デビュー、そして歌手へ
デビューは?
彼女の芸能界デビューは、スクールメイツとしてのバックダンサーでした。
髙橋真梨子がスクールメイツ!意外ですね。
髙橋真梨子がスクールメイツ!意外ですね。
音楽を目指した父の影響を受け芸能界に憧れ、自らもジャズボーカルの勉強を始める。16歳になるとプロ歌手を目指して九州女子高等学校(現・福岡大学附属若葉高等学校)より駒沢学園女子高等学校へ転入のため上京。渡辺プロのもとで本格的なレッスンを受けた後、1966年に「スクールメイツ」の一員として芸能界デビュー
でも、自身の目指した音楽の世界とは、かけ離れていたのですね。
決断
しかし自身の求めているアーティスト路線でなかったこともあり、高校を卒業すると渡辺プロを脱退し、博多に戻りディスコやクラブでの活動を始めた。
この大きな決断が、後々、自身の歌手活動をガラッと変えることになります。
歌手として
1972年に「ペドロ&カプリシャス」のペドロ梅村にスカウトされ、先代に次ぐ二代目ボーカルとして参加
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これが大きな大きな転機となり、歌手・髙橋真梨子(当時は髙橋まり)が誕生するのです。
「ジョニーへの伝言」「5番街のマリーへ」と続けてヒット曲を出し、注目を浴びます。
そして、1974年の紅白歌合戦に出場。
歌は、「ジョニーへの伝言」でした。
「ジョニーへの伝言」「5番街のマリーへ」と続けてヒット曲を出し、注目を浴びます。
そして、1974年の紅白歌合戦に出場。
歌は、「ジョニーへの伝言」でした。
ジョニーへの伝言 高橋真梨子
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セカンドヒットの「5番街のマリーへ」も「ジョニーへの伝言」同等のヒットとなり、彼女の歌手としての地位を確立していきました。
ペドロ&カプリシャス/五番街のマリーへ
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ソロへ、そして、髙橋真梨子へ
メンバーとなって6年後の1978年、カプリシャスに別れを告げ、ソロへ転身します。
芸名も「髙橋まり」から「高橋真梨子」へ。
芸名も「髙橋まり」から「高橋真梨子」へ。
独立当初は音楽活動を重視し、テレビへの出演は自制していた。かつて『NHK紅白歌合戦』の出演依頼に対しても「大晦日にスケジュールを拘束されたくない」という理由で辞退したこともある
ソロデビュー
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