2017年1月26日 更新
一度乗ったら最後!乗り続けなければならなくなる魔力!なんとも言えないマツダの迷車たち ~メーカー別マニアック名車 マツダ編
長年、日本の自動車界を支えてきた国産メーカーのマニアックな名車を「マツド・デラックス」が選りすぐってお送りするわよ!今回は日産、三菱に続きマツダよ!コアなファンが多いのも有名よね!楽しんでね!
色々な大人の事情で縦目も変更されW123似たこのマスクも レガートとしてはマイナスだったのかしら?でも、このフロントマスクが好きな方も多いのも事実よね。
でもあたしに言わせてもらえば「ベンツ路線」はもうこの三代目の時に決まっていたんじゃないかしら?そんな事を想像させる後期のフロントよね。しかし、最もこの車の悲劇は「ルーチェレガート」と言う名前よ。なんでこの車が「迷車」扱いになってるのかと言うとそこには悲しいお話があるのよ。
そもそもあたしの「ルーチェ」は「ロータリークーペ」や「2ドアハードトップ」のイメージが強かったのよ。そして、2代目ルーチェも同時販売していたから、当然あたしは「レガート」は別物と思っていたの。いや、そのはずだったのよ。ところがどこでどう間違ったのかこの車の「運輸省」への型式認定の申請を「ルーチェ」で申請していたからさあ大変!当然のことながら「レガート」の名前は無許可使用扱いとなり使用不可となりるの。まさに「国家に消された」のよ。
そしてその煽りは「二代目ルーチェ」にも襲いかかる訳。結局2代目は販売終了に追い込まれ「ルーチェ」から2ドアが消えることになったの。今さら責めることはできないけどちょっとしたマツダ側の「凡ミス」だったのかしら?それともどこかからの横槍だったのかしら?
どちらにしてもこの歪みは五代目ルーチェにまで影響したのよね。1981年にフルモデルチェンジをする訳なんだけれどなんと「バン」に関しては四代目を飛び越え五代目販売の1988年まで生産され続けていたの。理由はなんだったのかしら?単に使いでが良かったの?いや、多分マツダの意地だったのかも知れないわね。!
でもね、この「ルーチェレガート」は、実はあたしが今マツダで乗りたい車No.1なの(笑)あーどこかにマルーンのセダンないかしら?もちろん縦目よ~(笑)
「ケサブローの兄貴分」 マツダT600
1959年に誕生した「マツダT600」は「迷車」でありながら偉大な「名車」だったわ。
1959年に少し前に販売された「マツダK360」俗に言う「ケサブロー」の後を追って、ダイハツ「ミゼット」との三輪車対決に名乗りをあげたマツダの秘密兵器が「T600」だったの。馬力は倍、積載量も倍以上の能力を持った兄貴は「ダイハツ」の三輪市場の牙城を崩すはずだったの。
でもそこには当時の色々な事情が待ち受けてたの。ミゼットもケサブローも360ccで軽自動車枠で恩恵を受けていたの。でもT600は普通車扱い。当然税金も高かった訳よね。そして、農村地帯での使い道よね。あたしの田舎で「ミゼット」と「ケサブロー」だらけだったわ。田んぼの畦道を走るにはもってこいだったのよこの2台!でも、ホイールベースが少し長くなった三輪車に農家は「ノー」だったのよ。じっちゃんが良く言っていたけど「ただでさえ田んぼの辻を曲がるときに落っこちる事があるのに長くしたら怖くて乗れん!」それだけが理由ではないと思うけど爆発的に売れた弟に比べ兄貴は駄目の烙印が押された・・・・はずだったの(笑)
そう。日本では1971年に生産中止されていたんだけど海の向こう「ミャンマー」では1995年頃(正確にはよくわからない)まで現地生産されていたらしいの。わかる?単純に考えて約35年よ!?デボネアもびっくりよね!「T600」名車だったのよ!今でもミャンマーでは現役で走ってるらしいわよ!
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