90年代のアメリカ犯罪史を代表する「O・J・シンプソン事件」
皆さんは「O・J・シンプソン事件」を覚えていますでしょうか?90年代にアメリカで起きた殺人事件で、アメフト選手として著名であったO・J・シンプソンが逮捕され、その裁判は当時世界中の注目を集めました。この記事では、事件の概要と裁判、そしてO・J・シンプソンの現在について書いてみたいと思います。
こちらが事件の主人公「O・J・シンプソン」
via ja.wikipedia.org
1994年6月13日、事件発生。
事件の始まりは1994年6月13日。O・J・シンプソンの元妻であったニコール・ブラウンと、その友人のロナルド・ゴールドマンが血だらけの遺体となって発見されました。ロナルドは格闘技の心得があったため、腕力のある男による犯行が疑われ、容疑者としてシンプソンの名前が浮上。そして、シンプソンがニコールの自宅があったロサンゼルスに飛行機で向かった際、飛行機を降りるタイミングでいきなり手錠をはめられたのです。
一旦は保釈されるも、世紀のカーチェイスが発生!
無実を主張したシンプソンですが、顧問弁護士を通じた冷静に対応によって一旦は保釈されました。しかし、6月16日に第1級殺人罪で逮捕令状が下りた際にパトカーの追跡を振り切ろうとした結果、カーチェイスを展開してしまうことになりました。その模様はテレビで生中継され、世紀の逃走劇として全米中が釘付けとなりました。結局、カーチェイスの後にシンプソンは逮捕されます。
カーチェイスの模様はこちら!
OJ on the Run: The Bronco Chase
via www.youtube.com
裁判で「ドリームチーム」が結成される!!
カーチェイスの末、逮捕されたO・J・シンプソン。そんな彼を待ち受けていたのは刑事裁判でした。裁判にあたり全面無罪を主張したシンプソンは、金に糸目をつけず全米から有名な弁護士を集めます。彼らは「ドリームチーム」と呼ばれ、その規模は検察側をしのぐほどでした。そんな「ドリームチーム」を引き連れ、陪審裁判で決着をつけることに。そして、この裁判は後に「世紀の裁判」と呼ばれるものとなります。
逮捕された際のシンプソン。
「人種差別問題」の観点から大きな注目を浴びる!
まず、この事件は「被害者が白人で、容疑者が黒人」という特徴があります。そのため、歴史的に人種問題に敏感なアメリカ世論の後押しもあり、「人種が裁判の結果に影響を与えてはいけない」として判事には日系アメリカ人を選出。また、陪審員も黒人の多い地区から選出され、陪審員たちの人種のバランスに配慮がなされました。
殺人事件が「人種問題」へと発展していったO・J・シンプソン事件ですが、これは「ドリームチーム」の戦略でもありました。事件を人種差別に転換することによって、シンプソンに有利な方向へと裁判を進めようとしたのです。それに加え警察の証拠管理の杜撰さも手伝い、1995年、シンプソンは陪審員の全員一致で無罪判決を勝ち取ったのです。これにより「刑事裁判」では無罪が確定しました。しかし・・・