酒井法子  私を「あたピ」「あたくピ」「わたピ」「わたくピ」などというのりピー語でアイドル界を席巻。そしてドラマ「ひとつ屋根の下」で女優としてもブレイク。
2024年9月15日 更新

酒井法子 私を「あたピ」「あたくピ」「わたピ」「わたくピ」などというのりピー語でアイドル界を席巻。そしてドラマ「ひとつ屋根の下」で女優としてもブレイク。

松田聖子に憧れ、中学卒業前にオーディションを受けて福岡県から上京。16歳でレコードデビューし、のりピー語で大ブレイク。ドラマ「ひとつ屋根の下」で女優としても本格的デビュー。

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「レコードを出せば自然と売れていって、すぐにスポットライトを浴びてどこへいってもキャーッと騒がれる」
と思っていたが、実際はマネージャーと2人で全国を回り、テレビやラジオ、スーパーや動物園のイベントまで様々な仕事場で
「やっピー」
と叫んだ。
休日のショッピングモールで買い物客の前で歌っていたとき、男の子に
「バーカ」
といわれて泣いてしまい、舞台を降りた後、マネージャーに
「プロなんだからそんなことで泣かないでよ」
と叱られ、
(バカっていわれてもニコニコしないといけないなんて!)
と衝撃を受けたが、
「のりピーのイメージは、いつも元気で明るくキャピキャピしている女の子だ」
と自分にいい聞かせてステージに臨むようにした。

「ザ・ベストテン」や「ザ・トップテン」などの歌番組にも出演するようになったが、視聴者の投票によるランキング形式なので何週も続けて出させてもらえる保証はなく、
「もっと上位に行きたい」
という願いと
「今日で終わりかもしれない」
という緊張感の中、必死に歌い、毎週ハラハラと結果を待ち、ランキング外に落ちると泣いた。
番組出演時には歌手やアイドルを間近で眺めることができ、1人1人に強い個性と輝きを感じたが、特に印象的だったのは工藤静香だった。
ステージで花を髪につけて歌った工藤静香は、楽屋に戻ると、それをとって、
「ありがとうね」
といってキス。
酒井法子はそれをみて
「人がみえないところでキレイな心を持っているから輝いていられるのかもしれない」
と思った。
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酒井法子は「のりピー」として世間に自分の存在を浸透させた。
そのために大きく貢献したのは「のりピー語」だった。
酒井法子は自らを「のりピー」と名乗り、あいさつ代わりの「やっピー」や「マンモスうれピー(とてもうれしい)」などの「のりピー語」で話し、これがファンを中心に流行した。
「中学校のときから「いただきマンモス」とかいってたんですよ。
私がつくったというより、なんととなくみんなでいっていたと思う。
そのときにちょうどサンプラザ中野さん「ちゃんちゃらおかP音頭」という歌(1985年、酒井法子が14歳のときに発売)があっておもしろ~とか思ってうれピーとかたのピーとかいってて」
という。
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あ行

あかピー 明るい
あたくピ 私、(類似語:あたピ・わたピ・わたくピ)
ありんこ ほんの少し(反対語:マンモス)
あっしねー 明日会おうね
いくピー 行くぞー
いきまろ いきなり
いただきマンモス いただきます
いっぴょ 一緒
美ピー 美しい(類似語:プリピー・めんこらピー)
うっピー 嘘
うれピー うれしい(「うれし」だと「うれピ」となる)
えっピ エッチ
おいピー 美味しい
お元ピ? お元気?
おちゃっピー おっしゃれ
おちゃピー お茶をする、休む
オッチョロピー 恐ろしい
おめでたマンモス おめでとう
おれっピ オレ

か行

かっちょピー カッコイイ!
かなピー 悲しい
がんばらんち 頑張る、頑張って
ぎゃっピー うるさい・騒々しい
きょっきー 今日も元気?
ぐちゅピー カゼひいちゃった
くやピー 悔しい
くろまピー まっ黒
コケコッピー起きろ
ごちそうサマンサ ごちそうさま

さ行

さめプー 上手
しちくれる? してくれる?
しぶピー しぶい
しゃペピー おしゃべり
スウィート・やっピー 愛してます
すかんピー キライ
スタピー 勉強
すっからピー すばらしい
ステチ 素敵、ステピーではない
セミラッチー 少しラッキー

た行

たのピー 楽しい
ちゃっピー 助かっちゃった
ちゃらピー 帳消し
ちょろっとまっピー ちょっと待って
ちんぷんかんピー わからない
てれピまん テレてしまう
とーっぴ 取った
とっちくれる? 取ってくれる?
ドッカンピー とんでもないことをいうときに使う

な行

ナイス・トゥー・ミート・ユー あなたに会えてウレシイ
ナンジャラピー なに?
なんまんピー かわいそう(お経のナンマンダブより)
ニュッピー 新しい
ねぶピー 眠い
のりピー 酒井法子

は行

バイピー さようなら
はずかピー 恥ずかしい
はなピ 話(同義語:おはなピ)
ばばピー 大きい
バピポイ かしこい
はらへっピ 空腹
ピンピー ショッピング
ファーストやっピー おはよう
プリピー かわいい  
ぶるっピ 寒い
ペコペコマンモス 本当にごめんなさい、あるいはかなり空腹
へたっピ 下手
ヘルチィー 体にいいこと
ほピー 欲しい

ま行

まっちぴり 待ってくれ
マンモスダウン 絶不調
マンモスラッチー すごくラッキー
マンモスリッチー お金持ち
めんこらピー かわいい(同義語:プリピー)
モテピー モテる

や行

やさピー 優しい
やっピー こんにちは
やらぴぃ イヤらしい
やりピー やったー
やるぴっ やるぞ
よろぴく よろしく

ら行

ラッチー ラッキー、ラッピーではない

わ行

忘れちゃっピッピー 忘れちゃった
わたくピ 私
わたピ  私
われっピー 片想い

ん行

んじゃピー さようなら(同義語:バイピー)

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ちなみに「ゴジラパワー」は、ファンの協力を意味するという。
のりピー語が話題となるとグッズも売り出され、グッズ販売店「のりピーハウス」までオープン。
のりピーハウスは数を増やし、夏限定で富士山の8合目に出店したこともあった。
デビューから1年の間に、4枚のシングルと2枚のアルバムが発売され、3枚目のシングル「ノ・レ・な・いTeen-age」は日本歌謡大賞最優秀放送音楽新人賞を受賞。
4枚目の「夢冒険」は、NHK「アニメ三銃士」の主題歌になり、1988年のセンバツ高校野球の入場行進曲にも採用された。
アルバムを出した後は、ツアーやコンサートが中心となり、全国各地を飛び回った。
「元気な歌で始まり、途中じっくり聞いてもらえる歌を入れて、最後は思い切り汗だくになって帰っていってもらおう」
スタッフと一緒にコンサートの構成を考え、衣装を決め、トークを用意。
初めての海外は仕事でハワイに行き、CMや写真集の撮影を行い、
「ハンバーガーがえらく大きくて驚いた」
ロンドンでは2階建てバスの上で歌った後、10㎝以上のもある巨大キノコのソテーを食べた。
イタリアのローマ、フランスのパリやニースにも仕事で訪れ、17歳の酒井法子は普通の高校生では味わえないような体験をいくつもした。
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高校卒業と同時に社長宅を出て1人暮らしを始めることになったが、慣れるまで母親が山梨から上京し、しばらく一緒に住むことになった。
母親は、掃除、洗濯、食事づくりなど家事を行い、楽屋に弁当を届け、マドレーヌやチーズケーキを焼いて仕事場に配ることもあった。
1989年5月17日、母親と暮らし始めて1ヵ月後、酒井法子は仕事場で
「お父さんが事故に遭った」
と聞かされた。
父親は山梨県大月市の中央自動車道で車を運転していて中央分離帯のコンクリート壁に激突。
その車内には酒井法子のカセットテープが19本もあった。
酒井法子と母親は事故から5時間後、病院に到着。
父親は瀕死の状態で、日付が変わって数時間後、2人が見守る前で息を引き取った。
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酒井法子は、14歳で上京し、高校を卒業するまで「のりピー」キャラクターと「のりピー語」を前面に押し出して成功したが、18歳になると女子中学生のようなキャラクターを演じることに違和感を感じ、
「もっとキレイになりたい」
「しっとりとしたバラードも歌ってみたい」
「シリアルなドラマに出てみたい」
「髪の毛を伸ばして大人っぽいドレスを着るような仕事もしてみたい」
と思うようになった。
周囲はそんなリクエストに応えて仕事を用意したが、のりピーに比べ、のインパクトがなく、まったく目立たなかった。
「変わりたいのに思うように変われない。
本当の自分らしさについて悩んだ」
本当の自分は何なのか悩む酒井法子は、19歳のときにアルバム「ホワイトガール」をリリース。
その中でシンガーソングライターの遠藤京子から提供された曲「微笑みを見つけた」の歌詞、
「♪そのままでいいんだ」
に感動し、
「無理に背伸びしなくても、そのままの自分ができることを思いきり楽しみながらやったらいい。
のりピーというキャラクターを演じることも遊ぶつもりで思いっきり楽しめばいい」
と開眼。
ブリブリのアイドル衣装を着て
「やっピー」
と叫んでもまったくツラくなくなった。
20歳のとき、ビクターがユニコーンの阿部義晴、カステラの大木和之、ジッタリンジンの破矢ジンタ、バービーボーイズの近藤敦というミュージシャンたちに
「のりピーを素材に思うがまま料理してください」
と依頼し、
「マジカル・モンタージュ・カムパニー」というアルバムを作成。
「モンタージュというタイトル通り、1曲ごとに音楽の要素や印象が変わるとても刺激的な仕事をやらせてもらった」
酒井法子はアジアでも人気となり、21歳のとき、台湾で初めて海外でコンサートを行い、台北の屋外競技場で満員の観客に日本語で歌った。
「台湾でのコンサートは同じ年の秋にも行われ、そのときにみたことのないような海賊版のCDが売られてて、わたしの歌が1枚のアルバムにたくさん詰め込まれていて、ずいぶんお得だなって」
翌年、日本の電機メーカーのCMに起用され、台湾のドラマ「我愛美人魚」にも主演。
このドラマは香港、中国、タイなどアジアの広範囲で放送された。
1993年、日本で「ひとつ屋根の下」に出演し、アイドルから本格的な女優に。
しかしまだ演技に自信がなかった酒井法子は思い切って出演を決めたものの、プレッシャーから、
「記者会見の3日前くらいから寝込んじゃって。
熱が出ちゃいました」
「ひとつ屋根の下」は、両親と死別後、生き別れになっていた兄弟たちが、長男の柏木達也(江口洋介)の呼びかけで共同生活を始め、絆を取り戻していくというホームドラマ。
「あんちゃん」こと長男・達也(江口洋介)は、実業団のマラソン選手として活躍していたがケガで引退し、クリーニング店を営む、情にモロいお調子者。
「チイ兄ちゃん」こと次男、雅也(福山雅治)は、クールな医学生。
三男・和也(いしだ壱成)は、荒れた10代を過ごし、傷害事件で少年鑑別所に収容された。
四男・文也(山本耕史)は、両親と死別後に事故に遭って車椅子生活。
次女・小梅(大路恵美)は、里親の元でイジメられ塞ぎ込んでいたが、兄弟と再会後、徐々に本来の明るさを取り戻していくが、誕生日にレイプ被害に遭ってしまう。
そして酒井法子は、長女・小雪役。
6人の兄弟が身を寄せ合って生活する家で母親と姉の2役を担い、エプロン姿で家事を切り盛りする健気な小雪は、自分1人だけが本当の兄弟ではないという負い目と、長男・達也への恋心を抱えながら、次男・雅也から求愛される。
人気脚本家の野島伸司が手掛けた「ひとつ屋根の下」は、、月9ドラマといえば恋愛ものという常識を覆し、平均視聴率28.2%、最高37.8%と大ヒット。
「本当にたくさんの人が観ていた。
のりピーを知っていた人も知らなかった人も、好きな人も嫌いな人もみていた。
そこで私が演じたのは、ずっと求められてきたのりピーではなく、酒井法子とほぼ同年代の柏木小雪だった。
それは大きな出来事だった。
のりピーが年月と共に大人になって実年齢と変わらないタレントになっている
ドラマが多くの人に愛されたおかげで大人になった酒井法子が初めて受け入れてもらえた。そんな気がしていた」
22歳の酒井法子は、これ以降、実年齢なりの仕事がくるようになった。
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「ひとつ屋根の下」の脚本家、野島伸司は、大学1年生のときに渡米。
帰国後、大学を中退し、飲食店、肉体労働、テレビ局フロアディレクターなどいろいろなアルバイトをした。
「大学もやめてましたし何でもよかったんだとは思いますが、目立とうとしたわけでもないんです。
テレビもほとんどみていないし物書きになりたかったわけでもないし、割と行き当たりばったりのバイトをしていたりしたので・・・
自分のよって立つもの、アイデンティティーが欲しかったというのは、やっぱり強かったんですけど・・・」
アルバイトをしながらシナリオスクール「東京山手YMCA」の9期研修科に入り、脚本家の伴一彦に師事。
翌年、バイトの帰りに偶然、公募雑誌でシナリオを募集しているのを見つけ、初めてワープロで書いた「時には母のない子のように」が「フジテレビヤングシナリオ大賞」を受賞。
「時には母のない子のように」でデビューし、同年、連続ドラマ「君が嘘をついた」が平均視聴率17.3%いう高視聴率を記録。
その後も、1989年「愛しあってるかい!」、1990年「すてきな片想い」、1991年「101回目のプロポーズ」、1992年「愛という名のもとに」、1993年「高校教師」、そして「ひとつ屋根の下」とコミカルなものから社会の闇やタブーを描いたものまで作品まで幅広い作品を世に送り、社会現象を巻き起こした。
野島伸司は、酒井法子よりも8歳上。
30歳にして橋田寿賀子ら大御所と肩を並べた、飛ぶ鳥を落とす勢いの野島伸司を、酒井法子は
「すごい人だ」
と憧れ、仕事の合間に弁当を作って差し入れ。
「ひとつ屋根の下」の撮影が終わる頃には、かなりのプレイボーイで知られていた野島伸司と付き合うようにになった。
芸能界に入って以来、
「アイドルだから・・」
という暗黙のルールはたくさんあったが、特に男子と遊ぶことはご法度。
1度だけ気になっていた相手から食事に誘われてマネージャーに
「いってきていいですか?」
と相談し
「ダメ」
といわれた酒井法子は、恋愛経験がゼロだった。
「彼は8つ上だった。
はじめは大きな尊敬の念と強い憧れの気持ちから始まった。
わたしの話をじっくり聞いてくれて、彼の真剣な話に私も心を奪われた。
苦労を共にするうちにいつの間にかかけがえのない存在になっていった」
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