【松井稼頭央選手】怪我する度に立ち上がる、不屈のレジェンド
2016年11月25日 更新

【松井稼頭央選手】怪我する度に立ち上がる、不屈のレジェンド

西武で盗塁王を3回獲得した後、FA宣言して日本人内野手初のメジャーリーガーとなった松井稼選手は、Wシリーズにも出場。メジャー在籍7年間でイチロー・松井秀に次ぐ615安打を・・・そんな輝かしい松井稼頭央選手の球歴を振り返る。

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松井稼頭央 MLB初打席初球先頭打者ホームラン

勝負の年と臨んだメジャー2年目の開幕戦。前年に続き初打席で本塁打を放ち、2年連続開幕戦初打席初本塁打を記録。最高のスタートを切るのですが・・・以降スランプに。更に6月守備機会中に走者と交錯して故障者リスト入り。復帰後は12試合連続安打を記録するなど好調を保っていたものの、9月16日のブレーブス戦時に太ももを痛めてしまい、以降は欠場したり出たり・・・という状態で前年の成績を下回ってしまいました。

3年目も開幕前に右ひざを負傷。メジャー昇格は4月20日までずれ込みます。そしてその初打席。松井選手は日本人初のランニング本塁打を打ち、3年連続シーズン初打席初本塁打という記録を達成。
しかしその後は不振を極め、シーズン中の6月にコロラド・ロッキーズにトレード移籍します。

ワールドシリーズで日本人対決

ロッキーズに移籍後も松井選手は腰痛に悩まされます。2007年シーズンも腰痛で離脱し、復帰したのは5月半ばでした。松井選手復帰時のロッキーズのチーム状況は、大きく負け越していましたが、松井選手が2番に定着すると怒涛の快進撃を見せて、ワイルドカードでプレーオフに進出します。
ロッキーズ時代

ロッキーズ時代

松井選手はディビジョンシリーズの第2戦で逆転満塁本塁打を放つなど活躍し、フィリーズを撃破。
続く、ダイヤモンドバックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでもロッキーズは快進撃。相手に1勝も与えない「スイープ」でリーグ初優勝を決め、球団創設以来初となるワールドシリーズ出場を果たしたのです。
試合前に松坂選手と談笑

試合前に松坂選手と談笑

ワールドシリーズの対戦相手となったのは、元チームメートの松坂大輔選手や岡島秀樹選手が所属するボストン・レッドソックス。第1戦で岡島選手がリリーフで登板した時に松井選手に打席が回ったため、ワールドシリーズで日本人同士の直接対決が実現しました(結果は空振り三振)。
Wシリーズ初の日本人対決

Wシリーズ初の日本人対決

更に第3戦には松坂大輔選手とも対戦。初回で二塁打を打ちました。チームは第4戦で敗れWシリーズ制覇はなりませんでしたが、松井選手のポストシーズン通算成績は打率.304、OPS.847と好成績を残すのです。
岡島投手と松坂投手

岡島投手と松坂投手

この年のオフで、松井選手はアストロズに3年契約で移籍。2008年シーズンの開幕直前に臀部の手術を受けたため開幕に濱に合わなかったものの、復帰後は2番打者、オールスター後は1番打者として起用され、チームの快進撃を生み出す原動力となるのです。
アストロズ時代

アストロズ時代

2009年の4月に太ももを痛め、メジャー移籍後、6年連続9度目の故障者リスト入り。復帰後の8月に日米通算2000本安打を達成。故障で離脱があったもののメジャー移籍後最多となる132試合に出場。得点圏打率.323と勝負強さを見せる一方で、打率.250、19盗塁と本来求められている役割としてはやや不本意な成績も見せました。

2010年シーズン、首脳陣の起用法も一因となってスランプになった松井選手はシーズン中にロッキーズを解雇(直後にマイナー契約)傘下のコロラドスプリングスでプレー。メジャー昇格を目指すものの、昇格することなくシーズンは終了。この年限りでメジャー生活を終えます。「内野手は通用しない」「守備に対応できない」と言われた中で、松井選手はその守備にも対応。メジャー通算7年でイチロー選手・松井秀喜選手に次ぐ615安打を記録したのです。

日本復帰

2011年シーズンに松井選手が復帰したのは、古巣・西武ライオンズではなく、楽天イーグルスでした。復帰当初はクリーンナップとして起用されていましたが、シーズン後半からは1番に定着。日本復帰1年目は打率.260、9本塁打(同2位)、48打点(同1位タイ)、OPS.675(同2位)、15盗塁(同3位)とチーム内では上位の成績を残します。
楽天入団会見

楽天入団会見

日本復帰後、松井選手自身はコンスタントに成績を残していたものの、チーム自体は厳しい戦いが続きます。そして2013年、楽天と松井選手にとって運命のシーズンを迎えます。
リーグ優勝決定時の模様

リーグ優勝決定時の模様

この年、楽天は序盤は借金生活に苦しむものの、エース田中投手が連勝を重ね、新人の則本投手ら他の投手陣も踏ん張りを見せ、打撃陣も松井選手、嶋選手、ケーシー・マギー、アンドリュー・ジョーンズの両助っ人らをチーム全体が機能しだすと、7月6日に単独首位に浮上。以降は首位を明け渡すことはなく、球団創設初のリーグ優勝を果たします。
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