隻腕の投手 ジム・アボット
ジェイムズ・アンソニー・アボット。
1967年9月19日生まれ。アメリカ合衆国ミシガン州フリント出身。
先天性右手欠損というハンディキャップを抱えながら、大リーガーにまで登りつめ、先発投手としてローテーションに入り、活躍したことで知られている。
右腕の先にグラブをのせ、投球と同時に左手に持ち換えて守備をする「アボット・スイッチ」も有名。
1967年9月19日生まれ。アメリカ合衆国ミシガン州フリント出身。
先天性右手欠損というハンディキャップを抱えながら、大リーガーにまで登りつめ、先発投手としてローテーションに入り、活躍したことで知られている。
右腕の先にグラブをのせ、投球と同時に左手に持ち換えて守備をする「アボット・スイッチ」も有名。
【個人データ】
・左投左打
・身長:6' 3" =約190.5 cm
・体重:210 lb =約95.3 kg
【所属チーム】
・カリフォルニア・エンゼルス (1989~1992)
・ニューヨーク・ヤンキース (1993 - 1994)
・シカゴ・ホワイトソックス (1995)
・カリフォルニア・エンゼルス (1995 - 1996)
・シカゴ・ホワイトソックス (1998)
・ミルウォーキー・ブルワーズ (1999)
・左投左打
・身長:6' 3" =約190.5 cm
・体重:210 lb =約95.3 kg
【所属チーム】
・カリフォルニア・エンゼルス (1989~1992)
・ニューヨーク・ヤンキース (1993 - 1994)
・シカゴ・ホワイトソックス (1995)
・カリフォルニア・エンゼルス (1995 - 1996)
・シカゴ・ホワイトソックス (1998)
・ミルウォーキー・ブルワーズ (1999)
【通算成績】
・勝敗:87勝108敗
・防御率:4.25
【節目の日付】
・プロ入り:1988年 ドラフト1巡目
・初出場:1989年4月8日
・最終出場:1999年7月21日
・勝敗:87勝108敗
・防御率:4.25
【節目の日付】
・プロ入り:1988年 ドラフト1巡目
・初出場:1989年4月8日
・最終出場:1999年7月21日
ジム・アボット 来歴
右手のハンデにも関わらず高校でエースとして活躍した。また、アメリカンフットボールのクォーターバックとしてフリント中央高校を州大会優勝に導いた。
野球選手としての実力を評価され、1985年のMLBドラフトでトロント・ブルージェイズから36巡目に指名を受けたが、契約せずミシガン大学に進学。
その後、ミシガン大学時代には通算26勝8敗の見事な成績を残し、チームを2回のビッグ・テン大会優勝に導いた。
1987年にはアメリカのアマチュア・スポーツ選手に贈られるサリバン賞を野球選手として初めて受賞した。この賞は「リーダーシップ、性格、スポーツマンシップの資質、そしてアマチュアリズムの理想に基づいて、競技の成果のみならず、受賞者の強い道徳的性格に敬意を表する」ものとされる。
野球選手としての実力を評価され、1985年のMLBドラフトでトロント・ブルージェイズから36巡目に指名を受けたが、契約せずミシガン大学に進学。
その後、ミシガン大学時代には通算26勝8敗の見事な成績を残し、チームを2回のビッグ・テン大会優勝に導いた。
1987年にはアメリカのアマチュア・スポーツ選手に贈られるサリバン賞を野球選手として初めて受賞した。この賞は「リーダーシップ、性格、スポーツマンシップの資質、そしてアマチュアリズムの理想に基づいて、競技の成果のみならず、受賞者の強い道徳的性格に敬意を表する」ものとされる。
via ameblo.jp
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同年アメリカ代表としてパンアメリカン大会で好投。銀メダル獲得に貢献した。
1988年にMLBドラフトでカリフォルニア・エンゼルスから1巡目(全体8位)で指名を受け入団することになった。
その後、ソウルオリンピックの決勝で日本と対戦し好投、アメリカ代表は5-3で勝利し、金メダルを獲得。
ちなみに、この時の日本代表には後に大リーグでも活躍する野茂英雄がいた。他にも古田敦也、野村謙二郎などの好選手がおり、彼らを中心としたプロ野球ドラフト会議が「黄金ドラフト」と呼ばれる一因となった。
1988年にMLBドラフトでカリフォルニア・エンゼルスから1巡目(全体8位)で指名を受け入団することになった。
その後、ソウルオリンピックの決勝で日本と対戦し好投、アメリカ代表は5-3で勝利し、金メダルを獲得。
ちなみに、この時の日本代表には後に大リーグでも活躍する野茂英雄がいた。他にも古田敦也、野村謙二郎などの好選手がおり、彼らを中心としたプロ野球ドラフト会議が「黄金ドラフト」と呼ばれる一因となった。
【剛速球 野茂】ソウル五輪野球決勝 日本対アメリカ【アボット】
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1年目から活躍!新人王まであと一歩だった!
1989年はマイナー経験なしで先発ローテーション入りを果たす。4月8日のシアトル・マリナーズ戦でメジャーデビューを飾るが、5回途中6失点で敗戦投手。5月17日のボストン・レッドソックス戦でメジャー初完投・初完封を達成。
最終的に12勝12敗、防御率3.92を記録。1年目での12勝は1976年にデトロイト・タイガースのマーク・フィドリッチが19勝を記録して以来最多で、新人王の投票では5位に入った。
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1990年は10勝14敗、防御率4.51、リーグワーストの被安打246と不調。
1991年も開幕から4連敗を喫するが、後半戦で調子を上げて11勝を記録。シーズン通算で18勝11敗、防御率2.89をマークし、サイ・ヤング賞の投票でロジャー・クレメンス、スコット・エリクソンに次ぐ3位に入る。同年はマーク・ラングストンが19勝、チャック・フィンリーが18勝を挙げるなど、左腕トリオとして活躍した。
1992年は好投するものの打線の援護に恵まれず、防御率2.77ながら7勝15敗と大きく負け越した。
同年病気やハンディキャップを克服して好成績を残した選手に贈られるトニー・コニグリアロ賞を受賞。
12月6日にJ.T.スノー、ラス・スプリンガーらとの交換トレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍。
1993年にノーヒットノーランを達成!
1992年のシーズンオフに、交換トレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍したアボット。
1993年9月4日には本拠ヤンキー・スタジアムで行われたクリーブランド・インディアンス戦でノーヒットノーランを達成した。大リーグ通算225人目(9回未満など含む)の快挙だった。
ヤ軍史上では8人目(Wシリーズ含む)で、自身シーズンの10勝目を飾った。
最後のバッターを内野ゴロに仕留め、アボットは歓喜の輪に包まれた。
ノーヒットノーラン達成の瞬間、アボットはガッツポーズ。同時にチームメイトたちがマウンドに駆け寄り、抱き合い喜んだ。
また、スタジアムの観客はスタンディングオベーションでアボットを祝福し、拍手はいつまでも鳴りやまなかった。
アボットはインタビューで「ちょっと非現実的な気がする。興奮で死にそうだ。自分がノーヒットをするなんて考えたこともなかった」と語っている。
1993年9月4日には本拠ヤンキー・スタジアムで行われたクリーブランド・インディアンス戦でノーヒットノーランを達成した。大リーグ通算225人目(9回未満など含む)の快挙だった。
ヤ軍史上では8人目(Wシリーズ含む)で、自身シーズンの10勝目を飾った。
最後のバッターを内野ゴロに仕留め、アボットは歓喜の輪に包まれた。
ノーヒットノーラン達成の瞬間、アボットはガッツポーズ。同時にチームメイトたちがマウンドに駆け寄り、抱き合い喜んだ。
また、スタジアムの観客はスタンディングオベーションでアボットを祝福し、拍手はいつまでも鳴りやまなかった。
アボットはインタビューで「ちょっと非現実的な気がする。興奮で死にそうだ。自分がノーヒットをするなんて考えたこともなかった」と語っている。