フランスワールドカップの予選リーグでクロアチアは日本代表と同組だった!
日本代表とも同じ予選グループHに入ったクロアチア代表。
出場が期待されたボバンは日本戦も含めて最初の2試合を欠場してしまう。
日本代表にとっては初戦のアルゼンチン代表戦で敗戦していただけに、ボバンの欠場は好材料だったが、当時世界のサッカー界に遠すぎる程の距離感を感じていた日本のサッカーファンにとっては、世界的スターとの真剣勝負を観る機会を失うという残念なニュースでもあった。
出場が期待されたボバンは日本戦も含めて最初の2試合を欠場してしまう。
日本代表にとっては初戦のアルゼンチン代表戦で敗戦していただけに、ボバンの欠場は好材料だったが、当時世界のサッカー界に遠すぎる程の距離感を感じていた日本のサッカーファンにとっては、世界的スターとの真剣勝負を観る機会を失うという残念なニュースでもあった。
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ボバンのエピソード
2001年、リーガ・エスパニョーラのセルタに移籍したがシーズン終了を待たずして現役を引退。2002年10月7日には引退試合が開かれ、多くのクロアチア国民が別れを惜しんだ。引退試合には親交のある元テニスプレイヤーのゴラン・イワニセビッチも出場していた。
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ユーゴスラビアが解体し、クロアチア代表として臨んだUEFA EURO '96ではベスト8に進出し、褒賞金を孤児の教育費や戦火で荒廃した故郷の復興費にあてた。
「チェスは生活の一部」と語るほどのチェス愛好家、また大変な読書家でもある。
さらに大学で歴史を学び博士号を取得するなど、高い知識、見識を備えた人物と見られ、クロアチア国内で大きな人気を集める。
このことから次代のクロアチアサッカー協会のトップを担うと期待されているが、本人は幾度となくその誘いを断っている。
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英雄視されるボバン。
政治に翻弄されたサッカー選手でもあった。
一方、ACミランでの10番としての活躍は文句なく素晴らしかった。
その10数年後、10番を受け継ぐことになった日本代表の本田圭佑には、先輩として「10番タイプではない」とバッサリ切り捨て、適正は他のポジションにあるなど理論的に説明。
発言は厳しくも、今もACミランへの愛を持ち続けているようだ。
政治に翻弄されたサッカー選手でもあった。
一方、ACミランでの10番としての活躍は文句なく素晴らしかった。
その10数年後、10番を受け継ぐことになった日本代表の本田圭佑には、先輩として「10番タイプではない」とバッサリ切り捨て、適正は他のポジションにあるなど理論的に説明。
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