アイドル的な人気が高かった西城秀樹さんですが、歌唱力の方も一流アーティスト達が絶賛する歌声でした。
共演者で作曲家の小林亜星さんも
日本ではナンバーワンを争うような音楽性の高い歌手だったね。当時はアイドル的な人気が先行して、歌手としての実力が正当に評価されなくて、ほんとうにもったいなかったと思う。
リハビリを続けながらの歌手活動 最後のシングルは「めぐり逢い/Same old story 〜男の生き様〜」
生涯、歌うことに情熱を注ぎこまれてきた"西城秀樹"さんですが、2018年5月16日 ご家族に見守られる中 63歳で旅立たれました。
★「LOVE SONGを永遠に」 西城秀樹 × 野口五郎の名作
訃報は突然、やってきた。2年前の5月16日だった。すぐには現実を受け止め切れない。しばらく心にぽっかり穴があいた感覚だった。葬儀後初めての仕事で西城さんの故郷の広島へ行った。瀬戸内に臨むホテルから見上げた空が雲ひとつない青空だった。
「ふと、秀樹の『ブルースカイブルー』を思い出した。それをきっかけに、そういえば、あいつ、うちで歌っている曲があったよなぁって思い出して」
探してみると、段ボール箱に、西城さんが歌ったオープンリールの古いテープ音源が残っていた。野口のスタジオで録った西城さんの歌声だ。その未発表音源に、自分の歌を加えて録音した“時を超えたデュエット”を、テレビ番組で発表。さらに、野口が特許を持つ「テイクアウトライブ」というスマホアプリで「HIDEKI&GORO」として配信した『LOVE SONGを永遠に』は、野口と西城さんの子どもたちからも、一緒に歌いたいと声が上がり、みんなで歌った。
「LOVE SONGを永遠に」優しくて心に染みわたるいい曲です。
寺内きん(設定70歳)ー悠木千帆のちに樹木希林(当時31歳)
が、大学受験直前にスキーで足を怪我した為、大学進学を断念。
1961年に文学座一期生として付属演劇研究所に入り、芸名「悠木千帆」として女優活動をスタートさせます。
文学座研究所では付き人を務める程、杉村春子さんに可愛がられていて後に文学座の正座員となられています。(1966年に退団)
1964年にレギュラー出演したテレビドラマ「七人の孫」で一躍人気を獲得。
1970年から放送が始まった水曜劇場「時間ですよ」で個性派女優として不動の人気を得る。20代の頃から老婆役を演じ、老け役が当たり役になっていて、「寺内貫太郎一家」でもまさにリアルにお婆さんでしたね。
寺内貫太郎一家 ジュリー 悠木千帆(樹木希林)
完璧に老婆を演じる為に、髪の毛だけでなく、まつげまでも脱色した上で老けメイクをされていたそうです。
「きん婆さん」がいつも指ぬき手袋をつけていたのは、手が露出すると若さが目立ってしまうからという理由でした。
腰の曲がり具合も完璧で、「ジュリー」が大好きな姿が可愛らしかったですね。
第29話では本物の「ジュリー」沢田研二さんがゲスト出演されたのも楽しかったです。
その後も数々の映画に出演され、個性派女優として記憶に残る作品を世に送り出し 2018年9月15日 75歳で永眠されました。
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第68回カンヌ国際映画祭・「ある視点」部門に出品 オープニング上映される。
第39回日本アカデミー賞「 優秀主演女優賞」
孫の「内田 伽羅」さんとの共演が話題になっていました。
別名義:悠木 千帆
生年月日:1943年1月15日
没年月日:2018年9月15日(75歳没)
出生地:東京府東京市
血液型:A型
職業:女優
活動期間:1961年~ 2018年
所属事務所:フリー