数々の球団を渡り歩いた右腕
読売ジャイアンツ (1987 - 1997)
オリックス・ブルーウェーブ (1998)
デトロイト・タイガース (1999 - 2000)
オリックス・ブルーウェーブ (2000 - 2001)
ロサンゼルス・ドジャース (2003 - 2004)
シアトル・マリナーズ (2004 - 2005)
東京ヤクルトスワローズ (2006 - 2009)
北海道日本ハムファイターズ (2010 - 2012)
石川ミリオンスターズ (2013 - 2014)
via i.huffpost.com
波瀾万丈の野球人生
オリックスブルーウェーブに移籍してからは、波瀾万丈の野球人生だったと思う。フリーエージェント宣言でメジャーリーグに移籍、日本球界復帰、アメリカ球界復帰など、いくつものチームに所属した。2006年以降は、東京ヤクルトスワローズ、北海道日本ハムファイターズでプレーしたのち、2013年から石川ミリオンスターズ(BCリーグ)に移った。
現役最後の登板は、2014年9月14日の群馬ダイヤモンドペガサス戦で、9回1イニングを3者連続三振に斬った。奇しくも木田投手あこがれの人、ノーラン・ライアン投手と同じ46歳で引退した。
投打のエピソード
速球派ピッチャー
最速156キロをマークした本格派剛腕右腕木田優夫。
ストレートの威力は素晴らしく、捕手がしっかりと捕球しないと痛い程球の重さも兼ね備えていました。
1993 木田優夫 4 156km - YouTube
via www.youtube.com
プロ初安打が「サヨナラホームラン」だった!
12回ウラ、木田が2度目の打席に立った。「ただ思い切り振ろうとしか考えなかった。どうせ打てないんだから」・・・・
木田。しかし、その思い切って振ったスイング軌道のところに金沢の投じた速球が入ってきたからたまらない。打球は、あっという間に
左翼スタンドに消えた。「入っちゃった」と木田。ちなみにこれがプロ初安打だった。
日米で活躍した投手だった木田優夫。
40歳を過ぎても精力的に野球選手として、もう一花咲かせようと懸命に努力する姿は共感を呼びましたね。
地上波で巨人戦を放送していた時代に最も活躍したので、いまだに人気があります。
野球選手を引退してからもずっと野球に携わっていくとの事です。第二の人生も頑張って欲しいと思います。
40歳を過ぎても精力的に野球選手として、もう一花咲かせようと懸命に努力する姿は共感を呼びましたね。
地上波で巨人戦を放送していた時代に最も活躍したので、いまだに人気があります。
野球選手を引退してからもずっと野球に携わっていくとの事です。第二の人生も頑張って欲しいと思います。