その時ボクの目の前にアストロ球団の中島徳博先生が!
2017年11月30日 更新

その時ボクの目の前にアストロ球団の中島徳博先生が!

ボクがマンガの世界に入った80年代、集英社は年に2回手塚賞赤塚賞の授賞式を兼ねたパーティーをホテルオークラの大広間で開いてました。その後担当編集さんに連れられて2次会3次会へと繰り出し朝まで…、そんな集英社のパーティーに初めて連れて行ってもらった時の話です。

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集英社手塚賞赤塚賞授賞式

手塚賞赤塚賞授賞式パンフレット

手塚賞赤塚賞授賞式パンフレット

なんだかものすごく懐かしいです。実際にはいつも手ぶらで行っていたので丸めてポケットに突っ込んでいてボクのはどこに行ってしまったのか…
確かこの時の3次会か4次会(!)で今沖縄で描いている「なかいま強」くんが
アシスタントにはいるということで賞に送った原稿のコピーを見せられたんだったと思います。
ボクがいただいた新人漫画賞は月間少年ジャンプの月例賞佳作と小学館の月例賞くらいだったので、この日本一大きな新人漫画賞に縁はなかったのですが改めて見てみると80年代前後から友人知人の名前が何人も書かれてます。

最初にアシスタントで入ったのがジャンプ出身の「みやたけし」さん、その後「キャプテン翼」の高橋陽一さんのところに長くいた関係で80年代は毎回お邪魔させていたような気がします。

会場には芸能人や有名スポーツ選手もきていて本当に華やかな空間でした。身近に芸能人を見たのもそんな場が初めてだったかもしれませんし、あまり縁のないような有名作家先生を見たのもそんな席の中でした。

パーティーは午後6時から8時まででその後ホテルオークラのロビーで担当編集さんを待ち合わせて各々タクシーに乗り合わせて六本木や新宿などの繁華街に行くのですが、その待ち合わせのロビーで毎回パーティーが金曜夜だったこともあっていつも大きなテレビに新日本プロレス中継が流れていたのを妙に覚えてます。
(あの頃はまだビデオ録画も一般的じゃなかったので年に2回確実に見逃していたからですね 笑)

そんな集英社のパーティーに初めて連れて行ったもらった日のことです。

はっきりと覚えてないのですが2次会はおそらく六本木あたりで飲んで、その後3次会で新宿に行くことになりまたタクシーで新宿に…

3次会会場のお店がまだ手配できていないとかで新宿駅西口側の喫茶店に入って待つことになったのです。

その人はどう見てもヤ〇ザの親分そのものでした(ご免なさい)

何といってもアストロ球団!

何といってもアストロ球団!

ジャコビニ流星群打法にスカイラブ投法!
始まったのはボクが小学生の頃だったと思いますがとんでもないスケールのマンガでした。
宇野球一、上野球二、伊集院球三郎…何十年もたつのにメンバーの名前はソラで言えるし(笑)
時空探偵の原作者の山本さんともたまに話して盛り上がるととまらなくなります。
それぞれの編集さんの担当マンガ家のグループが何グループか一緒になって2次会3次会と流れていくのですが、その時は喫茶店で他のグループと合流してから3次会に行くという算段だったので長い喫茶店にテーブルの片側にボクたちのグループが先に入るような形になり、何の気もなしに手前から奥にずれて行ったらその席のど真ん中に座っていました。ボクの左側すぐ奥が作家の「みやたけし」さんです。

そこにちょっと遅れて入ってきたグループは中島徳博先生!
「アストロ球団」などで有名な中島徳博先生が何人ものアシスタントや関係者を引き連れてやってきて座ったのでした…ボクの目の前に!

ボクが中学生の頃から読んでいた「アストロ球団」の中島徳博先生が机を挟んですぐ目の前、それもボクはまだ20歳そこそこでマンガの世界に入ってまだ数か月という時でした。

その中島先生はボサボサの髪で喫茶店のソファーの上に胡坐をかいて座りその姿はまるでヤ〇ザの親分そのもの…20歳そこそこの僕には刺激が強すぎる光景です。

中島先生は(もちろんボクじゃなくて)みやさんに向かって話しかけます。
「おお、みやくんか久しぶりじゃのう…」

みやさんはデビューが早くその時点でジャンプで「GO!シュート」と「ブンの青春」という2度の連載を経験してその後ボクが初めてアシスタントに入ったサンデーの「はしれ!走!」の連載が始まったばかりとすでに多数の連載経験者でしたけどボクと1つ違いですから21~2歳だったと思います。

中島先生もボクより10歳前後年上でしたから当時30歳ちょっとといったところでしょうか?でも当時この世界に入ったばかりのボクにはそんな年齢には見えませんでした。

ボクは心の中で(怖くないの~っ!)なんて叫んでました。

義理かいとるけんのう…

今思うと30代前半のはずですが…

今思うと30代前半のはずですが…

その後も野球の試合とかで何度も見たことがあったのですが遠くから見るくらいでお話したことはないです。多分似顔絵は全然似てないんじゃないかと…
その時目の前で行われた会話は35年以上経った今でも鮮明に覚えています。

面識のあったみやさんは全く気にする様子もなく中島先生に「中島先生、今度野球しましょうよ野球!」と話しかけたのです。

まだみやさんのアシスタントに入ったばかりのボクでしたがすでに数回NEWヒーローズの前身のヒーローズに参加していましたし、中島先生も「海援隊」という草野球チームをお持ちになっていました。

「野球かぁ…」とつぶやくように言ったあと急に横を向いて「おい、マネージャー!」と呼びつけるとマネージャーらしき人が飛んできました。

「ワシゃあ みや君には義理欠いとるけのう、スケジュール空けとけや」
「分かりました~っ!」

何ともすごいまるでヤ〇ザ映画の一コマのようなやりとりです。

その後ちょっと雑談をした後移動という事になり「去ぬるぞ!」というと中島先生は立ち上がりアシスタントや関係者を引き連れて先に出て行ったのでした。

その姿はやはり…最近ではかなり少なくなってきたのだと思いますが当時のマンガかの世界だと
そういう出で立ち、雰囲気の方が多かったのですが入ったばかりのボクには初めての体験で(この世界にいられるんだろうか…)なんて思ってました。

すると一緒に中島先生を見送っていたみやさんがボクの背後からひと言

「カッコええのお…」

みやさんもそっちの人だったのですねとボクの不安はふくれ上がったのでした。

ここでしか読めない!ナカガー書き下ろしの「時空探偵マツ・de・DX」はコチラから

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