【オレステス・デストラーデ選手】西武ライオンズ史上最も優勝に貢献した助っ人野手
2016年11月25日 更新

【オレステス・デストラーデ選手】西武ライオンズ史上最も優勝に貢献した助っ人野手

1990年~1992年の西武ライオンズ3年連続の日本一。その中心にいたのがデストラーデ選手。秋山幸二、清原和博と「AKD砲」を形成。左右両打席から本塁打を量産し、スイッチヒッターとして初めて本塁打王を獲得したデストラーデ選手の球歴を振り返る。

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シーズン途中にやってきた「カリブの怪人」

1989年シーズン、3番・秋山幸二、4番・清原和博選手の後を5番打ち、「AKB砲」を形成していた、バークレオ選手は不振のどん底にいました。その前年38本塁打を放ち、チームのリーグ優勝・日本一に貢献した打撃は見る影も無く、打率は2割1分台まで低下。チームも5割前後をさまよって優勝争いから脱落しようとしていました。この事態に伴い、西武ライオンズがシーズン中の6月に緊急補強したのが、デストラーデ選手でした。

※実は、このシーズン開幕前、デストラーデ選手は阪神の獲得調査対象に挙がっていました。もし阪神に入団していたら・・・というのは「たられば」ですね。
デストラーデ選手のバッティングフォーム(左打席)

デストラーデ選手のバッティングフォーム(左打席)

バークレオ選手の調子が上がってこないことから、来日後2週間足らずでデストラーデ選手は1軍昇格。その試合で本塁打を放つ鮮烈デビューを果たします。スイッチヒッターで強打者のデストラーデ選手はその後左右両打席で本塁打を量産します。
デストラーデ選手のバッティングフォーム(右打席)

デストラーデ選手のバッティングフォーム(右打席)

優勝争いが激化した9月には、打率.232ながら8本塁打、19打点を挙げ月間MVPを獲得。デストラーデ選手の救世主的な活躍によって西武はやがて首位に浮上。そして「マジック3」で近鉄との「伝説のダブルヘッター」を迎えるのです。
この日、近鉄のラルフ・ブライアント選手が4打数連続本塁打(第1戦で3連発後、敬遠を挟んで第2戦目の1打席目で本塁打)を放つ神がかり的な活躍を見せ、近鉄に逆マジック2が点灯。結局近鉄が逆転優勝。デストラーデ選手の来日1年目、西武ライオンズはオリックスにも抜かれ首位と0.5ゲーム差の3位に終わります。
ブライアント選手

ブライアント選手

85年リーグ優勝(日本シリーズで阪神に敗退)、86、87、88年(日本一)と4年連続パリーグを制覇していた西武ライオンズにとって、この年は黄金期の中で数少ない敗北の記憶として残る事になるのですが・・・この年83試合出場で32本塁打81打点を挙げたデストラーデ選手がもう少し早く来日していたら・・・というのも「たられば」ですね。

※この年の日本一は、日本シリーズ3連敗後4連勝で近鉄を下した巨人でした。

敗北から更なる黄金時代へ

1990年シーズン開幕時からデストラーデ選手は、好調を持続。チームが8連敗して迎えた6月16日の対ダイエー戦では延長11回にサヨナラ3ラン本塁打を放つなど、チームのピンチを切り抜ける活躍をたびたび見せます。そして、石嶺和彦選手やチームメイトの清原選手らを猛追して最多本塁打(42本)と打点(106打点)の二冠王に輝きます。
AKD砲

AKD砲

秋山選手・清原選手・デストラーデ選手の「AKD砲」は他チームの脅威となっていましたが、他の野手陣もしぶとい打撃、堅実な守備、抜け目ない走塁など各自が自分の仕事をこなす選手が集まっていました。
この当時のスタメン

この当時のスタメン

そして元々豊富な経験があった上に、89年の敗北さえも糧として西武ライオンズは更なる黄金時代を形成。1991年~93年と3年連続日本一になります。この3年間で、デストラーデ選手は本塁打王:3回 (1990年 - 1992年)打点王:2回 (1990年、1991年)獲得し、チームに大きく貢献します。

西武ライオンズの黄金時代を振り返る

※3年連続日本一後も西武は93(リーグ優・ヤクルトに負)、94(リーグ優・巨人に負)
つまり、パリーグ5連覇を達成しています。(94年限りで森監督は勇退)

大舞台に強い男

デストラーデ選手は、日本シリーズでの活躍も目立ちました。
巨人と対戦した90年の日本シリーズでは、初戦の第1打席カウント0-3から槙原寛己投手がストライクを取りに来た球をフルスイング。特大の3ラン本塁打を放ち、シリーズの流れを引き寄せると、第2戦でも東京ドームの上段まで飛び込む本塁打を斎藤雅樹投手から放つなど、2安打2打点を記録。このシリーズでは16打数6安打8打点の活躍で、MVPに選出されました。

1990年日本シリーズ 初回3ラン!

91年、広島カープとの日本シリーズで、デストラーデ選手は2年連続となる日本シリーズ初戦の第1打席本塁打を佐々岡真司投手から。第2戦では川口和久投手から2ラン本塁打を打っています。
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