近鉄バファローズ~3度目の戦力外通告(引退)まで
古巣に復帰後のオールスターゲーム
1996年に入団テストを受けて古巣・近鉄へ移籍。背番号をホークス時代の29を逆にした92に変え、同時に「2億円もカズ山本も福岡に置いてきた。
近鉄は古巣というよりルーキーの気持ちで頑張る。会社がいらないと言うまでやりたい」と登録名を本名に戻した。
その頃、コーチ陣が山本の打撃フォームの動作解析を行ったところ、山本のフォームは理想とされるフォームと寸分の狂いもなかったことが判明し、コーチ陣を驚かせた。
近鉄は古巣というよりルーキーの気持ちで頑張る。会社がいらないと言うまでやりたい」と登録名を本名に戻した。
その頃、コーチ陣が山本の打撃フォームの動作解析を行ったところ、山本のフォームは理想とされるフォームと寸分の狂いもなかったことが判明し、コーチ陣を驚かせた。
同年のオールスターゲーム、初めてファン投票出場を果たし、福岡ドームで藪恵壹から決勝ホームランを放つ。MVPとしてお立ち台に上がった山本は「まさか打てると思ってもいませんでした、まぐれです」と涙を流した。
1996年、「まぐれですよ」カズ山本、涙のオールスター代打ホームラン - YouTube
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1999年に生涯3度目の戦力外通告を受け、「これ以上の感動を与えるのは無理」と現役引退を発表。
9月30日の福岡ドーム最終戦にて指名打者で先発出場し、篠原貴行投手から勝ち越しホームランを放ち、引退の花道を飾るった。現役最終打席のホームランを放った直後、古巣福岡ダイエーホークスのホームグラウンドである福岡ドームで花束を受け場内一周、選手から胴上げを受けた。
カズ山本らしいエピソード
山本和範選手は生まれつき右耳が難聴で、仲間の掛け声や打球音が聞こえにくいこともあったのですが、
「野球のことだけは耳のせいにされたくない、ハンデなんかない関係ない」と言っていたそうです。
1990年代半ば、山本とイチロー(当時オリックス)が「バッティングセンターで育ったプロ野球選手」として業界団体から表彰されることとなったが山本は「ボクの方がバッティングセンターで育てられた」とこれを辞退。逆に業界団体側のプレゼンターとなった山本が、イチローへの表彰を行っている。
カズ山本はまさに記録より記憶に残る選手でしたね!
プロ最終打席やオールスターの代打でなかなかホームランは打てません!
独特な愛くるしい人柄もまた人気でした。
苦労人ですが、それを乗り越えた様子は、ハンデを抱えるスポーツ少年に勇気を与えたに違いありませんね。
プロ最終打席やオールスターの代打でなかなかホームランは打てません!
独特な愛くるしい人柄もまた人気でした。
苦労人ですが、それを乗り越えた様子は、ハンデを抱えるスポーツ少年に勇気を与えたに違いありませんね。