悪太郎・堀内恒夫!態度の大きい新人投手は沢村賞を獲得!HRの多い投手でしたね!
2017年1月19日 更新

悪太郎・堀内恒夫!態度の大きい新人投手は沢村賞を獲得!HRの多い投手でしたね!

堀内恒夫。巨人軍のV9を支えた大エース背番号「18」。夜遊びを続けた悪太郎。しかし、成績は落とさずに200勝投手になりました!

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本人が振り返る「悪太郎」と呼ばれたきっかけ

きっかけは1年目にあります。入団に際して記者が質問する時に、時間や場所をずらして1社ずつ同じようなことを聞いてくる。
それで「面倒臭いから1つにまとめてくれ」といったんです。
そんな生意気なことをいう高卒ルーキーなんていませんよね(笑い)。だから記者はカチンときたんでしょう。

それで2年目、腰を痛めて多摩川(二軍)で調整している時に総攻撃されました。
生意気な堀内が二軍に落ちた、これで終わりだといわんばかりに、紙面に「悪太郎の目にも涙」だの「天狗の鼻が折れた」だの、それはボロクソに書かれました。

まァ僕は常にマスコミとは戦いだと覚悟していたので、書かれても仕方ないとは思っていましたけどね。
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ルーキーにしてオールスターに選出されました!

直球も変化球も超一品だった大投手!

体が柔らかく、腰が強い特徴を持ち、投球における体の使い方の理解度が高い投手ではないかと思われる。
肉体の筋力の強さは決して歴代の豪速球投手を上回ってはおらず、豪速球投手としては中肉中背の平均レベルだと思われるが、優れたフォーム、投球センス、高い身体能力で十分補えていると思われる。

それでも全力投球スタイルのルーキー時の光電管を用いた終速測定で、155km/hを計測する実績を残しており、衰えた引退間際でも140km/h後半を計測している。
柔軟性、平衡感覚、運動神経、大きな球形状の上体の回転、力の全てを受け止める強い腰、これだけの素質に恵まれていたなら、歴代No1の称号を目指すべき存在だったと思われる。
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全力投球で帽子がずれる堀内。
実はダイナミックな投球フォームに見えるよう、わざと大きい帽子を被っていました。
直球に対して変化球では、キレのあるドロップカーブや大リーガービル・シンガーから教わったチェンジアップ(「ロサンゼルス・ドジャース」のキャンプに参加した時)等がありました。これらも天下一品でした!

堀内恒夫晩年のピッチング - YouTube

懐かしい眼鏡をかけてのピッチング!
内野陣にも中畑や篠塚がいます!豪華!

打撃センスも光った投手だった!

打撃も上手く通算で21本塁打を記録。
特に1967年10月10日の対広島戦(後楽園球場)ではノーヒットノーランを達成し、さらに自ら3打席連続本塁打を放っている。
投手による3打席連続本塁打は史上唯一。

これに関して本人は現役引退後、「4打席目にホームランを打てず(中前安打)ガッカリしてベンチに戻った際に他の選手に言われるまでノーヒットノーランに気付いていなかった。
『4打席連続本塁打の代わりにノーヒットノーランでいいや』『あーあ、しょうがねえ、じゃあノーヒットノーランでもやるか』と思った」と語っている。

1973年の日本シリーズ第3戦では2本塁打を放っているが、日本シリーズで投手の1試合複数本塁打も史上唯一。
この2本塁打などの活躍で1972年、1973年と2年連続で日本シリーズMVPを受賞。
1983年の引退登板でも当時大洋の金沢次男投手からホームランを放っている。
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打っても投げても超一流でした!

現役最終打席でのホームラン詳細

引退試合(10月22日の対大洋戦)では、巨人3点リードの8回表から登板。

8回裏に回ってきた現役最終打席で本塁打を放っている。投手としては2イニングを抑えてセーブを記録。

引退試合での現役最終打席は、「ホリさんまで打順を回そう」と野手陣が打ちまくったことにより実現した。引退試合後の1983年の日本シリーズには出場しなかった。

1983 堀内恒夫 引退試合ホームラン - YouTube

現役時代、エピソードに事欠かない大投手だった堀内恒夫。

前述の江夏との通算100勝を掛けた一戦は堀内に軍配が上がりましたが、150勝を掛けた一戦では江夏に軍配が上がりました。
堀内は一つ下の江夏をライバル視していました。なんともアクの強い二人の対戦ですね。

また、「悪太郎」と言われた現役時代でしたが、野球に対しては非常に真面目で、初登板以降ピッチングノートを付けて、細かく打者を分析しており、先発前夜は寝付けなくなる程でした。

偉大な大投手も裏ではやはり努力していたんですね!
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