70年代末、突如あらわれた前代未聞のロックン・ファンク『JAGATARA』
2016年5月10日 更新

70年代末、突如あらわれた前代未聞のロックン・ファンク『JAGATARA』

多様な音楽性と独特のボーカルスタイルで日本のインディーズロックシーンを牽引したJAGATARA。その軌跡を振り返ってみましょう。

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「暗黒大陸じゃがたら」デビュー

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1979年、日本のロック・インディーズシーンに突如あらわれたロックバンド「JAGATARA」

ファンク、レゲエ、パンクのごった煮のサウンドと、ボーカル「江戸アケミ」の特異なキャラクターで一躍有名になりました。

活動初期のバンド名は「じゃがたら」

また、ライブを重ねる度に 『江戸&じゃがたら』。『暗黒大陸じゃがたら』、『財団法人じゃがたら』etc・・・名称を少しずつ変化させていました。

エロ・グロ・ナンセンス?過激なパフォーマンスで有名に

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活動初期のJAGATARAは、パンクロック色が強くステージングも過激でした。

当時、豚の内蔵を客席に投げ込むパフォーマンスをすることで有名だったTHE STALINと並び、サブカル的な関心を集め数々の雑誌に露出していきました。
全裸になり、放尿、脱糞、シマヘビやニワトリを食いちぎり、額をカミソリやフォークで掻っ切り、額をマイクにぶつけ、血まみれになり失神する。
一度食べたものを嘔吐してまた食べる、額を割って流血する…とにかく、過激さのための過激さというか、自虐のエスカレーションのような阿鼻叫喚のステージであった。
群を抜いたパフォーマンスで注目を集めたJAGATARAでしたが、バンドの音楽性ではなく風俗として扱われる事に嫌気がさしたボーカルの江戸アケミは1981年、音楽活動に専心することを決めました。

JAGATARAの音楽性 その進化と評価

音楽活動に専念することを決めた翌年の1982年。

JAGATARAはファースト・アルバム『南蛮渡来』を自主制作で発表します。

ファンクを取り入れたサウンドとその高度な技術が一部のロック専門誌上で絶賛されました。

でも・デモ・DEMO          JAGATARA - YouTube

1987年 CXライブジャック 未放送バージョン
また、江戸アケミが生み出す 皮肉を含んだ言葉遊びのような歌詞と、語りかけるようなボーカルスタイルは熱狂的なファンを獲得しました。

今でも彼の残した格言はファンの間で語り継がれています。
「俺は俺のロックを演る、お前はお前のロックを演れ」

「ありがとう、ありがとう、CDもだしたしよぉ、これで俺もミュージシャンの仲間入りかな?なんのこっちゃい。」

「地球はどうしてできたのか、誰が作ったのかと考えて、地球がクソなのかと思ってクソを喰ったりしたんだよ。」

JAGATARAのメンバー

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江戸アケミ(江戸正孝)(ヴォーカル)(1979年〜)

EBBY(永井章)(ギター)(1979年〜) 
JAGATARAと並行してトマトスにも在籍。解散後はPHAT DOGS、MAMBABOOなどで活動。

ナベ(渡邊正己)(ベース)(1979年〜) 
JAGATARAと並行してトマトスにも在籍。解散後はイモンズを結成。

OTO(村田尚紀)(ギター)(1981年〜) 
加入前は後にAUTO-MODを結成するジュネのマリア023に在籍。またJAGATARAと並行してビブラストーンで活動。1991年にあがた森魚の雷蔵へ参加。1994年に南流石らとTANGOSを結成。2004年に元ZELDAのサヨコらとサヨコオトナラを結成。

篠田昌已(サックス)(1983年〜) 
加入前は生活向上委員会、PUNGOなどに在籍。またJAGATARAと並行してチンドン楽団、オルケスタ・デル・ビエント、コンポステラなどでも活動。

テイユウ(中村貞祐)(ドラムス)(1983年〜) 
加入前はザ・スターリン、火の宮などに在籍。解散後はKUSU KUSUのマネジメントなどを行った。

ヤヒロトモヒロ(八尋知洋)(パーカッション)(1985年〜) 
解散後は自らのバンド、オズ・ アマレーロスなどで活動。

村田陽一(トロンボーン)(1986年〜) 
解散後は自らのバンドSOLID BRASSなどで活動。

エマーソン北村(北村賢治)(キーボード)(1988年〜) 
解散後はMUTE BEAT、シアターブルックなどで活動。

南流石(コーラス&ダンス)(1986年〜) 
コーラス兼ダンサー。解散後は主に振付師として活躍。1994年にOTOらとTANGOSを結成。2012年には佐藤タイジ、大塚愛らとRabbitを結成。

ユカリ(塚越優香)(コーラス&ダンス、サックス)(1985年〜1989年) 
加入前はタンゴ・ヨーロッパに在籍。当初は南と共にコーラス兼ダンサーとして加入するが、篠田の薫陶を受けサックスを習得。バンド後期に脱退し、解散後は「Yukarie」(読みはユカリ)名義でサックスプレーヤーとしてTHE THRILL、Mean Machine、河村隆一のバックメンバーなどで活動(Mean Machineではベース担当)。

江戸アケミの死。JAGATARA終焉

1989年、アルバム「それから」でビクターからメジャーデビューしたJAGATARA。

順調にバンド活動を行っているように見えましたが、その中でボーカルの江戸アケミは不眠症に悩まされ、幾度となく体調を崩します。

そして1990年1月、自宅の浴室で謎の溺死。バンドの中心人物を失ったことで JAGATARAの歴史は突然の終止符を打つことになりました。

しかし、活動停止後も彼等の残した音源や高度なステージング、そして江戸アケミの天才的な人物像は伝説として語り継がれています。

JAGATARA なきJAGATAR - YouTube

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