最速157km/h を記録 (当時の日本人プロ最速)
157km/hの球速を計時して当時の日本人プロ最速を記録している。その剛速球と名前から剛球投手と呼ばれた。
1990年、ルーキーイヤーから活躍
「史上最高の大豊作」と言われた年に入団
「大豊作」ドラフトといえば、1989年だ。入団した近鉄を筆頭に、ドラフト史上最多の8球団が競合した野茂英雄(新日鐵堺)をはじめとする、社会人選手たちがその後のプロ野球界を席巻した。
中日に1位指名を受けて入団したのが与田剛(NTT東京)
1989年ドラフト会議 - YouTube
2:27~
与田が中日に指名されるシーン
パンチョ伊東の声が、当時のドラフトを思い出させてくれます。
与田が中日に指名されるシーン
パンチョ伊東の声が、当時のドラフトを思い出させてくれます。
via www.youtube.com
在京球団を希望(母子家庭で母と遠距離になることが理由とされていた)して入団に難色を示していたが、「名古屋なんて近いよ」という母の言葉が決め手で入団
初登板
初登板は1990年4月7日の横浜大洋ホエールズとの開幕戦で、同点で迎えた延長の11回表無死1、3塁のピンチでのリリーフ登板であったが2つの三振を含む無失点に抑えた。
与田1990年とその後 - YouTube
初登板のシーンから始まり、150km/h超えのピッチングの連続です。
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新人王
この年、セ・リーグの新人王に選ばれたのは、中日のルーキー・与田剛。新人では史上最多となる31セーブを挙げ、最優秀救援投手に輝いたことが決め手になった。
あの星野仙一監督でさえ「♪すごい男がいたもんだ」と、当時流行していたCM音楽のフレーズを口ずさんでしまったほどの投手である。
オールスターで、清原との名勝負を演じる
90年 オールスター第二戦 与田VS清原 - YouTube
1990年のオールスター
清原、特大のホームランです。
清原、特大のホームランです。
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1990年のオールスター第2戦。
新人の与田が異例の先発で、打席に清原を迎えました。
プロとしてはルーキーですが、年齢では上の与田。全力でボールを投げ込みます。
しかし、当時「ミスタープロ野球」とまで呼ばれた清原に特大のホームランを打たれ、プロの洗礼を浴びました。
その直後、がっくりと肩を落とす与田に、声を掛けた男がいました。
新人の与田が異例の先発で、打席に清原を迎えました。
プロとしてはルーキーですが、年齢では上の与田。全力でボールを投げ込みます。
しかし、当時「ミスタープロ野球」とまで呼ばれた清原に特大のホームランを打たれ、プロの洗礼を浴びました。
その直後、がっくりと肩を落とす与田に、声を掛けた男がいました。
同僚・落合のかたき討ち
セの先発与田は清原にホームランを打たれベンチで落ち込んでいたら、
落合が「お前もう景品貰えないな。じゃあ野茂にも取らせるわけにはいかない。」と言って次の打席で野茂から特大ホームランを打ちました。