投手・木田優夫。巨人にドラフト1位で入団し、先発や中継ぎ、抑えとして活躍しました。
その後のメジャー移籍や日本復帰、そして再びメジャー挑戦等、各球団を渡り歩いた選手でした。
その後のメジャー移籍や日本復帰、そして再びメジャー挑戦等、各球団を渡り歩いた選手でした。
巨人からドラフト1位指名された木田優夫
木田は1986年のドラフトで巨人に1位指名され、プロ野球選手としてのキャリアをスタート。日大明誠高では一度も甲子園出場がなかっただけに、超異例のサプライズ指名だった。
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プロ初勝利
(1989年シーズンに)開幕1軍を果たすと、当初は中継ぎを務めていたが、桑田真澄投手が足を突き指するアクシデントに見舞われ、先発登板を回避することになった。首脳陣は代役として、木田投手を指名した。
4月下旬、東京ドームの中日ドラゴンズ戦でプロ入り初先発。ストレートとカーブだけで恐竜打線を抑え、プロ入り初完投、初勝利を記録した。
ちなみに、この日に投げあった相手は、先日にプロ野球最年長登板記録を達成した山本昌(中日)。ともに前年フロリダへ野球留学し、切磋琢磨(せっさたくま)した間柄だった。
ユーティリティ・プレイヤーとして活躍
1990年には自身唯一となる二桁勝利を記録し、この年セ・リーグ最多のシーズン182奪三振を記録し、オールスターゲームにも監督推薦で出場した。その後は伸び悩んだが、先発・中継ぎ・抑えと何でもこなす役割を果たした。
メジャーリーグへ
1998年にオリックスブルーウェーブに移籍。その年のオフにフリーエージェントとなり、メジャー十数球団よりオファーを受ける。
「大リーガーになること自体が夢だったわけではない。より高いレベルで、現実として、マウンドからボールを投げられるということが自分の夢なんです。それにいつでもワクワクして野球をやりたい」と語った木田は、アメリカン・リーグのデトロイト・タイガースに入団。
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タイガースの入団会見では羽織袴姿で登場し、「ロボコップに会えなくて残念(映画の舞台がデトロイトであることから)」とジョークを飛ばして報道陣の笑いを誘った。
代理人無しの入団交渉
木田が変わっていたのは、入団交渉において代理人を付けず、自ら直接交渉に臨んだこと。
メジャーでの初勝利
8人目の日本人メジャーリーガーとして、1年目には、主に中継ぎで49試合に登板し、6月14日には、マリナーズ戦でメジャー初勝利を上げました。