via netgeek.biz
「とくに可愛がってもらったのは山本小鉄さんですかね
小鉄さんには本当にいろんなことを教えていただきました
自分は中2のときに両親が離婚したりして、
親や大人を信用出来なくなり、
どこか性格がねじ曲がった子供でした
小鉄さんはそんな自分を厳しくも温かく育ててくださって
まさに"親"のような存在でした
新日本プロレスに入門して一から躾だとか教育を受けていたんですが
たぶん小鉄さんは自分に会った初めのころ、
自分のやっていることをみては何千回もため息をついたと思いますね
生みの親さえ信用できないのになんで他人を信頼できるんだという気分でしたからね
いわゆる反抗期で他人に対して不信感ばかり抱いていた時期だったんです
こんなことがありました
入門してまだ2ヵ月ぐらいしか経っていないころでしたか
大阪にいたうちのオヤジが十二指腸潰瘍から腹膜炎を起こして病院に担ぎ込まれたんです
それで小鉄さんに「オヤジが危篤らしいんですけど・・・」といったら、
「いますぐ会いに行け!」といわれまして
自分が小鉄さんにお尻を向けた瞬間、ポケットにこんな分厚い札束を入れられました
「いいから持って行け!」って
それで手術代とか入院代とかぜんぶ払ったんですよ
自分の交通費だけではなく病院の費用まですべて支払えるくらいの額のお金をいただいて
ビックリしました
それまではただ怖いだけの人かなって思っていましたけど
こんなに自分のことを思ってくれていたんだと知って驚きましたし
ものすごく感謝しましたね」
「でも行儀悪いことをいったりやったりすると
すぐにバチーンと殴られて、
「お前、なんてことをいうんだ!」とか
「なんてことをするんだ!」って怒られました
それでも懲りずにまたやると
今度はバーンと椅子が飛んできました
その後、小鉄さんの付き人になったんですが、
とにかく自分をひとりの人間として一から矯正してくれたのが小鉄さんでした」
藤原喜明
藤原喜明は
若手時代、
脚が痛めたため
休ませて欲しいと小鉄に頼んだ
すると
「なにぃ?
脚が痛けりゃ脚の運動をやれば治るんだ
バカヤロー!」
とスクワットをさせられた
若手時代、
脚が痛めたため
休ませて欲しいと小鉄に頼んだ
すると
「なにぃ?
脚が痛けりゃ脚の運動をやれば治るんだ
バカヤロー!」
とスクワットをさせられた
藤原は一時期
山本を包丁で刺し殺す練習をするほど恨んだ
実際、道場の前にある白樺の木には包丁で刺した傷がいっぱいあった
しかし小鉄は練習のたびにメシと酒をおごってくれるので
「殺すのは今度にしよう」
と殺害を引き伸ばしていた
山本を包丁で刺し殺す練習をするほど恨んだ
実際、道場の前にある白樺の木には包丁で刺した傷がいっぱいあった
しかし小鉄は練習のたびにメシと酒をおごってくれるので
「殺すのは今度にしよう」
と殺害を引き伸ばしていた
小鉄はそれを知り
「お前、俺を殺そうとしたらしいな」
と問い正すと
藤原は素直に白状した
小鉄は笑顔で許した
「お前、俺を殺そうとしたらしいな」
と問い正すと
藤原は素直に白状した
小鉄は笑顔で許した
名解説
小鉄は猪木から直接
解説者になるように頼まれた
しかしもう少し現役を続けたかった小鉄は断った
が、猪木の再度の要請に仕方なく引き受け
選手は引退した
本人は
「あと5年はやりたかった」
といっており
このことは長い間、心の中に強い悔いがあったようである
解説者になるように頼まれた
しかしもう少し現役を続けたかった小鉄は断った
が、猪木の再度の要請に仕方なく引き受け
選手は引退した
本人は
「あと5年はやりたかった」
といっており
このことは長い間、心の中に強い悔いがあったようである
責任感が強く
口下手だった山本は
「話し方教室」に通った
口下手だった山本は
「話し方教室」に通った
実際にやってみると
古舘伊知郎との解説は名タッグだった
「これは危ないですよ」
「いまのはキツいですよ」
などと
レスラーならではの目線と独特の表現で試合を実況した
古舘伊知郎との解説は名タッグだった
「これは危ないですよ」
「いまのはキツいですよ」
などと
レスラーならではの目線と独特の表現で試合を実況した