柴田保光(日本ハム)‐1990年4月25日
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柴田保光は、西武ライオンズと日本ハムファイターズで活躍した技巧派投手。ストレート130km/h台と決して球速は速くありませんでしたが、カーブ・スライダー・シュートといった変化球を巧みに織り交ぜるクレバーな投球術を持ち味とし、並み居る打者を翻弄しました。その安定感抜群のピッチングにより、1985年には最多完封投手を獲得した柴田がノー・ノーを達成したのは、1990年4月25日の近鉄バファローズ戦。ラルフ・ブライアントや金村義明らを擁する強力いてまえ打線を完ぺきに抑え込み、当時オープン3年目を迎えていた東京ドーム史上初となる快挙を成し遂げたのでした。
柴田保光 日本ハム ノーヒットノーラン 1990年
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湯舟敏郎(阪神タイガース)‐1992年6月14日
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90年代の阪神暗黒時代における先発の柱だった湯舟敏郎。1994年などは、規定投球回をクリアして防御率3.05の好成績ながら、5勝7敗という割に合わない勝利数を挙げていた「不遇のエース」として知られています。
そんな湯舟のひのき舞台は、1992年6月14日の甲子園球場。ボール球を振らせる巧みなピッチングで三振の山を築き、迎えた9回。2アウトランナーなしで、ラストバッターはスイッチヒッターの正田。あわやセンターに抜けるかというヒット性の当たりを放たれますが、セカンド和田のファインプレーでアウトに仕留め、見事、偉業を達成したのでした。
そんな湯舟のひのき舞台は、1992年6月14日の甲子園球場。ボール球を振らせる巧みなピッチングで三振の山を築き、迎えた9回。2アウトランナーなしで、ラストバッターはスイッチヒッターの正田。あわやセンターに抜けるかというヒット性の当たりを放たれますが、セカンド和田のファインプレーでアウトに仕留め、見事、偉業を達成したのでした。
湯舟敏郎 阪神 ノーヒットノーラン 1992年
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西崎幸広(日本ハム)‐1995年7月5日
スラッとした長身と甘いマスクから「トレンディエース」と呼ばれていた西崎幸広。プロ入り1年目から3年連続で15勝以上をマークするなど、外見だけではなく実績も抜群の投手でした。
そんな西崎は、1989年4月13日に完全試合、1995年4月22日にノーヒットノーランをいずれも西武戦にて惜しいところで逃していましたが、1995年7月5日、三度巡ってきた西武戦でのチャンスを活かし切りついにノー・ノー達成したのでした。
そんな西崎は、1989年4月13日に完全試合、1995年4月22日にノーヒットノーランをいずれも西武戦にて惜しいところで逃していましたが、1995年7月5日、三度巡ってきた西武戦でのチャンスを活かし切りついにノー・ノー達成したのでした。
西崎幸広 日本ハム ノーヒットノーラン 1995年
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佐藤義則(オリックス)‐1995年8月26日
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オリックスなどで活躍した通算165勝の大投手・佐藤義則がノーヒットノーランを成し遂げたのは、40歳11ヶ月の時のこと。当時NPB史上最年長の記録となり、当時、阪神・淡路大震災を受けて「がんばろうKOBE」のスローガンのもと優勝を果たしたチームに華を添えました。
佐藤義則 オリックス ノーヒットノーラン 1995年
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テリー・ブロス(ヤクルト)‐ 1995年9月9日
2メートル5センチの長身から投げ下ろす剛速球と、外国人にしては珍しいフォークボールの使い手として来日1年目から14勝5敗・防御率2.33と大活躍したテリー・ブロス。ノー・ノーを達成したのは、まさにこの入団1年目の巨人戦。落合博満ら強打者揃いの打線を完ぺきに抑え込み、敵地・東京ドームで雄叫びを上げたのでした。
テリー・ブロス ヤクルト ノーヒットノーラン 1995年
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日本ハムファイターズ (1984 - 1994)
通算成績:84勝97敗13セーブ