サヨナラ本塁打を打ちまくった白い鬼!【ジャック・ハウエル】の凄さに迫る!!
2016年11月25日 更新

サヨナラ本塁打を打ちまくった白い鬼!【ジャック・ハウエル】の凄さに迫る!!

1992年に日本にやってきた白鬼は、海の向こうのベースボールで名を馳せた選手でした。そんな大きな期待を胸にやってきたハウエルは4年間、日本プロ野球界で暴れまわってアメリカに帰って行ったのです。 そんなジャック・ハウエルの日本の活躍を中心に、どんな選手だったのでかご紹介いたします。

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勝利を舞い込ませる男!ジャック・ハウエル!!

ジャック・ハウエル(Jack Robert Howell)

ジャック・ハウエル(Jack Robert Howell)

1961年8月18日生まれ
身長183㎝、体重92㎏
右投げ、左打ち
ポジション:三塁手

ヤクルトスワローズの優勝に大きく貢献した大リーガー。
来日した年の前半戦は、まったくダメダメな選手でしたが、日本に慣れた後半戦から怒涛の追い上げでタイトルを獲るほどの強打者です。

ジャック・ハウエルの獲得タイトルや主な表彰と記録

首位打者:1回 (1992年)
本塁打王:1回 (1992年)

MVP:1回 (1992年)
ベストナイン:1回 (1992年、セ・リーグ三塁手)
月間MVP:2回 (1992年8月、1993年5月)
優秀JCB・MEP賞:1回 (1992年)

サイクルヒット:1992年7月29日、対広島東洋カープ15回戦(明治神宮野球場) ※史上44人目
シーズンサヨナラ本塁打5本:1993年 ※プロ野球記録(サヨナラ安打5本もプロ野球タイ記録)

ジャック・ハウエルのプレースタイルは?

勝負に強いところを見せるスラッガー

勝負に強いところを見せるスラッガー

来日して、さっそくサイクルヒッを放ち、打撃の強さを見せつけるジャック・ハウエル。
特に、勝負に強くて14年ぶりのヤクルト優勝に導くほどサヨナラ本塁打を打つ打者であった。
パワーを武器にボールをスタンドに放り込む典型的なスラッガーである。

大リーグでも、バットを折りながらスタンドに放り込む伝説もあるほど、チャンスにも強く、打撃力は抜群なのでだが、さぼり癖が強く、ノムさんにも当時、説教をくらうほどの人物である。
打率ももちろん高いが、四球が非常に多く、出塁率はかなり高い選手であった。

日本に来る前の活躍ぶり・・・。

メジャー時代のジャック・ハウエル

メジャー時代のジャック・ハウエル

1983年にカリフォルニア・エンゼルスと契約。1985年、メジャー初昇格。ダグ・デシンセイの衰えもあって1987年に正三塁手となり、同年23本塁打。ヤンキー・スタジアムでの試合でバットを折りながらも打球を右中間スタンドに叩き込むほどパワーがあった。1990年より出場数が減り、1991年途中にサンディエゴ・パドレスに移籍。

大きな期待を受けながらやってきた日本プロ野球の世界

1992年にヤクルトスワローズに入団する。大リーグでの活躍ぶりから周囲の期待は大きかった。特にヤクルトファンはかなりの期待だったでしょう。

シーズンが始まってからのジャック・ハウエルは日本の野球になかなかなじめず、前半戦でわずか8本塁打と来季はいないのではないかというぐらいお粗末な結果であった。
 (1632997)

しかし、後半戦はなんと打撃が大爆発! 後半だけで30本塁打を放ち、終わってみれば38本の本塁打を放ち、本塁打王のタイトルも獲るほどに。

しかも、首位打者のおまけつき。

ヤクルトはその年のリーグ覇者となり、MVPまで獲ってしまいました。

なぜ、爆発したかと言うと、打撃コーチと一緒にフォームのチェックや投手の癖を研究したことも大きかったが、一番の要因はバットを1インチ短くしたことによるものということです。

短くすることによって、内角の球をきれいにさばき、芯でとらえることが出来たのが素晴らしかったのではないでしょうか。
翌1993年は、数字としては打率.295、本塁打28本と落ちたのだが、勝負強さが目立ち1シーズンでサヨナラ本塁打を5本と軽く、日本記録を打ち破る大記録を残したのである。
しかし、1994年には他チームの投手から徹底的にマークされたことから、成績が振るわず、その年でヤクルトを解雇。

そして、FAを持ちかけた巨人に移籍するのであった。

ヤクルトの白鬼は、今度は巨人に!

その巨人でまずまずの成績を残していたものの、アメリカに残っていた夫人とのトラブルでアメリカに帰国したまま自由契約となったのです。

謎の外国人の特大ホームラン 解説陣も黙らせる - YouTube

野球ブログで月収100万円!? 平均200万円稼ぐブロガーがその稼ぎ方を公開! 無料→http://banana-asp.net/lp/1116/125097 1995年当時の巨人・外国人選手のホームランの様子です。解説の人たちも期待していなかったのか、打たないだろう的な雰囲気でしたが、大きなホームランが飛び出し...
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