【平井正史】かって被災者の想いを乗せてマウンドに上がったストッパーは、不死鳥の如く蘇った!
2016年11月25日 更新

【平井正史】かって被災者の想いを乗せてマウンドに上がったストッパーは、不死鳥の如く蘇った!

「がんばろう神戸」ユニフォームに縫い付けられたこの言葉と共に、オリックスの選手達は戦い続けた。 球史に残る1995年そして1996年のペナントレース。そして平井投手の球歴を振り返る。

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1995年日本シリーズ 平井選手対池山選手

●遂に、本拠地で・・・

「神戸のファンの前で胴上げ」そして「日本一」ということは達成できなかったオリックスですが、連覇に向けての期待は高まっていました。
そんな中、山田投手コーチは平井投手について危惧を抱くのです。実は1995年のシーズンが進むにつれて平井投手のストレートが打者にとらえられることも多くなり、空振りを取るのはフォークか高めに抜けた時の真っすぐがほとんど。シーズン終盤になると、真っすぐで打ち取れなくなっていたのです。

その不安は的中。平井投手は前年の登板過多(53試合登板)から球が走らず苦しい投球が続き、抑えの座を鈴木平選手に明け渡します。終盤になんとか復調した平井投手は、オリックスのリーグ連覇に貢献しますが、5勝3敗6セーブと、大きく成績を落とす事になったのです。

それでもオリックスはこの年も首位を快走。前年ではできなかった「本拠地でのリーグ優勝決定」を実現させるのです。

1996年 パリーグ優勝決定戦

5回の裏から試合終了までたっぷりお楽しみ下さい。
この年、日本シリーズでオリックスと対戦したのは、松井秀喜選手が所属していた巨人。「交流戦」がまだ無かった時代で、松井選手とイチロー選手が「直接対決」した唯一の公式戦として有名なこの日本シリーズの第一戦で、平井投手が前年記録できなかったセーブを記録。オリックスの投手陣が松井選手を抑えたのに対し、イチロー選手が攻守に活躍。オリックスは日本一も本拠地で決めたのです。

1996年 日本シリーズ オリックスvs巨人 

1996年の日本シリーズ 1戦から5戦までのダイジェストです

●見事に、復活。

1996年以降平井投手は先発と中継ぎを両方を経験したものの、1994年シーズンの時の様なストレートの切れを取り戻せず、1999年以降は怪我や不調で4年間は勝ち星を挙げることができませんでした。

リリーフとして大活躍した投手が、登板過多による疲労や怪我のためその後思うような成績を残せない・・・という事はプロ野球の世界では、残念ながらよくある事です。(別の言い方をすればリリーフとして長い間活躍を続けるという事は大変難しいという事ですが)
平井投手も残念ながらそんな「よくある投手の一人としてこのまま消えていくのだろう・・・」そう思われていました。
中日で復活

中日で復活

平井投手に転機が訪れたのは、2002年オフ山﨑武司との交換トレードで、山田久志が監督を務めていた中日ドラゴンズに移籍してからでした。2003年開幕3連戦の3戦目の対巨人戦で1998年以来5年ぶりの勝利を挙げます。その後も故障者が続出するチーム事情の中、投手陣を支えた平井投手はこの年、初の規定投球回到達を達成して12勝を挙げてカムバック賞を受賞するのです。

その後、リリーフに回った平井投手は岩瀬投手への繋ぎ役、時には岩瀬投手の代役の守護神として活躍。10年間中日に在籍しのリーグ優勝・日本一に大きく貢献します。
2012年オフに中日を戦力外となり、合同トライアウトを受験した平井投手に、古巣オリックスが入団テストを実施。合格を勝ち取った平井投手は11年ぶりに古巣に復帰します。
オリックスに復帰した時の平井投手

オリックスに復帰した時の平井投手

●引退、そして今は・・・

オリックスに復帰後、二年間オリックスに在籍した平井投手。2013年9月30日のナゴヤ球場で行なわれた中日との二軍戦に登板したのを最後に現役を引退。オリックスから中日に移籍した頃は「もう終わった選手」と周囲に思われていた投手は復活。それから10年以上も現役を続けたのです。
守護神、中継ぎ、先発、リーグ優勝、日本一、怪我、リハビリ…様々なことを経験した平井投手は、2015年秋からオリックスの二軍コーチに就任。波乱万丈のプロ野球人生21年で得た経験を若者達に伝えているのです。
二軍コーチを務める平井氏

二軍コーチを務める平井氏

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