球界のエース西崎幸広
西崎 幸広(にしざき ゆきひろ、1964年4月13日 - )は、滋賀県大津市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。現役時代は日本ハム、西武で活躍した。
生年月日 1964年4月13日(51歳)
身長 181 cm 、 体重75 kg
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1986年 ドラフト1位
初出場 1987年4月11日
最終出場 2001年9月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
滋賀県立瀬田工業高等学校
愛知工業大学
日本ハムファイターズ (1987 - 1997)
西武ライオンズ (1998 - 2001)
背番号
21 (1987年 - 2001年)
タイトル・表彰
タイトル
最多勝:1回 (1988年)
表彰
ベストナイン:1回 (1988年)
ゴールデングラブ賞:2回 (1988年、1996年)
パ・リーグ会長特別賞 (1987年)
月間MVP:4回 (1987年8月、1989年4月、1993年6月、1996年4月)
東京ドームMVP:1回 (1989年)
プロ入りまで
滋賀県立瀬田工業高等学校3年時に第54回選抜高等学校野球大会に出場。
その後、愛知工業大学へ進学。当時の愛知大学野球リーグの通算最多勝利(37勝)、シーズン最多奪三振(1986年春季95個)、 1試合最多奪三振(1986年春季23個対名院大)などの記録を作る。1986年の明治神宮野球大会優勝に貢献。同年のドラフト会議で日本ハムファイターズに1位指名(近藤真一の外れ1位)され入団。球団のエースナンバーである21を用意される。
OBが語るドラフト思い出話〜西崎幸広編〜「日本ハムって…本拠地どこ?(西崎)」指名直後に慌てて… | プロ野球の有名OBたちが野球について語り尽くす動画サイト「OBTV」
OBが語る“思い出”企画。今回は目前に迫った『ドラフト会議』をテーマにお送りします。今だから話せる、ドラフト前夜や指名直後の悲喜こもごものエピソードをお楽しみください。
via baseball.obtv.jp
日本ハム時代
1年目の1987年からルーキーながらも先発の一角として活躍。近鉄バッファローズの阿波野秀幸と新人王のタイトルを争った。勝ち数15・防御率もほぼ一緒で負け数では西崎が下回っていたが、両リーグ最多の奪三振と投球回数が勝っていた阿波野が新人王を獲得した。新人王を逃した西崎だったが、新人王に値する活躍が評価されパ・リーグ会長特別賞を受賞した。
以降は日本ハムのエースとしてルーキーイヤーから5年連続で2ケタ勝利を重ねる。2年目の1988年には15勝を挙げて最多勝を獲得(渡辺久信・松浦宏明と同時受賞)。特に新人王を争った阿波野とはライバル関係となり、合わせて『トレンディエース』(後述)として女性ファンから支持を得るようになる。
1995年7月5日の西武ライオンズ戦において、史上60人目となるノーヒットノーランを達成した。その後、1997年オフに奈良原浩・石井丈裕とのトレードで西武ライオンズに移籍する。
1994 西崎幸広 1 一流の投球 - YouTube
via www.youtube.com
西武ライオンズ時代
移籍初年の1998年は故障を抱え、わずか4試合の登板に終わった。その後、同年の日本シリーズでの好投から、1999年はリリーフに回り20セーブをマーク。2000年には先発に戻り6勝を挙げるが、再び故障を抱え2001年のシーズンをもって現役を引退。引退後は主に解説者を務めている。
のちのメジャーリーガー・松坂大輔が入団した際、当時の監督である東尾修が松坂に対し「西崎を手本にしろ」と進言しており、兄貴分として慕われていたことも知られている。
のちのメジャーリーガー・松坂大輔が入団した際、当時の監督である東尾修が松坂に対し「西崎を手本にしろ」と進言しており、兄貴分として慕われていたことも知られている。
実は娘も超美人!!!!
妻は学生時代スカウトされた経験があるなどの美人。
長女の西崎あやは女優で、次女の西崎莉麻はグラビアを中心に活動しており2013年7月放送予定のアニメ「ステラ女学院高等科C3部」で霧島れんと役で声優デビューした。
長女の西崎あやは女優で、次女の西崎莉麻はグラビアを中心に活動しており2013年7月放送予定のアニメ「ステラ女学院高等科C3部」で霧島れんと役で声優デビューした。
あや&莉麻に父の現役時代の思い出を訊くと「バレンタインデーに届いたチョコの量とかは段ボールでメッチャ届いてた」といい、当時の映像を見せると「(体型が)細っ」(莉麻)と驚く一方、西武戦でのノーヒットノーラン(95年)については「ノーヒットノーランが分からない」(あや)、「一回もバットに当たんないってこと?」(莉麻)と野球に関してはちんぷんかんぷん。西崎氏が「バットには当たるよ。ヒットっていうか、ランナーを出さなかったって事」と説明するも、二人は「ん?」と顔を見合わせ、西崎氏は「そんなもんです……」と諦めてしまった。
引退後
引退後は2002年から2004年にNHK、2005年からは東北放送、北海道放送(2006年まで)、スカイ・A sports+(主に楽天戦の解説、2012年よりJ SPORTSに放映権が移行)、テレビ埼玉などのプロ野球中継で野球解説を担当し、2007年からは、札幌テレビ・STVラジオの解説を務める傍ら、日本ハムOB会副会長を務め、2008年より木田勇に代わり、会長に就任する。
西崎幸広さんのフェイスブックを見ていると野球教室を開いたりもしている様子。
西崎幸広さんのフェイスブックを見ていると野球教室を開いたりもしている様子。