロフィーを電気スタンドに?特別大賞受賞で“爆笑”コメント連発 「第37回ヨコハマ映画祭」授賞式 #Kirin Kiki #event
余計なモノを増やしたくないので人からモノを貰うのが嫌いで、お中元をくれた人には「今後は二度と贈らないで下さい」と連絡されていたというエピソードもあります。
旧芸名「悠木千帆」をオークションで売って芸名を「樹木希林」に変更
1977年4月1日 特別番組『テレビ朝日誕生記念番組・わが家の友だち10チャンネル・徹子のナマナマ10時間半完全生中継』の中のオークションコーナー「にんげん縁日」で、「売る物がない」との理由で、特に思い入れが無かったという自身の芸名「悠木千帆」を競売にかけた。このことは、この放送前にスポーツ紙で報道されたこともあって、つかこうへいから「200万円で買うから、そんなバカなことはやりなさんな」とたしなめられて持ち掛けられたこともあったが、これを断った。最初1円から始まったこのオークションは結局、2万200円で通りすがりの東京・青山のブティックを経営する服飾デザイナーの女性がこの名前を落札し、その落札金はチャリティーとして寄付した。落札した旧名はこの女性から無償で2004年に女優の山田和葉に譲渡された。
樹木希林の実家「叶屋」が9月27日をもって閉店
野毛『叶屋』閉店…ショボ
— 伊勢海美 (@sanzoku007) September 10, 2020
樹木希林さんの御実家‼
沢山の想いで🎵思いで…
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「悠木千帆」時代の希林さんが手伝うことがあったり、一人 隅っこで静かに飲まれている事もあったそうです。
希林さんの姪っ子さんが切り盛りされていたようですが、想い出の場所というのはこうして消えてゆくこともありますね。
でも、希林さんの数多くの作品や名言は、いつまでも心に残ります。
相馬ミヨコ(設定18歳)ー浅田美代子(当時18歳)
このスカウトの時に事務所関係者と一緒に居たのは、なんと!西城秀樹さんだったそうです。
ご両親が芸能界入りを反対された為、ドラマ「時間ですよ」の新人オーディションを受ける事になり、約25,000名の中から見事に合格。
「時間ですよ」は当時、ホームドラマの中でも国民的人気番組だった為、浅田美代子さんにも人気が集まり、劇中で歌ったデビュー曲「赤い風船」も大ヒットとなりました。
出生地:東京都港区
身長:157cm
血液型:B型
職業:女優・タレント・歌手
活動期間 1973年~1977年 1983年~
所属事務所:テアトル・ド・ポッシュ