「ラスト・エンペラー」とは
溥儀の自伝『わが半生』を原作に、ベルナルド・ベルトルッチが監督、脚本を兼任した。メインキャストである溥儀の青年時以降の役は、香港生まれの中国系アメリカ人俳優のジョン・ローンが演じた。
西太后による溥儀に対する清朝皇帝指名と崩御を描く1908年からスタートし、所々に第二次世界大戦後の中華人民共和国での戦犯収容所での尋問場面を挟みつつ、満州国の皇帝になり、退位し連合軍に抑留された後、文化大革命のさなかに一市民として死去する1967年までの出来事をメインに溥儀の人生を描く。
第60回アカデミー賞作品賞並びに第45回ゴールデン・グローブ賞 ドラマ部門作品賞受賞作品。
日本ともかかわりの深い人物の映画化という事と、さらにアカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞を受賞したこともあり、日本でも注目されました。
「ラスト・エンペラー」のあらすじ
映画の始まりは終戦後のハルビン駅
1950年のハルビン駅の洗面所で、自殺を図った溥儀は、監視人により命を助けられました。意識が遠くなる中で、皇帝として即位する直前の幼いころを思い出していました。
西太后に皇帝に指名され、3歳で母親から離され紫禁城に連れてこられた溥儀は、家臣たちにかしずかれながらも、しきたりと地位に縛られ、許されたこと以外は何一つ思い通りにすることができずに育っていきます。
西太后に皇帝に指名され、3歳で母親から離され紫禁城に連れてこられた溥儀は、家臣たちにかしずかれながらも、しきたりと地位に縛られ、許されたこと以外は何一つ思い通りにすることができずに育っていきます。
via ameblo.jp
成長した溥儀と周囲の変化
紫禁城の外では辛亥革命により清朝は終わり、共和制国家の中華民国に変わっていましたが、政府の温情により紫禁城の中だけはそのままの生活が許されていました。紫禁城の中には多くの先帝の妃たちや宦官など、宮廷の中でしか生きられない人々がいました。
溥儀は紫禁城にやってきた弟の溥傑と会い、共に過ごすようになります。皇帝だけが着ることのできる黄色の衣装を弟が着ているのを見て、兄弟げんかになりますが、弟から他に洋服を着た皇帝がいると告げられ、初めて自分の立場を理解したのでした。
溥儀は紫禁城にやってきた弟の溥傑と会い、共に過ごすようになります。皇帝だけが着ることのできる黄色の衣装を弟が着ているのを見て、兄弟げんかになりますが、弟から他に洋服を着た皇帝がいると告げられ、初めて自分の立場を理解したのでした。
紫禁城ではしきたりどおりのお妃選びが行われ、皇后と側室の2人が選ばれました。家庭教師だったイギリス人のレジナルド・ジョンストンから、紫禁城の外の世界の知識や常識を教えられ、信頼関係を築いていきますが、政変により紫禁城を追放されることになります。
大日本帝国との接近
家庭教師のジョンストンは英国大使館に溥儀らの庇護を求めますが、応じたのは大日本帝国だけでした。日本との急接近を皇后は危惧しますが、溥儀は清朝復活の夢を捨てきれませんでした。
日本により建国された満州国の皇帝として即位しますが、第二次世界大戦の終結と日本軍の敗戦により、ソビエト軍の捕虜となった溥儀と溥傑は、シベリアに抑留されてしまいます。
日本により建国された満州国の皇帝として即位しますが、第二次世界大戦の終結と日本軍の敗戦により、ソビエト軍の捕虜となった溥儀と溥傑は、シベリアに抑留されてしまいます。
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終戦後の抑留と政治犯収容所の日々
シベリアの抑留を解かれ、共産主義国になった中国に送還された溥儀は、政治犯の収容所に入れられ、自己批判を強いられます。何年もの収容所生活の後、特赦により収容所を出所した溥儀は、庭師として植物園で働いていました。文化大革命のなか、収容所の所長が紅衛兵に罪人として引き回されているのを見つけ、かばおうとしますが、助けることはできませんでした。その後、溥儀は入場券を購入して、かつて暮らした紫禁城に入場します。
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「ラスト・エンペラー」の登場人物
愛新覚羅溥儀
溥儀を演じるジョン・ローン
香港出身で、孤児として育ちましたが、児童養護施設で京劇に出会い、18歳まで基本的な演舞、武道などを習いました。
代表作は「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」、「ラスト・エンペラー」など
代表作は「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」、「ラスト・エンペラー」など
via girlschannel.net