喜びと苦しみを味わったメジャー~日本復帰まで
メジャーデビューは2004年4月9日のニューヨーク・ヤンキース戦。相手は12年前にプロ初ホームランを献上した松井秀喜だった。当初クローザーは別の投手だったが、高津が無失点を続けたためクローザーの役割を担うこととなる。
最終的には19セーブを記録。監督のオジー・ギーエンから「マリアノ・リベラでも連れてこない限り、シンゴは我々にとって最高のクローザーだ」とコメントしたほか、アメリカのスポーツ専門チャンネル・ESPNが選出した「お買い得だったFA選手ベスト10」で7位にランクインするなど各方面から称賛を浴びた。
翌2005年は開幕からクローザーを任されるも、クリーブランド・インディアンス戦で1イニング3本塁打を浴びるなど、リリーフ失敗が続き、8月にチームを解雇された。8月12日にはニューヨーク・メッツとマイナー契約。9月1日にメジャー昇格を果たすがオフにFAとなり退団する。
最終的には19セーブを記録。監督のオジー・ギーエンから「マリアノ・リベラでも連れてこない限り、シンゴは我々にとって最高のクローザーだ」とコメントしたほか、アメリカのスポーツ専門チャンネル・ESPNが選出した「お買い得だったFA選手ベスト10」で7位にランクインするなど各方面から称賛を浴びた。
翌2005年は開幕からクローザーを任されるも、クリーブランド・インディアンス戦で1イニング3本塁打を浴びるなど、リリーフ失敗が続き、8月にチームを解雇された。8月12日にはニューヨーク・メッツとマイナー契約。9月1日にメジャー昇格を果たすがオフにFAとなり退団する。
2006年、ヤクルト時代の相棒・古田敦也がプレーイングマネージャーとして監督に就任すると、入団テストを経てヤクルトに復帰。シーズン当初は中継ぎとしてのスタートだったが、当初クローザーを務めていた後輩の石井弘寿、五十嵐亮太が故障で離脱すると高津が代わってクローザーを担い、チーム最多の13セーブを挙げた。
2007年は開幕当初からクローザーを任されるが失敗も目立った。さらに6月30日に宿舎で転倒し、足の指を骨折。戦線離脱する。復帰後も救援失敗を繰り返し、チーム最終戦の翌日10月10日、戦力外通告を受けた。戦力外通告がチーム最終戦の翌日ということで、高津がファンに対するメッセージ等を送る機会が設けられなかったことについて、チームを長年支えた功労者に対して、あまりにも冷たいのではないかという声がファンから上がった。高津は現役続行の意思を明確にしていたが、12球団合同トライアウトへの参加はしなかった。
2007年は開幕当初からクローザーを任されるが失敗も目立った。さらに6月30日に宿舎で転倒し、足の指を骨折。戦線離脱する。復帰後も救援失敗を繰り返し、チーム最終戦の翌日10月10日、戦力外通告を受けた。戦力外通告がチーム最終戦の翌日ということで、高津がファンに対するメッセージ等を送る機会が設けられなかったことについて、チームを長年支えた功労者に対して、あまりにも冷たいのではないかという声がファンから上がった。高津は現役続行の意思を明確にしていたが、12球団合同トライアウトへの参加はしなかった。
現役にこだわり続け、世界を股にかけた晩年
国内球団からのオファーがない中、2008年には再びアメリカに渡り、シカゴ・カブスとマイナー契約。しかしオープン戦で結果を残せず戦力外に。また古巣のシカゴ・ホワイトソックスの入団テストを受けるも不合格となった。6月、今度は韓国に渡り、ウリ・ヒーローズと契約。4人目の日本人選手としてプレーした。8セーブ防御率0.86と好成績を挙げたが、外国人野手を獲得する球団の意向があり、退団。
2009年は5月にメジャーのトライアウトに参加。サンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約。しかしメジャーに昇格することはなかった。
2010年は台湾の興農ブルズと契約。MLB(アメリカ)、NPB(日本)、KBO(韓国)、CPBL(台湾)の世界4つの地域でプレーした初めての日本人選手となる。チームの前期優勝に貢献するが、11月26日契約打ち切りが発表される。
2009年は5月にメジャーのトライアウトに参加。サンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約。しかしメジャーに昇格することはなかった。
2010年は台湾の興農ブルズと契約。MLB(アメリカ)、NPB(日本)、KBO(韓国)、CPBL(台湾)の世界4つの地域でプレーした初めての日本人選手となる。チームの前期優勝に貢献するが、11月26日契約打ち切りが発表される。
2011年は日本の独立リーグに所属する新潟アルビレックスBCに入団。名球会会員が独立リーグでプレーするのは初めてのことだった。翌2012年は選手兼監督に就任。8月31日、この年限りでの現役引退を表明。9月22日に引退試合を行った。同年限りで監督も勇退。
20120922高津臣吾投手 涙の引退挨拶 - YouTube
2012年9月22日、新潟で行われた引退試合でのあいさつ。感動に包まれた。
via www.youtube.com
2013年からは解説者を務め、2014年からは東京ヤクルトスワローズの1軍投手コーチに就任。2015年には、弱体と言われた投手陣をリーグ1位の防御率に回復させ、14年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
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完全無欠のフィニッシュホールド・シンカーの極意に迫る「高津臣吾必殺シンカー変幻自在の投球術 (名手に学ぶプロフェッショナル野球論)」
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現役を引退した2012年11月に出版されました。有名野球選手の著書でありながら表紙が顔写真ではなく、シンカーの握りというのはなんとも味で実用的な印象を受けます。
シンカーの極意に迫るならこちらも要チェック!
高津、潮崎という1990年代のセパを代表するシンカーの使い手がその極意を披露。
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