M-AGE(エム エイジ)
via resonanz-tun.com
オルタナティブダンスやデジタルロックブームを10年近く先取りした形態で「早すぎたグループ」として伝説的存在になっている。
メンバー紹介
KOICHIRO(こういちろう)
ボーカル担当。歌唱力については賛否あった。解散後にUndoを結成するも活動休止。
MIYO-KEN(みよけん)
ギター担当。解散後、三代堅としてBUCK-TICKの櫻井敦司のソロライブ等に参加。清春のソロ・ライブでのバンドマスターを務めるかたわら、現在もアレンジャーや、ユニットu crack irigaruとして活動。
OKAZAKI(おかざき)
ドラム担当。本名・岡崎達成(おかざきかつしげ)。1967年2月2日生まれ。茨城県日立市出身。解散後はGUNIW TOOLSにサポートメンバーとして参加、2002年からはそのGUNIW TOOLSのASAKIとともにAGE of PUNKとして、また2004年からはBUCK-TICKの今井寿及びmedia youthのKIYOSHIとともにLucyとして活動。2008年よりMinimum Rocketsにてツインドラムの片翼も担う。
DJ PEAH(でぃーじぇい ぺー)
DJ担当。後期にはエレキギターのようにターンテーブルを肩から提げる事もあった。
活動途中で脱退したメンバー
KAJIWARA YUJI(かじわら ゆうじ)
ベース担当。1993年に脱退し、CMJKとともにCONFUSIONを結成。
M-AGEについて
・アイドル的なルックスと音楽性が仇となる?!
非常に若くルックスも良い新世代のバンドとして当初はアイドル的な人気も期待されていたようですが、そのパブリックイメージと目指す音楽性とのギャップが仇となったのかいまいち売れたとは言いがたい結果となってしまいました。当初はまだ荒削りな印象もありメロディも勢いに任せた部分も見え隠れしていましたが、次第にエレクトリック度が上がってくるにつれてサウンド的にも落ち着きが出てきたというかクオリティが目に見えるように上がっていきました。
・先取りした音楽を取り入れた!!
M-AGEってバンドの評価は非常に低いと思う。つか知らない人のほうが多いでしょう。
90年代初頭UKで起こったマンチェスター系サウンドとリンクして体言化してた唯一のバンドである。
この路線に同調してたのは他のバンドだとバクチクだけだ。
ジーザスジョーンズのUSでの成功がマンチェ系の勢いに追い風となっていた90年代初頭
その流れを感じてた日本人は少ないようだ。少なくてもクロスビートやロッキンオンを読んでた読者はこの流れでついてきてたが日本のプロでこの流れを意識してた人は少ない。実は密かに布袋なんかはチェックしてたようだけど。
cmjkやM-AGEの梶原なんかは非常にこの辺は意識してた。JKはまだ電気グルーヴのメンバーだったが脱退してCUTEMEN始めた原因のひとつがマンチェだったと思われる。
ビクターってレコード会社には杉山 勇司という天才プロデューサー兼エンジニアがいたから
こそ、M-ageやバクチクのマンチェスター化は実現できたと言える。
※マンチェスター系サウンドとは、ロックとダンス・ミュージックが融合した音楽です。
バンド経歴
1989年6月、ギターがMIYO-KEN、ベースがKAJIWARAにそれぞれ交替。これを機に、エレクトリック色を取り入れたバンドにシフトする。
1991年、コンピレーション・アルバム『DANCE 2 NOISE 001』に「CALL ME」で参加。
1992年2月21日に1stアルバム『MUSTARD』を発売。
via www.amazon.co.jp
M-AGE - someday close your eyes.
1992年、ビクター内のXEOレーベルが発足、そっちへ移籍し、2ndシングル「someday close your eyes」をリリース。
via youtu.be
『someday close your eyes』についてコメント
今作ではシューゲイザー的なギターサウンド処理がされており、同時期の英国のチャプターハウスのセカンド等と似たサウンドプロダクションとなっている。
ロックバンド。