Jリーグ初期!浦和レッズ悲劇の時代
2016年11月25日 更新

Jリーグ初期!浦和レッズ悲劇の時代

浦和レッズと言えば、日本一の観客動員を誇るサポーターを有し、リーグ戦でも常に優勝争いをする強豪チームとなりましたが、1993年Jリーグ開幕時は「Jリーグのお荷物」と言われるほど最弱チームだった。レッズサポーターにとって屈辱の時代とも言うべき90年代の浦和レッズを振り返ってみましょう。

20,158 view

Jリーグ初期!浦和レッズ悲劇の時代

浦和レッズと言えば、日本一の観客動員を誇るサポーターを有し、リーグ戦でも常に優勝争いをする強豪チームとなりましたが、1993年Jリーグ開幕時は「Jリーグのお荷物」と言われるほど最弱チームだった。レッズサポーターにとって屈辱の時代とも言うべき90年代の浦和レッズを振り返ってみましょう。
 (1578487)

開幕直前のナビスコカップでは善戦も、J開幕と同時に連敗街道

1993年、日本サッカー史において、ここまで空前のサッカーブームを迎えた時はないほどの盛り上がりを見せたJリーグ開幕。浦和レッズを含む、いわゆるオリジナル10と言われる10チームでスタートしたが、周囲の期待を裏切り、浦和レッズは連敗街道。
開幕前にプレ大会的な感じで開催された1992年ナビスコカップでは、5勝4敗、優勝したヴェルディ川崎(当時)とも勝ち点差4の5位と接戦を演じていただけに、あまりにも連敗街道をひた走る歯車の狂ってしまった浦和レッズに、サポーターも失望の色を隠せなかった。
 (1578496)

93年Jリーグ開幕戦 ⑤ ガンバ大阪×浦和レッズ - YouTube

外国人助っ人が全く機能せず

元エクアドルの最優秀外国人選手であるモラレスと、フェレイラという大物外国人を招へいするも、二人とも体が重く、一切キレがない。きっとJリーグをなめていたのでしょう。お荷物クラブとなってしまった主因とも言える。
結局、モラレスはたった3試合、フェレイラは4試合出場したのみ、両者とも1ゴールも上げられずに退団。

水色のアウェイユニフォームで一度も勝てず

浦和レッズと言えば、やはりチームカラーの「赤」がイメージされますが、1993年開幕年のアウェイユニフォームは、多くのチームが「白」を選択する中、浦和は「水色」。
奇抜なカラーチョイスで、デザインも秀逸だったので、サポーターのなかでも人気だったが、なんのこのユニフォームを着て、一度も勝てず・・・。
不幸のユニフォームとまで言われ、封印された。
 (1578509)

鹿島戦、待望の先制ゴールで喜び過ぎて、失点

1993年6月9日、浦和にとってアウェイとなる鹿島戦。
3月の開幕から3か月全く勝てない浦和が、ジーコ率いる鹿島と対戦、若きエースである福田正博の華麗なドリブルからのシュートで、初の先制。
しかし、その直後、悪夢が待っていた。喜ぶ浦和イレブンを横目に、鹿島はすぐにプレイを再開、ゴールキーパーしかいない浦和ゴールに攻め込んでいった。
「浦和レッズ、先制ゴールを喜んでいる間に失点」事件(1993年)
Jリーグ開幕年、鹿島アントラーズ戦で、エース福田正博による先制ゴールを決めた浦和レッズ。大喜びした選手たちが、ゴールキーパーを残してベンチ前に集合! …が、その間にゲームは再開され、数秒の間にアントラーズにゴールを決められてしまった。

福田のJ初ゴールにテンションMAXのレッズと、スキを逃さず得点したジーコ率いるアントラーズ。いい意味のずるがしこさをサッカー界では「マリーシア」というが、アントラーズは開幕当初からそれを身に付けていたチームだったのかもしれない。

浦和レッズ 福田正博ベストゴール集 - YouTube

0:13あたりからのゴール直後に悲劇が!
やはり不幸の水色ユニフォームだった。

ラモスとビスマルクにコケにされる

1993年9月3日に埼玉・さいたま市浦和駒場スタジアムで行われた浦和レッズvsヴェルディ川崎戦。
満員のサポーターの前で浦和はJリーグ史に残る失態を演じてしまった。
屈指のテクニシャンであるラモス瑠偉とビスマルクに、まるで玉遊びをしているかのようにコケにされながら抜かれ、ゴールを決められてしまった。
試合も0-6と大敗、実力さが露わになった試合だった。

蹴卓遊戯 - YouTube

PKO曺貴裁

36 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

Jリーグ初期の期待外れで終わった選手たち

Jリーグ初期の期待外れで終わった選手たち

1993年に日本初のプロサッカーリーグである華々しくJリーグが開幕を果たし、天才と評された選手や、海外のスタープレイヤーがJリーグのピッチに立ちましたが、なかには期待外れと言わざるを得ない結果で終わった選手も。ここでは、そんな「Jリーグ初期の期待外れで終わった選手たち」にフューチャーしていきます。
yt-united | 66,991 view
【訃報】元サッカー選手、サルヴァトーレ・スキラッチさんが死去。イタリアW杯、ジュビロ磐田などで活躍

【訃報】元サッカー選手、サルヴァトーレ・スキラッチさんが死去。イタリアW杯、ジュビロ磐田などで活躍

「トト」の愛称で親しまれ、1990年のイタリアワールドカップなどで活躍した元サッカー選手、サルヴァトーレ・スキラッチさんが18日、結腸癌のためイタリア・パレルモの病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。59歳でした。
隣人速報 | 138 view
天才・小野伸二が引退。本人も「怪我がなければ…」というフィリピン戦で負った大怪我とは?

天才・小野伸二が引退。本人も「怪我がなければ…」というフィリピン戦で負った大怪我とは?

サッカー元日本代表で北海道コンサドーレ札幌のMF・小野伸二(44)が3日、明治安田生命J1の最終節・浦和レッドダイヤモンズ戦で、現役ラストマッチを迎ました。
隣人速報 | 411 view
とにかく明るい丸山桂里奈   数々の栄光と失敗、おもしろエピソード

とにかく明るい丸山桂里奈 数々の栄光と失敗、おもしろエピソード

よく「何にも考えてなさそう」「何も悩みがなさそう」「なんでそんなに明るいの?」といわれる丸山桂里奈だが、決してサッカー人生なにもかもがうまくいったわけではなく、どちらかというと苦労人。だけど明るい理由は「いつかきっと笑ってサッカーをする日が来る。その日のために・・・・」という気持ちだった。
RAOH | 865 view
元日本代表MF・小野伸二(44)が今季限りでの現役引退を発表。フランスW杯、ワールドユースなどで活躍した“天才”

元日本代表MF・小野伸二(44)が今季限りでの現役引退を発表。フランスW杯、ワールドユースなどで活躍した“天才”

J1リーグの北海道コンサドーレ札幌に所属する元日本代表MF・小野伸二(44)がこのたび、自身のインスタグラムにて今季限りでの現役引退を表明しました。
隣人速報 | 199 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト