日本犯罪史に名を残す「偽札事件」の数々。
社会秩序の根底を揺るがす「偽札」。貨幣も含めた通貨偽造の歴史は古く、中世ヨーロッパでは国家ぐるみでの通貨偽造が行われたこともあります。一方日本では、昭和から平成にかけて精巧な偽札が流通する事件が世間を賑わせてきました。この記事では、そんな日本の偽札事件を特集したいと思います。
チ-5号事件(1951年)
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まずは、終戦後の1951年に発生した「チ-5号事件」。山梨、東京、愛知などで偽造千円札が発見され、警察の捜査の結果、山梨県のとある「村ぐるみ」での犯行が発覚し24人が逮捕されました。なお、この事件は2009年に「ニセ札」として映画化されています。
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謎のニセ札事件(1954年)
次にご紹介するのは1954年に発生した「謎のニセ札事件」。その発端は、東京都中央区の印刷所に興信所を名乗る男が「意味不明な紙幣のようなもの」を発注したことに始まります。この「紙幣のようなもの」には「100」という数字に意味不明な文字、そしてダビデの星などが描かれたデザインとなっており、そのあまりの異様さから印刷所が警察に連絡、事件が発覚しました。
「紙幣のようなもの」には謎の文字が描かれていました。
※画像はイメージです。事件とは無関係です。
※画像はイメージです。事件とは無関係です。
警察の調べによると、男の名乗った興信所は存在せず、また発注した「紙幣のようなもの」と同じデザインの紙幣は世界中のどこにもありませんでした。文字についても判読不能であり、言語学者が調査しても詳細は分からず。発注した男の行方も知れず、多くの謎だけが残る奇妙な事件となりました。
チ-37号事件
60年代前半、秋田県での偽札発見に端を発した「チ-37号事件」。1963年までの間に、全国各地で300枚を超える同様の偽札が発見されました。
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偽札史上、最高の芸術品。
チ-37号事件で特筆すべきことと言えば、その「偽札の精巧さ」。紙の厚さや手触りに若干の違いがあるものの、本物との比較で素人目には判別が不可能とまで言われるほどに、精巧な作りをしていました。そのため、この「チ-37号」は「日本の偽札史上、最高の芸術品」とまで言われています。そして1963年、日本銀行は紙幣の信頼維持のため、肖像に伊藤博文を採用した新たな千円紙幣を発行することとなりました。
子供たちの間でクイズが流行!
この事件に対処するため、警視庁は偽札を届けた者に謝礼として3000円を支払うことを決定。その他、犯人につながる有力な情報の提供者にも高額の謝礼を支払うこととしました。その結果、当時の子供たちの間では「300円の品物を千円札で買ったところ、2700円のお釣りが返ってきた。それはなぜか」というクイズが流行したと言います。