歴代の航空自衛隊【主力戦闘機】を調べてみました
2017年3月6日 更新

歴代の航空自衛隊【主力戦闘機】を調べてみました

冷戦時代も含め現在も領空侵犯してくる国籍不明機は後を絶たず、スクランブル発進は日常茶飯事となっていることをご存知ですか?昔から今も日本の空を守り続けてきた戦闘機を時代順にご紹介させて頂きます。

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F-15 現在の航空自衛隊主力戦闘機

F-15 現在の航空自衛隊主力戦闘機

はじめに

航空自衛隊エンブレム

航空自衛隊エンブレム

上部機関 防衛省
内部組織 航空総隊、航空支援集団、航空教育集団、航空開発実験集団、航空自衛隊補給本部
概要
所在地 〒162-8801
東京都新宿区市谷本村町5番1号
定員 航空自衛官約4万7,073名
(2015年度)
年間予算 予算1兆0,602億円
(2011年度)
設置 1954年(昭和29年)7月1日
航空自衛隊(略称:空自(くうじ)、英語:Japan Air Self-Defense Force、略称:JASDF)は、日本の自衛隊のうちの航空部門にあたる組織である。防衛省の特別の機関である。諸外国からは、英語:Japanese Air Force(日本空軍の意)に相当する語で表現されることがある。
航空自衛隊は第二次世界大戦後、日本の軍備が再建される中で、陸上自衛隊・海上自衛隊のように事実上の前身組織(旧陸軍・旧海軍)を持たず、アメリカ軍の協力によって新設されている。
発展過程で影響力を及ぼした者として、空自の育ての親と言われる源田実元海軍大佐(第3代航空幕僚長)の存在があり、自ら航空機に乗って指導し、またブルーインパルスの創設も行っている

F-86F 初代主力戦闘機

セイバー(旭光)

F-86F

F-86F

全幅:11.3m
全長:11.4m
全高:4.5m
主翼面積:26.7m2
最大離陸重量:6,300kg
エンジン:J47-GE-27
推力:26.3kN
最高速度:570knot(1,105km/h)
実用上昇限度:14,330m
航続距離:2,454km
固定武装:12.7mm AN/M3機関銃×6門
爆弾:最大900kg
乗員:1名
1954年(昭和29年)に誕生した航空自衛隊の主力戦闘機として、翌1955年(昭和30年)にF-86F-25/-30が28機、F-86F-40が152機の計180機のF-86Fが米空軍から供与された。続いて「小麦資金」を財源とし、同年から1957年(昭和32年)まで三菱重工業にてF-86F-40を70機ノックダウン生産、続いて国産品を使用したライセンス生産第2次生産分で110機、ほぼ全ての部品を国産化した第3次生産分(生産できない部品は米国の無償援助)で120機、1961年(昭和36年)までに総勢480機が配備された。
映画「ゴジラ」「ラドン」「モスラ」なんかの自衛隊の航空戦力として
出てたのが「セイバーF-86F」だった記憶があるんですが・・・間違ってますかね。
航空自衛隊の創成期を支えた忘れられない機体だと思います。
やはり有名なのは1964年の東京オリンピックで開会式で、上空に五輪マークを
描いていたのが印象的でした。

F-86D

F-86D セイバードッグ

F-86D

F-86D

全幅:11.3m
全長:12.29m
全高:4.57m
主翼面積:27.76m2
空虚重量:5,656kg
最大離陸重量:7,756kg
エンジン:J47-GE-17Bまたは-33
推力:33.35kN(アフターバーナー使用時)
最高速度:1,138km/h(海面高度)
実用上昇限度:16,640m
航続距離:1,344km
Mk4 FFAR マイティ・マウス24連式空対空ロケット弾
乗員:1名
 航空自衛隊初の全天候型戦闘機。対爆撃機迎撃用の機体で、武装は24連装のロケット弾のみ。米軍で余剰となった中古機が供与された。配備期間は10年程度と短いが、初の全天候型戦闘機として多くのノウハウを自衛隊に残した。
配備されていた期間が10年しかなかった機体だったんですね。
でもこの機体航空自衛隊が初めて得た全天候戦闘機ということで日本の自衛隊にとって
物凄く意味(色々な技術面)があったんだとされています。
ただ、全122機ほとんどが在日米軍のおさがりだったせいもあったし、日本の風土の
湿度の高さから電子機器の故障が絶えず、次期主力戦闘機への変更を急がせていたようです。

F-104J

スターファイター(栄光)

F-104

F-104

乗員 1人
全長 16.7m
全幅 6.7m
全高 3.0m
全備重量 11,300kg
エンジン 1基 名称:J79-GE-11A 推力:7,170kg
最大速度 マッハ2
航続距離 3,250km
武装 20mmバルカン砲×1、AAMサイドワインダー×2~4、70mmロケット弾×38
製作 ロッキード、三菱重工
細い胴体に短い矩形の主翼を持つ小型軽量の機体にゼネラル・エレクトリック社の強力なJ79型エンジンを一基搭載している。その卓越した高速性と形態はミサイル(当然無人である)を彷彿させ、日本やアメリカにおいては「最後の有人戦闘機」とも称された。
このF-104もよく特撮映画に登場していた記憶があります。何といっても
その形状がかっこよくて航空自衛隊と言えばこれが戦闘機っていうぐらい
印象に残っています。だけどこの形状で運動性能とかはどうだったんでしょう?
敵戦闘機との空中戦なんかはチョット想像がつかないですよね。

F-4EJ

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