日本のプロ野球史で5人しかいなかった!助っ人外国人なのに捕手だった選手!
2018年8月18日 更新

日本のプロ野球史で5人しかいなかった!助っ人外国人なのに捕手だった選手!

日本プロ野球80年の歴史において、これまで数えきれないほど多くの助っ人外国人が活躍してきました。しかし、しかし、捕手として選手登録された外国人選手は、これまでにわずか5名しかいません。そんな世にも珍しい外国人捕手の歴史を振り返っていきたいと思います。

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バッキー・ハリス‐1936~1938年(名古屋軍・後楽園イーグルス)

1920年代にワシントン・セネタース(現:ミネソタ・ツインズ)の2塁手として活躍し、1924年からは同チームの選手兼任監督としても手腕を発揮したメジャーリーグのレジェンド・バッキー・ハリス。そんな名プレイングマネージャーと同じ「バッキー」が愛称と言うだけで、登録名をそっくりそのまま拝借したのが中日ドラゴンズの前身・名古屋軍と、戦前に7年だけ活動した伝説の球団・後楽園イーグルスで捕手を務めたアンドリュー・ハリス・マッゲリアード改め、バッキー・ハリスです。

“本家”のようにメジャーの舞台で華々しく活躍することはなく、パシフィック・コースト・リーグ(AA級)のサクラメントや、ウェスタン・リーグ(A級)のウィチタといったマイナーリーグで活動したバッキーは、その後、ロサンゼルスの日系チーム・ロサンゼルス・ニッポンズに参加していたのですが、その時に、創設されたばかりの名古屋軍から熱心な勧誘を受けて来日を決意。当時としては物珍しい外国人選手。日本の水に馴染めるかとの周囲の心配をよそに、打っては通算打率.309を残した高いバッティング技術、守っては本塁から寸分の狂いもなく二塁手のグラブへ収まる圧巻の送球スキルを見せつけ、球場に駆け付けたファンを魅了したといいます。
バッキー・ハリス

バッキー・ハリス

チャーリー・ルイス‐1954~1955年(毎日オリオンズ)

長きにわたる日本プロ野球の歴史において、唯一、外国人捕手でベストナインを受賞した(それも2年連続)レジェンド。セントルイス高等学校を卒業後、アマチュア野球チーム・ハワイ朝日でプレーしたルイスは、メジャーはおろか、マイナー経験すらありません。

今だったら高確率で「外れ外国人」になりそうな危険案件ですが、結果的に、2年通算で打率.277・24本塁打・163打点の大爆発。リスクを犯して獲得した毎日の判断は大正解だったというわけです。
チャーリー・ルイス

チャーリー・ルイス

サル・レッカ‐1954~1955年(高橋ユニオンズ)

このチャーリー・ルイスと全く同時期にNPB活動していた外国人捕手がサル・レッカです。1946年にヤンキース傘下で3A級のニューアーク・ベアーズでプレーしていたレッカは、1954年~1955年に千葉ロッテマリーンズの系譜にあたる高橋ユニオンズのキャッチャーとして活躍。通算打率.195とミート力には難があったものの、1954年にはリーグ4位の23本塁打を放つなど、長打力に定評のあるバッターとして人気を博しました。

ニック・テスタ‐1962年(大毎オリオンズ)

先述したバッキー・ハリスもサル・レッカもマイナー経験こそあれ、メジャーの舞台には立っていません。チャーリー・ルイスに至っては、アマチュア上がりです。しかし、このニック・テスタは違います!サンフランシスコ・ジャイアンツでプレーした正真正銘のメジャー・リーガーなのです!…といっても、メジャーに籍を置いたのはたった1試合だけ。その後すぐにマイナーへ逆戻りして二度とひのき舞台へ返り咲くことはありませんでした。

しかし、腐ってもメジャーリーグに1度は昇格を果たした男。いったいどんな活躍を見せるのかと期待され、外国人投手の専属捕手的な役割で、マスクを被りましたが、これが大外れ。57試合に出場し、.136という低打率を記録したがためわずか1年で退団となりました。

デービッド・ニルソン‐2000年(中日ドラゴンズ)

「デービッド・ニルソン」といって誰だかわからないプロ野球ファンも「ディンゴ」といえば、思い出せる人もわずかばかりいるのではないでしょうか。
メジャーリーグ時代は、ミルウォーキー・ブルワーズでマスクをかぶり、オールスターゲームに選出されたり(1999年)、シーズン打率3割を2度も経験したり(1996・1999年)と大活躍。一時期同チームに所属していたあの野茂英雄ともバッテリーを組んでいます。

このように非常に優秀な選手だったため、2000年に鳴り物入りで中日ドラゴンズへ入団したものの、打率1割台の極度の打撃不振に陥ったため、同年8月には早くも退団。しかも捕手として選手登録されながらほとんどが左翼手としての出場で、捕手としてプレーしたのはわずか1試合にとどまりました。

ちなみに現在は、野球オーストラリア代表の監督に就任しているとのこと。もしかしたら、2年後の東京五輪でディンゴ率いる豪州代表と侍ジャパンが激突するかもしれません。
ディンゴ

ディンゴ

(こじへい)
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