初代タイガー・佐山聡の狭心症が回復!リングに復帰!
狭心症でカテーテル手術を受けて、試合から遠ざかっていたあの男がついに帰ってきた。
15年3月の曙戦から約1年3ヵ月。久しぶりに初代タイガーマスクの佐山聡がリングに姿を現した。
ミノワマン(40)を相手に、自身が立ち上げた新武道「須麻比(すまひ)」のデモンストレーションを行った。
15年3月の曙戦から約1年3ヵ月。久しぶりに初代タイガーマスクの佐山聡がリングに姿を現した。
ミノワマン(40)を相手に、自身が立ち上げた新武道「須麻比(すまひ)」のデモンストレーションを行った。
白のマスクとコスチュームに身を包んだタイガーは万全の動きとは言い難かったものの、ハイキックの連打からローリングソバットを放つなど一連の虎殺法で一本奪取。
2本目はミノワマンに足関節を決められてタップし、1対1の引き分けで終わった。
2本目はミノワマンに足関節を決められてタップし、1対1の引き分けで終わった。
via amd.c.yimg.jp
試合前の会見で健在をアピール!
プロレスのリアルジャパンはデモンストレーションに先立ち、2日に都内で会見を行った。
その会見に出席した佐山聡は、「心臓に関してはまったく問題ない。」と強気の発言をした。
一時は医師から「いつ死んでもおかしくない」とまで言われたというが、「(試合は)かなりのところまでいけると思います」と話すほどに回復していた。
その会見に出席した佐山聡は、「心臓に関してはまったく問題ない。」と強気の発言をした。
一時は医師から「いつ死んでもおかしくない」とまで言われたというが、「(試合は)かなりのところまでいけると思います」と話すほどに回復していた。
via daily.c.yimg.jp
デモンストレーションを終えて。佐山聡のコメント
試合後は「全然慣れなくて。体調はいいですが、リハビリでゴルフしかやっていないので戻っていないです。スピードもスタミナも動きも自信ない」と不満げに振り返った佐山聡。
次回大会での本格復帰については「あり得るかも知れません。まだ分かりません。ボクのやる気にかかっています。みなさんがやってくれと言ってくれると、やる気になるかもしれないし。そういう声を聞きたいですね」と、明言しなかった。
次回大会での本格復帰については「あり得るかも知れません。まだ分かりません。ボクのやる気にかかっています。みなさんがやってくれと言ってくれると、やる気になるかもしれないし。そういう声を聞きたいですね」と、明言しなかった。
初代タイガーマスクであり、修斗の創設者である佐山聡
さやま さとる。1957年11月27日生まれ。山口県下関市出身。
初代タイガーマスク。
梶原一騎原作の漫画『タイガーマスク』から現実のヒーローとして、新日本プロレスに彗星のごとく登場した。
初代タイガーマスクとしてのデビュー戦は、1981年4月23日、蔵前国技館におけるダイナマイト・キッド戦だった。
新日本プロレス伝統のストロングスタイルをベースに、全米プロ空手流の打撃技と武者修行先で培ったルチャリブレ(メキシコ式プロレス)の空中殺法とを織り交ぜた革新的なレスリングスタイルは、全国的に空前のタイガーマスクブームを巻き起こした。
そのファイトスタイルは、実況の古舘伊知郎によって「四次元プロレス」、「四次元殺法」と形容された。
プロレスのみならず格闘技界にも多大に貢献。
初代タイガーマスク。
梶原一騎原作の漫画『タイガーマスク』から現実のヒーローとして、新日本プロレスに彗星のごとく登場した。
初代タイガーマスクとしてのデビュー戦は、1981年4月23日、蔵前国技館におけるダイナマイト・キッド戦だった。
新日本プロレス伝統のストロングスタイルをベースに、全米プロ空手流の打撃技と武者修行先で培ったルチャリブレ(メキシコ式プロレス)の空中殺法とを織り交ぜた革新的なレスリングスタイルは、全国的に空前のタイガーマスクブームを巻き起こした。
そのファイトスタイルは、実況の古舘伊知郎によって「四次元プロレス」、「四次元殺法」と形容された。
プロレスのみならず格闘技界にも多大に貢献。
via blogs.c.yimg.jp
80年代に総合格闘技の礎を築いた!
プロレスのみならず格闘技界にも多大に貢献。
シューティング(現・修斗)の創始者として日本の総合格闘技界をスタートさせた。
1984年に前年、新日本プロレスを退団した元タイガーマスクの佐山聡が自らの格闘技理論の研究、実践のために「タイガージム」(後にスーパータイガージムに改称)を開設したことに始まる。
当時、関節技などのサブミッションホールドはプロレスにおける裏技的なものであり、プロでも「技は教えてもらうものではなく盗むもの」という風潮があり、やられることによって逃げ方を覚え、後輩にかけて覚えるという感じで、技術体系が確立されていなかった。
しかし、佐山はそのプロの技を一つ一つ言葉で説明して体で実践して生徒(素人)に教えた。これが現在の総合格闘技の源となっている。
シューティング(現・修斗)の創始者として日本の総合格闘技界をスタートさせた。
1984年に前年、新日本プロレスを退団した元タイガーマスクの佐山聡が自らの格闘技理論の研究、実践のために「タイガージム」(後にスーパータイガージムに改称)を開設したことに始まる。
当時、関節技などのサブミッションホールドはプロレスにおける裏技的なものであり、プロでも「技は教えてもらうものではなく盗むもの」という風潮があり、やられることによって逃げ方を覚え、後輩にかけて覚えるという感じで、技術体系が確立されていなかった。
しかし、佐山はそのプロの技を一つ一つ言葉で説明して体で実践して生徒(素人)に教えた。これが現在の総合格闘技の源となっている。
初代タイガーマスク(佐山聡) 本物の強さを追求し、 独自の格闘技理論を実践、 選挙では 「暴走族を撃ち殺せ!!」と叫んだ - Middle Edge(ミドルエッジ)
アントニオ猪木が異種格闘技戦を行いタイガーマスク(佐山聡)が修斗前田日明がRINGSという総合格闘技を創りRINGSからK-1が生まれるきっかけとなったまさに日本の格闘技ブームの創世であった中でもタイガーマスク(佐山聡)は一見、異端なまでに独自路線を貫いたその異常な意志の強さは異常なほどの鍛錬があってこそなのだろう間違いなく佐山聡は強い!
17 件