2020年8月15日 更新
「安さ爆発みんなのさくらや~♪」で東京・新宿などに君臨していた『カメラのさくらや』
70年代から90年代にかけてヨドバシカメラ、ビックカメラとともに大手家電量販店の代表として「YSB(ヨドバシ・さくらや・ビック)」と称された「カメラのさくらや」について振り返ってみたいと思います。
80年代までは2割・3割・4割引きが当たり前と、ヨドバシカメラやビックカメラとともに価格競争を展開し、「YSB」として大手家電量販店の代表格として君臨していたさくらやですが、90年代に入ると価格競争の激化により消耗し、徐々に他店の安さに着いていけなくなるようになりました。
「YSB」として、さくらやと争ったヨドバシカメラ。
価格で他店と競争することが難しくなったさくらやは、接客を重視した「好感接客」をアピールし、居心地の良い店内を演出することでリピーターを増やす戦略を取りました。しつこいセールストークを撤廃したため客の居心地の良さは確保出来たものの、しかしながらそれは同時に押しの弱さに繋がってしまい、結局売上増とはならず、後に方針を転換することとなりました。また、1990年には「カメラのさくらや」から「さくらや」へと名称を変更しています。
そして、当時他店が導入していたポイントカードではなく、その場で現金割引の出来るキャッシュバックカードを導入。他店との差別化を図ろうとしたのですが、カードの年会費が有料であったことから他社を追い抜くことは難しく、その後実質的なポイントカードを導入するなど、迷走が続きました。
21世紀に入り、ついに債務超過に陥る。
価格競争に敗北し迷走を続けたさくらやですが、21世紀に入ると、ついに債務超過に陥ることとなりました。その結果、2004年にはフェニックス・キャピタルからの出資により経営再建が行われ、2006年には「ベスト電器」の傘下に入ることに。2007年にはかつて本店であった新宿店を閉店するなど、抜本的な経営の見直しが図られました。
閉鎖された新宿店。
2010年、全店舗が閉鎖。会社清算へ。
ベスト電器の傘下に入ることにより生き残りを図ったさくらやですが、傘下に入った後も赤字の状態が続いており、2010年1月12日、当時残っていた15店舗のさくらやをすべて閉店し、事業からの撤退を発表しました。これはベスト電器がビックカメラと資本提携を行っており、新宿エリアでビックカメラとさくらやが競合するための対応であるとも言われており、閉店する店舗のうち新宿東口駅前店などはビックカメラが継承することとなりました。
2010年2月28日、さくらやは全ての店舗が閉鎖され、同年6月30日は会社も解散。64年の歴史に幕を下ろすこととなりました。完全閉店時の挨拶の模様がYouTubeに残されており、店長と思われる方が感極まって涙を流しながら感謝の言葉を述べる様子が収められています。
閉店時の挨拶の模様。
こうして、さくらやが無くなってから早10年が経過した現在。その跡地にはそれぞれ新たな店舗などが入り当時の面影を伺うことは難しいものの、かつてのCMなどがYouTubeに多数投稿されており、それらを振り返ってみることで当時を思い出すことが出来ます。
さくらやから「のれん分け」した店舗は現在も営業中!!
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