あの“大ちゃんフィーバー”の記憶を呼び起こす書籍が堂々刊行!!
高校野球史上、1人の選手が大きく騒がれた中でも最大級ともいえる「荒木大輔フィーバー」。その記憶を呼び起こすスポーツ・ノンフィクション「荒木大輔のいた1980年の甲子園」が7月5日、集英社より刊行されます。
松坂大輔の命名の由来となり、スポーツの枠を越えた当時の「荒木大輔フィーバー」の狂騒は、のちのハンカチ王子や清宮幸太郎も及ばないといわれています。荒木大輔が出場した1980年から1982年までの5回の甲子園で何が起きていたのか。荒木本人と、キラ星のごとく並ぶ当時のライバルやチームメイトの証言で丹念に明かしていきます。
気になる本の内容は?
1980年、第62回の夏の甲子園で背番号「11」をつけた早稲田実業の1年生投手、荒木大輔が大旋風を巻き起こしました。準決勝までの5試合を無失点に抑え、まさかの準優勝。あの夏、世の中は荒木大輔を中心にまわり、それから2年半、高校野球界も荒木大輔を中心にまわりました。
なぜ、荒木の早実は東京で負けなかったのか。なぜ、全国の頂点に立つことはできなかったのか。内実を知られていない2年半の出来事を、荒木大輔本人と関係者たちに取材。荒木と公立中学で同級生だった宮下昌己(元中日)、早実のチームメイト石井丈裕(元西武)、甲子園で戦った愛甲猛(元ロッテ)、金村義明(元近鉄)、川相昌弘(元巨人)、三浦将明(元中日)、畠山準(元南海)などの証言により、当時の状況が明らかになります。
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大ちゃんフィーバーだけじゃない!荒木大輔伝説の数々!!
荒木トンネル
高校野球のアイドルとして大ブームを巻き起こした荒木大輔ですが、その人気は高校時代だけに留まりませんでした。ヤクルトスワローズに入団後もその人気は空前絶後であり、荒木を囲むファンの混乱を避けるため、神宮球場のクラブハウスと球場を結ぶ専用の移動用地下道(通称:荒木トンネル)が使用される事態に。
新しいカメラの設定完了!この前撮った荒木トンネルの写真! pic.twitter.com/fGYEqosbHA
— Yocchann (@Yocchann1) June 12, 2015
ヤクルト・荒木大輔 ルーキー時代
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怪我から4年を経て奇跡の復活!
1986年、87年と連続して開幕投手を務めるなどヤクルトの主軸投手として活躍していましたが、1988年シーズン中盤にヒジ痛を発症。その後、数年にわたり手術やリハビリを余儀なくされることとなります。懸命なリハビリの結果、1992年9月24日ついに1541日ぶりの一軍登板を果たしました。2試合に先発し2勝を挙げる活躍で、チームの14年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。
ヤクルトx広島 22回戦 1992/9/24 荒木大輔復活登板
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甲子園のアイドル荒木大輔!荒木トンネルまで作られたフィーバーぶり! - Middle Edge(ミドルエッジ)
1980年代の甲子園のアイドルと言えば荒木大輔。1年時に愛甲猛率いる横浜高校と対戦。プロ野球ではヤクルトで活躍するも、怪我との戦いを強いられた荒木大輔。大ちゃんフィーバーも含め、荒木大輔の野球人生を振り返る。