あんなに異常で殺気立った試合は見たことがない。1968年9月18日甲子園での阪神・巨人戦
2023年4月18日 更新

あんなに異常で殺気立った試合は見たことがない。1968年9月18日甲子園での阪神・巨人戦

2019年の9月14日、ジーン・バッキーさんがお亡くなりになりました。阪神タイガースのバッキー投手、覚えていますか?そのバッキー投手が引退するきっかけになった試合なのが、まさに異常な雰囲気の中の試合となりました。引退のきっかけとなった大きな事件が、1968(昭和43)年9月18日の阪神vs巨人戦です。

502 view

壮絶な首位攻防戦

阪神甲子園球場 - Wikipedia (2521806)

この年のプロ野球セリーグ。2位に付けていた阪神タイガースは、首位の巨人に逼迫し、1964年以来遠ざかっていた優勝が目の前に近づいてきた時でした。そして1968年9月18日、この日から甲子園球場に巨人を迎えて、首位をかけた4連戦が始まります。阪神も巨人も、ペナントレースを左右する重要な試合だったのです。

9月17日に行われた天王山の第1戦。阪神タイガースの若きエース江夏豊投手が、稲尾和久の日本記録を更新するシーズン354奪三振を王選手から奪うという記念すべき試合で、1対0で阪神が完封勝ちをして1ゲーム差まで迫ったのでした。

そして翌日はダブルヘッターになっており、1試合目はミスタータイガース村山実投手が、巨人を5安打完封して阪神タイガースは読売ジャイアンツと同率で首位となったのです。

ダブルヘッダー2試合目

Just a moment... (2521808)

ここで一気に巨人をたたいて単独首位に抜けだしたいダブルヘッダーの第2試合。先発マウンドに立ったのは、阪神タイガースにおける主力投手の一人、ジーン・バッキー投手でした。江夏・村山の両投手の好投に、バッキー投手も燃えていたに違いないでしょう。

ところがバックがバッキー投手の足を引っ張ってしまいます。立ち上がりの1回表、一死から巨人の高田選手が打ったなんでもないサードゴロを、三塁手がトンネル。このプレーで投球リズムを壊したバッキーは、3番の王選手に死球を与えてしまいました。更に動揺したようで、4番長嶋選手と5番末次選手に連続四球を出して自滅の先取点を与えてしまったのです。

その後なんとか立ち直ったバッキー投手でしたが、4回2死からまた三塁手がトンネル。そこから連打を浴びて5点を失ってしまい、二死2塁で3番の王選手を迎えます。

ビーンボール

王「お前どこ投げてるんだよこの野郎、気をつけろ」

これ以上点をやれないバッキーは、初球が王選手の顔面すれすれのボールになってしまい、王選手から「危ないじゃないか!」と抗議を受けます。1回に死球を受けた王選手ですから、ビーンボールまがいの投球が投げられたことに怒り、辻佳紀捕手にも注意していたのです。

これで収まったかと思った2球目、再び投球が膝元に向かってきたのです。さすがに温厚な王選手も、バットを持ったままマウンドに駆け寄り「危ないじゃないか」と注意しますが、バッキーは「サイン通りに投げただけで、わざとじゃない」と弁明しました。

とりあえずバッターボックスに戻ろうとした王選手ですが、より怒り狂っていたのが巨人ベンチでした。その時一斉に巨人の選手たちが、マウンドに向かい飛び出したのです。同時に阪神ベンチも飛び出し、マウンド上は大乱闘の場と変わりました。

王選手が意識不明に

Just a moment... (2522789)

乱闘の輪の中では、巨人の千田内野手がバッキーに体当たりし、続いて荒川コーチも血相を変えてバッキーの太ももを蹴飛ばしたのです。バッキーもお返しとばかりに荒川コーチの顔面にパンチを繰り出し、永遠に乱闘が続くような勢いでした。

結局、バッキー投手と荒川コーチが退場処分となり乱闘は収まったのですが、甲子園球場の雰囲気は異常な状態になっていたのです。そんな緊急状態で、急遽リリーフに立ったのが権藤投手でした。相当なプレッシャーがかかる場面で王選手に投げた3球目が、なんと王選手の頭部に直撃してその場に崩れ落ちました。


バッターボックスに倒れ込んだ王選手は、意識不明のままタンカで運び出され病院に搬送されます。そして、再び大乱闘が始まったのです。

異常な雰囲気

阪神ファン - Wikipedia (2521809)

王選手が病院に向かい試合もなんとか再開。しかしグランドだけでなく観客席においても、全てが殺気立つ異様な雰囲気に包まれていました。そしてその時にバッターボックスに立つのは4番の長嶋選手。最高の緊張感の中で、長島選手は目が覚めるような35号のホームランを放ち、一気に球場内を鎮静化させたのでした。結局乱闘の4回は、巨人が7点を取り試合を決めたのでした。

実は乱闘騒ぎで退場したバッキー投手は、荒川コーチを殴った際に右手親指を複雑骨折していました。そのためシーズンを棒に振ることになり、阪神タイガースもエース級の先発投手を欠くことになり、掴みかかっていた優勝を逃すことになりました。

乱闘で骨折したバッキー投手は思うように回復せず、翌年近鉄に移籍をして再起をはかりましたが、結局は位置も勝利投手になることができず引退となったのでした。
15 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • V9 🐯xGiants NPB ⚾ 🧤 2023/4/19 13:23

    1980年代半ば読売の選手は「ブラック&ホワイト」という原氏と江川元投手の4コマと
    やく先生の「パロ野球ニュース」で風刺を茶化しました

    すべてのコメントを見る (1)

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【清原和博】縦縞を横縞に!でも阪神ではなく巨人を選んだFA裏話

【清原和博】縦縞を横縞に!でも阪神ではなく巨人を選んだFA裏話

1996年のオフシーズン、当時、西武ライオンズの選手だった清原和博がFAを宣言して、その移籍先が話題となりました。候補は2球団で、阪神タイガースか読売ジャイアンツ。最終的には巨人を選びますが、なぜドラフト会議で切られた因縁の球団を選んだのでしょうか。当時のことを、清原和博が松村邦洋に語ります。
izaiza347 | 222 view
【吉田孝司】一軍ベンチ入り試合数は巨人歴代4位!川上巨人、長嶋巨人の黄金期を支えた名捕手

【吉田孝司】一軍ベンチ入り試合数は巨人歴代4位!川上巨人、長嶋巨人の黄金期を支えた名捕手

第一次長嶋巨人でV2に貢献した正捕手と言ったらこの人、吉田孝司捕手。川上監督のV9時代は、森昌彦捕手の二番手でしたが、その頃から常にベンチ入りし、"一軍ベンチ入り試合数"においては、なんと巨人歴代4位です。引退後も長きにわたり、巨人でバッテリーコーチを務め、チームの躍進に貢献しました。そんな吉田孝司捕手の活躍を振り返ります。
izaiza347 | 306 view
1989年バブル絶頂~2004年球界再編問題「たかが選手が」球団vs選手会  ライブドアvs楽天  旧vs新  置き去りになった近鉄ファン

1989年バブル絶頂~2004年球界再編問題「たかが選手が」球団vs選手会 ライブドアvs楽天 旧vs新 置き去りになった近鉄ファン

近鉄とオリックスの合併、球界再編問題、ストライキ、IT企業のプロ野球参入合戦、近鉄バッファローズ消滅、オリックスバッファローズ、楽天イーグルス誕生 夢と感動がいっぱいのプロ野球の裏側では、それを支えるドロドロの利権と古い体質を持つ巨大な権力があった。
RAOH | 2,049 view
 『三省堂国語辞典 阪神タイガース仕様』が発売へ!帯には六甲おろしの歌詞が。球団歌の歴史にも触れてみる

『三省堂国語辞典 阪神タイガース仕様』が発売へ!帯には六甲おろしの歌詞が。球団歌の歴史にも触れてみる

「三国(サンコク)」の愛称で親しまれている株式会社三省堂の国語辞典に新たな展開。『三省堂国語辞典 第七版 阪神タイガース仕様』として2月下旬に発売が決定しました。帯には六甲おろしの歌詞が記載されるなど、斬新な一冊となっております。
「訃報」闘将・星野仙一さん70歳で逝去、打倒巨人を掲げ続けた名投手であり名将でした。

「訃報」闘将・星野仙一さん70歳で逝去、打倒巨人を掲げ続けた名投手であり名将でした。

2018年1月4日、日本プロ野球界の闘将・星野仙一さんが亡くなったという訃報が届きました。現役時代は中日ドラゴンズのエースにして打倒巨人・打倒ON(王・長島)を徹底して貫き、通算146勝121敗34セーブ。現役を退いた後は監督として中日ドラゴンズ、阪神タイガース、楽天ゴールデンイーグルスの3球団を優勝に導き「闘将」と呼ばれました。
青春の握り拳 | 2,923 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト