名曲「いちご白書」をもう一度は起死回生のドラマチックな一曲だった!
2020年12月26日 更新

名曲「いちご白書」をもう一度は起死回生のドラマチックな一曲だった!

バンバンの代名詞として誰もが一度は耳にしたことがあるであろう「いちご白書」をもう一度。今回は、そんな名曲が生まれたきっかけや関連情報をまとめてお届けします。

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「いちご白書」をもう一度が誕生したきっかけは、一言でいうならばんばさんの「諦め」が元でした。

自身の知名度やDJとしての仕事が順調だった一方で、バンバンとして売れる曲を出せていなかったことで、当時のばんばさんは「解散」を真剣に考えていたそうです。

「次に出す曲が売れなかったら解散しよう」

そう決心したばんばさんでしたが、これまで自分が作ってきた曲の積み重ねが「今の現実」だったため、バンバンとして最後となるかもしれない曲を作る事ができずにいました。

フォークグループ「バンバン」を覚えていますか

「バンバン」は、1971年に結成し1977年の解散まで活動していたフォークグループです。

ばんばひろふみを中心にメンバーは最も多い時期は4人いましたが、バンバンとしての人気よりもラジオのDJとしてばんばひろふみの人気だけが独り歩きしてしまった感が強く印象にありますよね。

事実バンバンとして活動するもヒット曲に恵まれる事はなく、経済的な理由が原因で「いちご白書」をもう一度をリリースするころには、ばんばひろふみと今井ひろしの二人だけのグループになっていました。

ばんばひろふみ単体での人気や知名度があっただけに、バンバンの活動が上手くいかないことにとても悩んでいたとご本人も後に語っています。

きっと、この記事を読んでいる方のほとんどがバンバン=いちご白書というイメージしかないのでは?

その印象が付きまとうのはもっともで、バンバンは後にも先にも「いちご白書」をもう一度を超える曲をリリースすることなく解散しています。

「いちご白書」をもう一度ってどんな曲?

バンバン - いちご白書をもう一度 - 1975

「いちご白書」をもう一度は、若い世代の方々も含めて一度は耳にしたことがあると思います。

どんな曲だったっけ?という方のために、バンバンとして歌っている動画を紹介しておきますね。

ちなみにバンバンというグループ名の由来は、ばんばひろふみさんのあだ名。
良くも悪くも、ばんばさん一人だけが突出して目立ってしまったことも、グループとして大成しなかった要因なのかもしれませんね。

この頃のバンバンは、前述の通りたった2人となっています。

ばんばさんの隣でエレキギターを演奏している今井さんですが、ここまでグループとしての形が無くなってしまうと、曲調も相まってなにかもの悲しさを感じてしまいます。

超有名曲が生まれたきっかけは「諦め」だった

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他力本願という決意

ヒット曲に恵まれなかったばんばさんは、自分がその才能に惚れ込んだ「ある人」に運命を託そうと考えます。

その「ある人」とは、当時かずかずのヒット曲を生み出していた荒井由美でした。
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ばんばさんは自らがその才能に惚れ込んだ「荒井由美」が作った曲、それで売れなかったら悔いが残らないと考えて動き出します。

面識0から執念の出会い

驚くべきことに、ばんばさんはバンバンの命運をかけた曲を荒井由美さんに作ってほしいと思った時点で、接点や面識は一切なかったそうです。

同じ音楽業界にいるという共通点はあったものの、言ってしまえば「ただのファン」と同じような状況。

しかし、どうしても荒井由美の楽曲でバンバンの最期を飾りたかったばんばさんは、業界のありとあらゆる知り合いに声をかけて、音楽プロデューサーで荒井由美と後に結婚する松任谷正隆と知り合います。

松任谷氏の紹介を経て、ばんばさんはついに荒井由美さんと運命の出会いを果たします。

運命のイタズラで名曲は生まれた

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普通に考えれば、見知らぬミュージシャンが突然やってきて「曲を作ってくれ」と言っても首を縦に振るものではありません。

しかし運命のイタズラだったのか、荒井由美自身も当時も残っていた「学生運動」にまつわる曲を作りたいと思っていた矢先の出会いだったため、風貌が学生を思わせるばんばの姿を見て楽曲の作成を快諾したそうです。

もし学生運動が無かったら。

もし荒井由美と松任谷正隆の関係性が無かったら。

もしばんばひろふみさんの風貌が違っていたら。

「いちご白書」をもう一度という曲は、様々なタイミングや偶然が重なった結果生まれた運命的な一曲だったと言えるのかもしれませんね。

バンバン唯一にして最大のヒット曲に

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