時代劇を見ていると、道場の神棚に「鹿島大明神」「香取大明神」などが祀られています。
今でも剣道場などで見られるかも?と思います。大明神とありますが、鹿島大明神は鹿島神宮の武甕槌神(たけみかづちのかみ)、香取大明神は香取神宮の経津主神(ふつぬしのかみ)です。ともに武芸・武道の神として古来より信仰されております。
侍や武士、柔術、柔道、剣道・・・など色々のキーワードから武道の神様は結構認知されていると思われますが、こちらはご存知でしょうか?
それは・・・球技の神様!はい、京都にいらっしゃいます。
今回はこちらをば。
今でも剣道場などで見られるかも?と思います。大明神とありますが、鹿島大明神は鹿島神宮の武甕槌神(たけみかづちのかみ)、香取大明神は香取神宮の経津主神(ふつぬしのかみ)です。ともに武芸・武道の神として古来より信仰されております。
侍や武士、柔術、柔道、剣道・・・など色々のキーワードから武道の神様は結構認知されていると思われますが、こちらはご存知でしょうか?
それは・・・球技の神様!はい、京都にいらっしゃいます。
今回はこちらをば。
日本に古来より存在する球技といえば?
日本に古くから存在する球技というと何か。それは…「蹴鞠」!
蹴鞠とは鹿の革2枚を円形に縫い合わせて作った鞠を、地面に落とさないように参加者で蹴り上げ続けて、その回数を競う球戯です。見た目の美しさや蹴り続けるための思いやりや礼儀などが重視され、決して勝敗を競うものではありません。また、蹴鞠には現在のようにユニフォームがある訳ではなく、普段着のままで行います。現在では直垂・狩衣で行われているかと思いますが、これは室町時代あたりからです。
蹴鞠とは鹿の革2枚を円形に縫い合わせて作った鞠を、地面に落とさないように参加者で蹴り上げ続けて、その回数を競う球戯です。見た目の美しさや蹴り続けるための思いやりや礼儀などが重視され、決して勝敗を競うものではありません。また、蹴鞠には現在のようにユニフォームがある訳ではなく、普段着のままで行います。現在では直垂・狩衣で行われているかと思いますが、これは室町時代あたりからです。
下鴨神社で蹴鞠初め
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とはいえ球を蹴り上げる以上、それは技ですから名人も出現します。平安時代末期、蹴鞠の名手と称えられたのは藤原成通(ふじわらのなりみち)です。彼は要するにリフティングの名人。清水寺の大舞台の欄干の上に飛び乗って、端から端まで鞠を蹴り上げ続けながら何往復も出来たというのですから。
平安時代までには中国大陸から日本に伝来したとされる「蹴鞠」
そんな蹴鞠。平安時代までには中国大陸から日本に伝来したとされていますが、記録上からは把握できません。平安時代中ごろには蹴鞠の会「鞠会(まりえ)」が盛んになり、鎌倉時代には武士も遊びだし、江戸時代になる頃には庶民にも広がりましたが、明治維新で一旦途絶えます。その後、明治36年(1903)に京都白峰神宮を拠点に、有志での蹴鞠保存会が誕生し現在も活動を続けておられます。保存会で伝える蹴鞠は「飛鳥井流」の蹴鞠です。
飛鳥井流と難波流、2つの流派がある「蹴鞠」
そう。蹴鞠には流派があるのです。実は2つありました。「飛鳥井(あすかい)流」と「難波(なんば)流」です。この開祖も平安時代の名人たちに関係します。平安時代に刑部卿(おさかべきょう)と藤原頼輔(ふじわらよりすけ)という名人たちがいたのですが、その孫にあたる飛鳥井雅経(あすかいまさつね)と難波宗長(なんばむねなが)がそれぞれ流派を立ち上げ「蹴鞠道」を確立しました。その後、難波流は衰退してしまうのですが、飛鳥井流は脈々と受け継がれ、最終的に明治維新後、飛鳥井流を伝承した飛鳥井家の京都の邸宅跡は白峰神宮(しらみねじんぐう)になっております。
球技全般の神様として信仰を集める「精大明神」
この神社には鞠の神「精大明神(せいだいみょうじん。まり精大明神とも)」が祀られておりまして、七夕の神でもあるのですが、蹴鞠そして日本の球技全般の神様として現在も信仰を集めております。
全国でも珍しい、サッカーボールやバレーボールが奉納される神社です。このボールを拝見するだけでも面白いかと思います。日本サッカー協会や日本バレーボール協会からの奉納もあるので、是非♪
全国でも珍しい、サッカーボールやバレーボールが奉納される神社です。このボールを拝見するだけでも面白いかと思います。日本サッカー協会や日本バレーボール協会からの奉納もあるので、是非♪
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