1981年紅白歌合戦の舞台裏、いまさらのレポート!
2017年12月31日 更新

1981年紅白歌合戦の舞台裏、いまさらのレポート!

まだ紅白が年末恒例の行事として認められていたあの頃。紅白の舞台にほんの一瞬(本当に一瞬だけ)立ったケロリン、あの時のことを思い出して記録しておきます。

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紅白の始まる前に、日本レコード大賞の発表と授与式が
日比谷の帝国劇場で行われています。
1980年までは、帝国劇場で授与式を終えた歌手たちが
車で日比谷から渋谷まで飛ばして
NHKホールに到着し、客席の後ろから登場して舞台に上がる
というのが、登場の定番でした。
みなさん日本レコード大賞の候補者のあかしのカトレアを
胸につけたままでね。

でもこの年から、登場は普通に舞台の正面からになり
帝国劇場から息せき切ってNHKに来る
という図式はなくなりました。

ちなみにこの年の日本レコード大賞
大賞は寺尾聰「ルビーの指輪」
最優秀歌唱賞は岩崎宏美「すみれ色の涙」
最優秀新人賞は近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」
でした。

マッチは新人賞取って帝国劇場で歌ったあと紅白で1番目なので
忙しかったんじゃないかと思います。

21時15分 スタンバイ

白ブラウスと黒ロングスカート

白ブラウスと黒ロングスカート

この格好ができることが
この時の合唱隊募集の条件だったんじゃないかと
今にして思う
合唱隊女性は全員この状態で
(男性は白シャツ黒蝶タイ黒上下)
1番目のマッチが終わったら集合と言われていました。
(トシちゃんファンの友人は2番目のトシちゃんが見られないのでぶーたれていたが)

全員でしずかーに袖まで移動。
8番目の菅原洋一さんの出番まで
広い舞台裏で待機です。

後ほど合唱隊の男性に聞いたところでは
上手の白組側では
菅原洋一さんご本人から「よろしく」とごあいさつがあったようです。

袖ではあまりステージの様子がわかりません。
歌もオケの音もあまり明瞭ではなくて
客席のざわざわはかなり聞こえていました。
ホールの構造からいっても、
舞台の上の音は、客席によりよく届くようにできているんでしょうね。

21時40分ごろ? 出番です

菅原洋一さん

菅原洋一さん

「夜のヒットスタジオ」で前田武彦から
「3日前のハンバーグ」というあだ名をもらったらしいけど
今見るとハンバーグというよりはジャムおじさんっぽい
国立音楽大学卒業後、1958年にタンゴバンド「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」に参加し、歌手デビューをする。
デビューからしばらくの間はヒット作に恵まれない不遇を味わったが、1965年に発売した「知りたくないの」(元々は「恋心」のB面曲だった)が2年後の1967年に入ってからヒット、80万枚を超える売上を記録[1]し、人気歌手の仲間入りを果たし、同年、NHK紅白歌合戦にも初出場を果たす(以降1988年まで通算22回連続で紅白に出場)。
「慕情」は、菅原さんのオリジナルの曲ではないけれど
やさしい柔らかい声で歌いあげる、菅原さんによく合う曲でした。
我々は
菅原「ラーブ、イズザメニー、スプレンダーシーング」のあと
「うー、うー、うー」とコーラスをつけます。譜面なしです(涙
まあどうせ客席は我々の声なんざ聞いちゃいねえ
背景だしよぉ
なんてやさぐれることもなく、ちゃんとまじめに歌いましたよ。
そのために12時間+αを耐えたんだしね。

でも本番はあっという間でした。
すーぐ終わっちゃったよ(笑

愛のコリーダ 紅白合同若手アイドルダンスナンバー

菅原洋一さんのあとの、紅白合同パフォーマンス
この後ろで我々は控室に戻っていたということです。
我々がリハーサルで見たダンスは
本番ではこんなだったんだね。

すぐに着替えて3階席へ

控室に戻って、機関銃のごとくに急いで着替え。
そのままバタバタとホールへ。
3階席のはじっこなら空いているから、最後まで見て行っていいですよと
NHK様からありがたいお言葉。

当時はそういう意味ではゆるかったのかもね。
今は観覧希望もものすごい倍率で、絶対に空いていないっぽいし。

着替え終わって3階に行った時は、
ちょうど西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」が始まるところでした。
西田敏行はラベンダー色のサテンの燕尾服にシルクハットで
えらいキザな格好でピアノ弾いてた(笑

レコ大を取った「ルビーの指輪」が聞けなかったのは残念だけど
3組分のロスだけでホールに来られたことはラッキーでした。

大トリ、審査、それから蛍の光

大トリの演出でやられた

この年の大トリは
紅組が森昌子「哀しみ本線日本海」
和服で出るのかと思ったら、デコルテ部分に大きなフリルのロングドレスで
うわーすてきと思いました。
でも問題は白組大トリ。
羽織袴でピシッと決めた北島三郎「風雪ながれ旅」。
言わずと知れた「キタサンブラック」のオーナー様です(笑

サブちゃんが「アイヤー アイヤー」と歌うだけでもすごいのに
あの紙吹雪の大あらしですよ。
客席の前の方の人にも紙吹雪が襲いかかっていて
たぶんステージは見えなかったんじゃないかな。

1981年第32回紅白は
「北島三郎大トリステージの猛吹雪で、サブちゃんの鼻や口にも紙が」
というイメージですべて持っていかれました。
紅組司会の黒柳さんは
「最後に雪で真っ白になって、あぁ白組にやられたなと思いました」
と言っていたそうですし
北島三郎のステージは以降常に紙吹雪が降るようになるという
きっかけの年でもあったわけです。

審査 この年からカチカチカチカチ

今回から客席審査のカウントによる審査方法となった[5]。今回では日本野鳥の会による客席審査カウントが行なわれ、日本野鳥の会は以後第36回まで集計を担当し、第43回(1992年)にもカウント集計作業を行なっている。
客席で観客が
パンフレットの赤い側か白い側のどちらかをかかげて
審査に参加する、というのは、この回からでした。
日本野鳥の会の方々が舞台に上がり、双眼鏡とカウンターでカチカチ数えて
客席での審査票を取りました。

我々は正規での入場者ではないので(笑
パンフレットはもらってません。
なので審査には参加できず。

白組優勝 優勝旗授与 蛍の光

もうあのサブちゃんのステージで
全部もってかれたこの年の紅白。

サブちゃんの大トリが終わった後
「ゆく年くる年」が始まるまでの動画がありましたよ。

1981 紅白ED

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