チューリップと財津 和夫
1970年前身のザ・フォーシンガーズとして結成、1989年一時解散。1997年に再結成。ロックでもフォークでもない新しい音楽分野「ニューミュージック(Jポップスの草分け)」を開拓したバンドのひとつ。
メンバー全員が作詞・作曲・ボーカルを担当していることも特徴で、この方針は伝統的に続けている。
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4人は地元でたちまち人気になり、TV番組やライブハウスの活動、ラジオ番組などが増えていった。多忙な日々を過ごして4年生になるころには、ファンクラブが結成された。
大学4年の冬、東京のレコード会社から声がかかる。しかし宗田と末広は、プロでやっていく実力が財津ほどなく将来への不安があったため脱退を決意した。その後、メンバーが何回か変わります。
財津は、のち「生意気にもこれが私の考える最強メンバーだと思っていたのね。それで無しってなった時、手足をもぎ取られた感覚になったよ」と二人が脱退した時のこと語っていました。
財津は、のち「生意気にもこれが私の考える最強メンバーだと思っていたのね。それで無しってなった時、手足をもぎ取られた感覚になったよ」と二人が脱退した時のこと語っていました。
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第三期メンバーのチューリップ『愛になりたい』
第三期 (1986-1989)
財津和夫、宮城伸一郎、丹野義昭、松本淳(1987年7月脱退)、高橋裕幸(1987年4月加入)、鈴川真樹(サポートメンバー)、松本光雄(サポートメンバー)、菊地圭介(サポートメンバー)、北原拓(サポートメンバー)、小林涼(サポートメンバー)、上野義雄(サポートメンバー)
財津和夫、宮城伸一郎、丹野義昭、松本淳(1987年7月脱退)、高橋裕幸(1987年4月加入)、鈴川真樹(サポートメンバー)、松本光雄(サポートメンバー)、菊地圭介(サポートメンバー)、北原拓(サポートメンバー)、小林涼(サポートメンバー)、上野義雄(サポートメンバー)
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チューリップはデビューした1972年から1989年の解散までの17年間のうちに構成メンバーがたびたび変化していて、それを目安に3つの期に区分しているようなんですが、「第一期でチューリップは終わったと言う人もいれば、「第二期以降はチューリップじゃない」と言う人もあり、また「第三期ももちろんチューリップさ。高橋君や丹野君、よかったよね」なんて言う人もいるわけです。
チューリップの間違いなく中心にいたのが、財津和夫でした。
バンド「チューリップ」のリーダー:財津和夫
日本のポップスシンガー、作曲家、音楽プロデューサー、ラジオDJ、俳優。ポップスグループ「チューリップ」のリーダー。
2004年から大阪芸術大学芸術学部音楽学科教授。
ビートルズに影響を受け、ポール・マッカートニーと呼ばれる日本のメロディメーカー。
メロディアスでポップな作品を多数、世に出した
2004年から大阪芸術大学芸術学部音楽学科教授。
ビートルズに影響を受け、ポール・マッカートニーと呼ばれる日本のメロディメーカー。
メロディアスでポップな作品を多数、世に出した
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1970年代から活躍しているニューミュージック系ポップスグループ「チューリップ」の中心的人物。チューリップのほとんどの楽曲の作詞、作曲を手がけている。1989年のチューリップの一時解散以降はソロ音楽活動を中心に活躍。1997年のチューリップ再結成後は、2〜3年に1回の頻度でツアー活動を軸にチューリップとしての活動も展開中。
子供のころから映画を観たりFENを聴いたりして、アメリカに憧れを持ち、その影響の延長で洋楽にはまって高校時代にビートルズに憧れるようになった。
財津和夫は、高校時代からの親友である吉田彰と共にミュージシャンを目指していた。
プロのミュージシャンを目指していた西南学院大学時代、キャンパス内のチャペルで末広信幸に出会う。美声を発する末広を見て財津は、すぐにスカウトをした。うまいプレイヤーを見つけるとすぐに自分のバンドに引き入れる財津は「バンド潰しの財津」と呼ばれていた。
財津和夫さんの才能は、当時のメンバーも認めるほどみたいです。
ライブ・ステージを備えた喫茶店『照和』
福岡出身の多くのアーティストが出演していたことからしばしば“伝説の照和”と称されるライブ・ステージを備えた喫茶店があります。
もともとオーナーはレストランにするつもりであったが当時フォークソングがブームになりつつあったことから生演奏をやったほうが人が集まると考えたマネージャーの進言によりライブ喫茶となる。
喫茶店『照和』で生演奏をする若物達
喫茶店ですからアルコールはなし。
入場料はジュースやコーラつきで250円。それで好みのバンドの演奏が楽しめるので、若い人たちの人気を集めた。
バンド連中の出演料は、バン食といっていたバンド用の軽食つきで30分の1ステージがソロ700円バンド1,000円。
入場料はジュースやコーラつきで250円。それで好みのバンドの演奏が楽しめるので、若い人たちの人気を集めた。
バンド連中の出演料は、バン食といっていたバンド用の軽食つきで30分の1ステージがソロ700円バンド1,000円。
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チューリップが「照和」へ出演するようになったのはアマチュア期チューリップからで、チューリップは当時既にかなりの人気であったため直接出演依頼されていました。また宗田と末広が抜けた後、第一期メンバーの練習場所として、「照和」が営業時間終了後に貸し出された。
財津和夫、吉田彰、宗田慎二、末広信幸
アマチュア期では、最初に出した「私の小さな人生」というレコードを出します。