引退から25年後に自由契約?!
引退後は1980年から1990年まで広島二軍投手コーチ、1991年から1993年まで土井正三監督に請われ、オリックス・ブルーウェーブ二軍投手コーチ、1994年から1995年までカープアカデミーのコーチ、1996年から1999年まで広島二軍投手コーチを務めた。2000年から2005年まで中国放送野球解説者を務め、
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2004年11月1日付けで、日本野球機構より自由契約となったことが公示された。引退から25年もたってのことだった。その真相は、新たに設立された「プロ育成野球専門学院・広島校」の投手コーチに就任することとなり、アマチュア選手を指導するために規定上の問題が生じることから「自由契約」の身分となったわけだった。
かつての剛腕も、ショートバウンドで捕手のミットに収まり「ほっ!」
2015年7月25日「高校野球・広島大会準決勝、広島工大高ー広島新庄」の始球式を行った。
背番号14の広島のユニホームでマウンドに上がった。ショートバウンドで捕手のミットに収まり「緊張するよね。とんでもないボールがいったらどうしようと思っていた」と大役を終え、ほっとしていた。
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数々の伝説を生んだ広島の大エース!
ノーヒットノーランを3度もやった投手が、通算成績131勝138敗という成績なのは意外に思うかもしれない。巨人にいれば200勝はしていたという見方もある。しかし巨人から26勝を挙げ、外木場は巨人キラーでもあった。阪神の村山に投げ勝ち、プロ初勝利をノーヒットノーランで飾った際の記者の言葉への反骨心が、その後2度もノーヒットノーランを達成することにつながった。
耳付きヘルメットを生んだきっかけとなった田淵への頭部死球が伝説となったのも、死球を与えた投手が”剛腕”外木場だったからだ。
沢村栄治と並ぶノーヒットノーランを3度達成し、弱小チームを優勝に導いた大エースは、広島カープの伝説の投手として語り継がれていくことだろう。
耳付きヘルメットを生んだきっかけとなった田淵への頭部死球が伝説となったのも、死球を与えた投手が”剛腕”外木場だったからだ。
沢村栄治と並ぶノーヒットノーランを3度達成し、弱小チームを優勝に導いた大エースは、広島カープの伝説の投手として語り継がれていくことだろう。
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みほりん 2022/4/10 23:32
巨人の外木場だったら未々大きく扱われるだろう、完全試合含めノーヒットノーラン三回でも全国知名度は低いからね😱